見出し画像

自信満々な人は苦手だ

 自信満々な人は苦手だ。

 この歳になれば苦手な人との距離感も幾分かはかれるようになった。その自信がその人の上限で伸び代をまったく感じないんだな。その自信はどこからくるの?

 その点、自信がないという人の方が奥深くていい。まだまだこれからの伸び代を感じる。これは、私自信が常に自信がないから、その同志を見て親近感が湧くだけかもしれない。自信なんてものは持たない方がいい。「もっと自分に自信を持っていいと思うよ」と言ったことはあると思う。「自信なんていつまで経っても持てないよ」とも言ったことがある。どっちなんだい!ってことだ。

 持ちすぎの自信はよくなくて、あまりに自信がないのも好ましくない。自信がなくて不安に怯え、何も行動が起こせないのもどうだ?いやそれでも、闇の底を蹴り、グンと一気に浮上する時が来るまで力を溜めている時期なのか?一生そのまま沈んだままになったらどうなんだ?と色々考えてしまう。

 自分のことでいえば、闇の底で息が苦しくてもがいている時間の方が長かった気がする。対外的には明るく振る舞っていても、心の中ではどよ〜んと沈殿していたり、イライラしてばかりだったり。またある時は、やたら自信を持ってハイになっていたりした時もあった。どちらかといえば、そのハイになっていた時の方があとから考えてとても恥ずかしい。その時に戻って後ろから自分を張り倒し、足蹴にしたい気分だ。

 であるから、自信満々な人を見ると痛々しく見える。もちろん後ろから蹴り飛ばしたりはしない。

 そして、自信のない人を見ると心の中で「それでいいんだよ」と、そっと背中をさすってやりたくなる。さするだけで決して押したりはしない。

 「明るい」には限界があるが、闇の深さは計り知れない。底の見えない闇にどこまで沈んでいくんだろうと思ってその不安に押しつぶされそうになる。小学生の時がそうだった。いつかは死ぬんだ、いつかは死んで暗くて孤独なお墓に入る時が来るんだと思うと怖くて眠れない時期があった。夜空の星に夢中になっていた時も、果てしない宇宙の広さに絶望を感じたこともあった。銀河や星雲の巨大さに畏れ、木星の模様も奈落のようで怖くて見ていられなかった。逆に小さな世界でも同じで、簡単に踏みつぶすことができるアリも、拡大してみると恐ろしい形相をしている。昆虫の姿の不気味さはこの世のものではない。深海魚もそうだし、微生物やらウイルスやらも拡大し、その性質もわかってくるとこれほど恐ろしいものはなく、知れば知るほど不安にさせられる。でも、怖いもの見たさなのだろう、その世界にハマったのも事実なのだ。

 そんな世界に自分は生きていると思うと、自信なんて持てるもんじゃない。しかしこれはどう頑張ってもどうすることもできないのだ。そう、「仕方ない」のだ。仕方ないことに悩み苦しんでも解決しないのであれば、その苦しみには意味がない。だから考えなくていい。結論を出さなくてもいい。答えを出さなくてもいい。すべては「無」なのだ。ということを仏教に学んだ。

 自分は自分の作り上げた世界で生きている。それは全てが自分の思い込みの世界。笑顔で能天気に生きている奴も、実際は死にたいほど悩んでいたりするし、自分の言葉で傷つけてしまったであろう相手も、きっと今頃そう、笑ってパフェを食べているのだ。この世は今あなたが頭の中で思い描いているものとはかなり違うのだ。そんな思い込みの想像の世界の中で生きているのだ。であるなら、その思い込みの前提となるデータをちょっと入れ替えるだけで世の中は変わって見えるということだ。

 残酷な言い方をすれば、引き篭もっている時に見える外の世界は、自分が引き篭もっているのに都合がいい世界に自分で仕立て上げている。これは自分がそうだったからそう思う。だからと言ってみんながそうだと思わないが、「今の世の中」は、自分で都合よく仕立て上げた虚像の世界であるということだ。であるなら、仕立てるためのアイデアを他の奴らに任せるな。自分の世界は自分の頭で考えて創れ。スマホの中の情報に振り回されて、自分が生きる世界をそいつらに創らせるな。自分が生きるのに一番心地よい世界は自分で創ろう。

 答えはまだ出さなくていい。

いいなと思ったら応援しよう!