【短編小説】黒い椅子
実家の納屋に、絶対に触ってはいけない椅子があった。木でできた椅子で真っ黒に塗られており、普段は納屋の奥で布をかけられている。
私は祖母と母の会話の端に出てきたその椅子の話を聞き、訊ねた。
「その椅子に触るとどうなるの?」
「怖いことが起こるのよ」
母は私の顔を見ずに、そう言った。
祖母が亡くなり、納屋の整理をしている時に、白い布をかけられた椅子が出てきた。布はくすんでおり、所々虫食いがあった。
怖いことが起こる。
私は母の言葉を思い出しながらも、ただの子供騙しだという気もしていた。子供が触れもできない納屋のものに、適当に話を付けただけだと。
私は特に幽霊やらそう言うものを怖がったりしない人間だったので、躊躇いなく布を捲った。
黒い椅子は、確かにあった。
色が不気味なだけの、ただの木の椅子だ。
私にはそうとしか思えず、これを触ることの一体何がいけないことなのか分からなかった。
整理の為には動かさないわけにもいかず、かと言って家の中に置く場所もない。仕方なく、私は椅子を廃品回収業者に手渡した。
夜、私は自宅のベッドで目を瞑っていた。うとうととし、夢と現の狭間を彷徨っている時だった。
ギィ、ギィと木が軋む音が耳元で聞こえた。
家の中にそんな音を鳴らす様なものはないはず。私は半ば夢での出来事だろうとたかを括って目を開けた。
目を開けると、私は黒い椅子に座っていた。体は動かせず、目線だけしか動かすことができなかった。
椅子はベランダの方を向いており、月がカーテンのレース越しに薄く見えた。
私は体が動かせないことにパニックになり、唯一動く目線をキョロキョロと動かした。
何もない。
私は私の部屋で、ただベランダに向かって黒い椅子に座っている。ただそれだけだった。
なのに、あの息の詰まる感じは、一体何なんだろうか?
あの、何かが起こりそうな予感は何なんだろう?
この、背筋を何かが這い上がる感覚は何だろう?
怖い。
私は思い切り目を瞑り、これは夢だと信じ込もうとした。それでも、体の背や尻に当たる木の感触から逃れることができない。
それでも目を瞑った。
瞑って瞑って、瞑り続けた。
気がつくと、朝が来ていた。
私は椅子には座っておらず、ベッドで横になっていた。
ただの、夢。
私は安心して起きあがった。
それが5日前の話。
私はそれから毎晩、あの黒い椅子に座り続けている。椅子の位置は毎度様々で、一昨日はテレビの前、昨日は廊下の真ん中辺りだった。
いつも何も起こらず朝を迎える。でも、いつか何かが、起こるかもしれない。そんな恐怖心を毎度抱えながら。私は黒い椅子から逃れることができずにいる。
一体いつまで、私はあの椅子に座り続けないければならないのか。
私は、恐ろしくて堪らない。
