「服のはなし(プライベート編)」
若かりし日に働きはじめたころ、仕事の服とプライベートの服はわけていなかったように思う。
結婚したあとに、わけたいな、と思いはじめ、今は完全ではないけれど、だいたいわかれている。
仕事で着る服を、私的な時間のときに着ると、なんだか仕事モードになってしまっていやなのだ。
決して、じぶんで選んだ服が嫌いなわけではないのだけれど。
結婚して、子どもが産まれて、仕事を辞めて、育児と家事に奮闘していたころ、それまで仕事で着ていた服がまったく役に立たないことに気づいてがく然としたことがある。
ウールのセーターや、ぴらぴらしたブラウスや、ひざ下丈のスカートでは、さっと子どもを抱っこできないし、いっしょに遊べないし、いちいち汚れを気にしなくてはいけない。
じぶんの服だけ別洗い、なんてやっていられない。
結局、子育てをするには、子どもと同じようなかっこう(つまりはぜんぶ洗濯機でちゅうちょなく洗えるということだ)ということに気づき、独身時代に買いあつめた服のほとんどを、徐々に処分していった。
もちろん、妊娠出産を経て、体形が変化したのあるし、年齢とともににあわなくなったという理由もある。
余談だけれど、そのころ、スキニーパンツが大流行りで、スキニーパンツしか売っていなくて、わりに余裕のあるパンツが好きだったわたしも、しかたなく履いていたのだけれど、冬は寒くてつめたくて、ほんとうにきらいだった。
いまもスキニーパンツは売っているけれど、スキニーではないものも売っている。
いい世の中になったなあ、なんて思う。
専業主婦だったころは、すべてが私生活だったから、服はすくなくて済んだし、あまりお金もかからなかった(そんなわけはないか。たまに気になる服をためらいながら買っていた)。
基本的に、みてくれも大事だったけれど、着心地が良く、動きやすい服が好きだった。
働きはじめると、私服で働く職場の場合は特に、働く服が必要になり、専業主婦の服では働けない。
子どもがいて、家事をして、働いて、となると、気持ちや気分を切りかえることが必須となり、服はその境界となるのだと思う。
若かりし日は、ご多分にもれず、モノトーンの服が好きだった。
色味のある服など、あまり着なかったように思う。
数年前から、年齢のせいかわからないけれど、色のある服が着たくなって(流行なのかもしれないけど)、去年の冬くらいからその思いが爆発して、イエローやピンクのセーターやカーディガンを着はじめ、今年の夏はイエローやピンクのTシャツを着ている。
プライベートでは、おもにワンピースを着ているのだけれど、冬はモノトーンに寄るが、夏は赤や花柄や、色に忙しいことになっている。
先日は、赤いペプラムのカットソーなんて買ってしまい、夫に、サリーちゃんみたいと評され、最近おしゃれにめざめた次男には、いろんな色を着たいのはわかるけどさあ……と渋い顔をされた。
(ダメージデニムを買ったので、秋口にはそれと合わせて着るのだ!みてろ!)
そしてかろやかでゆるっとしたシルエットのパンツや、女性らしいけれど決して媚びないトップスを出している韓国のブランドが気に入ってしまい、年がいもなくせっせと買い集めている。
だれかの目を気にしているわけではなく、じぶんのために装っているのだ、という感じがかっこよくてすごくいい。
わたしがいちばん好き勝手なかっこうをしているのは、じつはスーパーに買い物に行くときであったりする。
大勢の人がいるのに、だれもひとを気にしていないのがすごく好きだ。
わたしはこっそり、ひとの服装をみて、たまに素敵なひとがいると、いいなあ、と見とれている。
先日は、スカーフを腰に巻いているひとがいて、なるほどああやればいいのか、と後日まねをしたりした。
年齢とともに、身体のなかで気になるところも増えてきて、隠したいところはいっぱいあるのだけれど、隠したいところはカバーしつつ、もうひとの太い二の腕が出てたところでだれも気にしないわい、と開き直って、ノースリーブのワンピースも着たりする。
年齢とともに、こうあらねばならぬ、という固定概念から離れていって、好きな色、明るい色、派手な服、好きな服、着たい服を着よう、と思っている。
もし街中で、派手なかっこうの中年女性を見かけたら、そういう事情なのだ、とどうかご理解を賜りたい。
