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第15章 外縁の追撃 第3節 置かれた痕跡

灰色の滲みは、封鎖線の内側を這うように南東へ伸びていた。

速くはない。

けれど、止まらない。

こちらを見つけているわけではない。

見つけようとしている。

その差が、かえって気味悪かった。

兵たちは距離を取り、足音を殺して続いている。

誰も声を上げない。

槍の金具が鳴らないよう、手で押さえている者もいた。

ルナシウスが選んだ人数は、多すぎず、少なすぎない。

背中の道は、まだ保たれている。

だから前へ進める。

クリス「外側、近い」

クレフ「守りに触れた?」

クリス「まだ。でも、さっきより近い。守りの縁に、冷たいものが寄ってる」

リゼ「反応の筋が細くなっています。こちらへ向かうためではありません。どこか一点に集まろうとしている」

クレフ「何かを置いた跡か」

リゼ「はい。おそらく、その場所です」

通路は少しずつ城の外縁へ近づいていた。

壁の石は古く、継ぎ目には乾いた土が入り込んでいる。

窓はない。

だが、どこかから外の空気が入り、白い霧を薄く揺らしていた。

ここは禁じられた場所ではない。

ただ、日々の城から外れ、使われなくなった管理路だった。

人の足が遠のいた道。

だからこそ、古い水の名残が消えずに残っている。

リゼが足を止めた。

リゼ「ここです」

そこには、壊れた水量標の石があった。

腰ほどの高さの古い標石で、表面にはかすれた目盛りが刻まれている。

もう水を測る役目は終えている。

だが、その根元だけが、不自然に黒ずんでいた。

クレフ「これが痕跡か」

リゼ「水路のものではありません。後から置かれています」

クリス「何か、あるの?」

リゼは膝をつき、標石の根元へ手をかざした。

触れない。

その指先の下で、乾いた土がわずかに震えた。

灰色の細い光が、土の奥で一度だけ瞬く。

兵の一人が息を呑んだ。

クレフ「触るな」

声は低く出た。

自分でも驚くほど、迷いはなかった。

クレフ「ここを動かしたら、こちらが見つけたことを知らせる」

リゼ「正しい判断です。これは、道を開くためのものではありません」

クレフ「中継点じゃない?」

リゼ「中継点ではあります。ただし、通すためではなく、拾うためのものです」

クリス「拾う?」

リゼ「水の流れに残った反応の震えを、集めています」

胸の奥が冷えた。

道ではない。

目でもない。

置かれていたのは、耳に近いものだった。

敵はここから入ろうとしていたのではない。

ここで、封鎖線の揺れを聞いていた。

どこが閉じられ、どこに隙間があるのか。

誰が動き、どこへ向かおうとしているのか。

直接見ていなくても、古い水の名残を通して拾っていた。

クレフ「つまり、僕たちが正面から入れば」

リゼ「その足取りも拾われます」

クリス「気持ち悪いね」

クレフ「ああ」

短く返しながら、標石の周りを見る。

古い石。

乾いた土。

壁の継ぎ目。

そして、南東へ伸びる灰色の滲み。

敵の手は、まだこちらを掴んでいない。

けれど、耳を澄ませている。

クレフ「ここは壊さない」

兵「破壊しないのですか」

クレフ「壊せば、敵に知らせることになる。触れずに囲む」

兵「囲む、ですか」

クレフ「音を立てずに、退路だけ塞ぐ。敵が聞いているなら、聞かせるものを選ぶ」

クリスがこちらを見た。

少しだけ驚いた顔をして、それから小さく頷いた。

クリス「正面は残すんだね」

クレフ「うん。敵には、ここをまだ使えると思わせる」

リゼ「では、反応の筋を追っているように見せず、外側から離れる形を取るのですね」

クレフ「そうだ。ここを見つけたことは、まだ知られたくない」

兵が静かに頷き、後方へ合図を送った。

声は使わない。

指の動きだけで、兵たちが左右へ散っていく。

標石を中心に、遠くから輪を作る。

近づきすぎない。

槍を向けない。

ただ、抜け道だけを狭めていく。

その時、クリスが弓に手をかけた。

クリス「クレフ」

クレフ「来るか」

クリス「違う。外側じゃない。ここの奥で、震えた」

リゼの指先の下で、土の奥の灰色がまた瞬いた。

今度は一度ではない。

細く、短く、何かを数えるように。

リゼ「反応が返っています」

クレフ「敵から?」

リゼ「おそらく。こちらの封鎖線に触れた揺れが、この標石へ戻されている」

クリス「じゃあ、今も聞いてる」

クレフ「でも、こちらを見つけたわけじゃない」

リゼ「はい。何かが近くにある、という程度です」

息を止める。

なら、まだ間に合う。

ここで大きく動けば、敵は気づく。

だが、何もしなければ、敵は封鎖線の切れ目を探し続ける。

その間に、こちらは耳の位置を掴んだ。

今度はこちらが選ぶ番だった。

クレフ「兵を二人、北側へ。足音を消さなくていい」

兵「音を、出すのですか」

クレフ「大きくは出すな。普通に歩くくらいでいい。敵に、北側へ動いたと思わせる」

クリス「誘導するの?」

クレフ「少しだけ」

リゼ「その間に、私たちは南東側へ回る」

クレフ「うん。敵が耳で追うなら、聞かせる音をずらす」

兵たちが動いた。

北側へ向かう二人の足音が、わずかに通路へ響く。

同時に、こちらは標石から離れ、壁際の影を選んで進む。

灰色の光が、土の奥でまた瞬いた。

反応は北へ向いた。

ほんのわずか。

それでも、向きが変わった。

クリス「効いてる」

リゼ「ですが長くは持ちません。置かれたものが、違和感に気づきます」

クレフ「なら、その前に回り込む」

剣の柄に指を添えた。

まだ抜かない。

抜けば、その音さえ拾われるかもしれない。

ここでは、強さより静けさが要る。

一歩。

もう一歩。

水のない古い管理路を、灰色の耳に聞かせないよう進む。

敵はまだ、こちらを見つけていない。

こちらはもう、敵の耳を見つけている。

その差が消える前に、外縁のさらに奥へ回り込んだ。

第15章第4節へ続く

第15章第3節を読んで頂きありがとうございます。

今回は、反応の先に残されていた「置かれた痕跡」を追う回でした。

旧水門跡へ続く古い管理路にあったのは、敵が通るための入口ではなく、封鎖線の揺れを拾うための仕掛けでした。

敵は道を開こうとしているだけではなく、こちらの動きや守りの変化を聞き取ろうとしていたのです。

クレフはその痕跡をすぐに壊すのではなく、あえて敵に聞かせる音を選び、北側へ意識をずらしながら南東側へ回り込む判断をしました。

力で押し切るのではなく、敵が何を見て、何を聞いているのかを考えて動く。

第15章に入り、クレフたちは少しずつ「見られている側」から「相手の手を読む側」へ変わってきています。

次回は、敵の耳をかわした先で、外縁側のさらに深い反応へ踏み込んでいきます。

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