鏡中の祝言 *第五章*
第五章 「胡蝶之夢」
結婚して数年が経ち、私は二人の息子に恵まれた。
そして、次男が小学生になった頃、実家を大掛かりにリフォームすることになった。
あのおばあちゃんが逆プロポーズのために手に入れた嫁入り道具であるあの豪華な三面鏡の鏡台は、おばあちゃんが亡くなった後、「とても立派なものだから」と母が引き取り、実家に置かれていた。
しかし、今回のリフォームをきっかけに、ついにそれを手放すことにしたらしい。どうやら古物商に、なかなかの高値で引き取ってもらえるそうだ。私が引き取ることも考えたが、今住んでいる激狭マンションにはあまりにも不釣り合いなため、泣く泣く断念した。
実家には、様々な思い出があちらこちらに散りばめられている。リフォームの業者が入る前に足を運び、写真を撮ったり、幼い頃の記憶を振り返ったりしていた。
奥の部屋に置かれたおばあちゃんの鏡台にも最後のさようならを伝えようと、私はその前に腰掛け、重厚な鏡の扉を開いた。
これに、若かりし頃のおばあちゃんはどんなふうに姿を映していたのだろう。
「おばあちゃん……」
ぽつりと呟き、三面鏡の両側の鏡を閉じようとした、その瞬間だった。
鏡が太陽の光を浴びたように強く反射し、あまりの眩しさに私は目をぎゅっと瞑った。陽の入らない暗い部屋であるはずなのに、放たれた強烈な光。何が起きたのか分からず、近くの電気がショートでもしたのかと、心臓がバクバクと激しく波打った。
私は目を瞑ったまま、身動きがとれずにいた。
少しして、恐る恐る目を開けると――
私は、見覚えのない街の道端にしゃがみ込んでいた。見覚えがないだけならまだしも、何かがおかしい。周囲をうろうろと歩いてみる。けれど、どこまで行っても見覚えのある景色にはならなかった。これは夢なのだと思った。しかし、夢であるはずなのに、肌を撫でる風も、鼻をくすぐる匂いも、五感はすべてはっきりと働いている。
道路は砂利や土ばかりで舗装されていない。建物もそのほとんどが木造だ。車は時々走ってはいるけれど、テレビや博物館で見たようなアンティークなデザインで遊園地のゴーカートみたいな音を立てて走っている。奇妙なデザインの自転車や手押し車が行き交っている。
ここは何時代なのだろう。明治、大正、それとも昭和?ただ、行き交う人々の様子から、ここが日本であることだけは間違いなさそうだった。着物か、あるいは開襟シャツとスラックス、ブラウスとスカート、といった服装で、下駄や草履を履いている人が多い。ジーパンとTシャツというファッションの私はジロジロと珍しそうに見られている。早くこの訳の分からない夢から覚めてほしい。そう願いながら歩き続けたものの、私は実家の奥の部屋から突然この場所へ来てしまったため、靴を履いていなかった。仕方なく、靴下のまま歩き続けるしかなかった。足の裏は小石で痛み、靴下は土埃にまみれていた。このままでは歩けない。そう思いながら辺りを見回していると、
ようやく一軒の履物屋を見つけ、私はほっと息をついた。軒先に並ぶ下駄や草履を眺めていると、店の奥にいた店主が顔を上げた。私に気づくと、真っ先に私のジーンズとTシャツへ視線を向けた。
「……ずいぶん、めずらしい身なりだねぇ。」
やっぱり、この時代では浮いて見えるんだ。そう実感した次の瞬間、店主の視線はゆっくりと私の足元へ移った。
「おや、あんた履き物はどうしたんだい」
私は思わず足元を見つめ、うつむいた。
「なくしてしまって……」
店主はしばらく黙っていたが、何も聞かずに店の奥へ入っていく。やがて一足の古い下駄を手に戻ってきた。
「これは売り物にはならんが、履くには十分だ」
店主は鼻緒を軽く締め直すと、私の前へそっと置いた。
「でも……私、お金持っていなくて…」
「いいから履きな」
「ありがとうございます……!!」
「困ったときは、お互いさまだ」
店主は照れくさそうに笑った。
私は何度も頭を下げ、初めて履く下駄で再び街を歩き始めた。
ようやく履き物は手に入れた。けれど、慣れない下駄で舗装されていないでこぼこの道を歩いていたので足を取られ、かなり派手にすっ転んだ。
「痛っ……」
普通に、ちゃんと痛かった。地面に突いた手のひらや膝を見ると、軽く擦り傷ができている。夢では、ないのだろうか。
「大丈夫ですか?」
不意に声を掛けられ、振り返った。そこには、目を疑うほどの超絶美青年が、こちらに優しく手を差し伸べていた。一瞬、心臓が飛び出しそうなほど眩しい美しさだった。夢だからこそ、自分の理想が作り出した幻なのだろうか。
しかし、あまりにもド派手に転んだ姿をそんな超絶美青年に見られていたことが急に恥ずかしくなり、「大丈夫です!!」と叫ぶように言って、私は勢いよく立ち上がった。
「それならいいのですが……」
青年は少し心配そうに見守ってくれていたが、私は恥ずかしさからさっさと立ち去った。
ここがどこなのか、今はいつなのか、思い切って聞けばよかった。
ふと気づけば、街の向こうからラッパを鳴らすお豆腐屋さんの声が聞こえてくる。これはきっと、戦後あたりの昭和の景色ではないだろうか。
たくさん歩き回ったせいで、お腹も空き、喉もカラカラに渇いていた。このままでは脱水症状になってしまうかもしれない。けれど、見る限りコンビニなんてものはない。
早く目が覚めてくれ、と祈りながら、またあてもなく歩き始めた。だんだんと空気は涼しくなり、陽が傾いていく。
待って…野宿は絶対に嫌だ。それに、トイレにも行きたい……
すれ違う人々は、ジーパンとTシャツ姿の私を珍しそうにジロジロと見ていく。こんな珍しい格好の私なんか、誰も助けてはくれないだろう。自分から声を掛ける勇気も出なかったが、いよいよ限界だった。
「すみません、この辺でおトイレを借りられるところはありますか?」
意を決して道行く年配の女性に尋ねたが、「おトイレ?」と怪訝そうに聞き返されてしまった。もしや「トイレ」が通じないのかと思い、「あ、お便所です……」と付け加えると、ようやく伝わったようだった。
そこからすぐの場所にあるその女性の知り合いの家で、無事にトイレを借りることができた。さらに図々しくお願いして、冷たいお水まで飲ませてもらう。冷え切った水が喉を潤していくあたりで、私は確信し始めていた。これは夢なんかじゃない、と。
だとしたら、「トイレ」という言葉すら通じないなんて、一体いつの時代なのだろう。
タイムスリップものの主人公さながらのセリフが、ついに私の口から飛び出した。
「あの……今は昭和何年ですか?」
「昭和25年ですよ」
家の人が、不思議そうに教えてくれた。
お礼を伝えて再び街へ出たものの、あたりはすっかり夕暮れに包まれていた。野宿の恐怖が現実味を帯び、事態の深刻さに胸が締め付けられる。
歩き疲れて道の端にうずくまっていると、「大丈夫ですか? 具合でも悪いのですか?」と、再び声が降ってきた。
疲労困憊のままゆっくりと顔を上げると、驚いたことに、またしてもさっきの超絶美青年だった。もう恥を感じている場合ではなかった。
「道に迷ってしまって……今夜、泊まるあてがなくて困っているんです」
私の必死の訴えに、青年は申し訳なさそうに眉を下げた。
「私の家は貧乏で、とても人を泊められるような広さではなくて……」
それはそうだ。見ず知らずの、しかもこんな奇妙な服装の浮浪者のような女を泊めてくれる人などいるはずがない。絶望感が押し寄せる。
ところが、その青年は続けてこう言った。
「でも、この少し先に、私の知り合いの大きなお家があります。そこなら広くて綺麗だから、あんたを泊めてもらえるかもしれない」
ダメ元でも何でもよかった。どうか、お願いだから……! という祈るような希望を胸に、私は青年の後ろをついていった。
辿り着いた立派な門構えの家。その表札には、くっきりと「黒川」の二文字があった。
「ここのお家です」
と案内され、家の人に声を掛けてくれた。中から年配の女性が出てきて、私の姿を不思議そうに眺めながら、青年の説明に耳を傾けていた。
「……春さんのお願いならねぇ」
女性は渋りながらも、仕方なさそうに私を受け入れてくれた。
春さん……!?
その響きに、私は弾かれたように隣の超絶美青年の顔面を凝視した。
「おじいちゃん!!」
思わず大きな声が響いた。驚く青年の前で、私は慌てて両手で口を覆い、「おじいちゃんだ……」と心の中で呟いた。
言われてみれば、その声もおじいちゃんの面影を残している。何より、これほどまでに超絶美青年で、行き倒れの他人にここまで親切で優しい男など、世界中におじいちゃんしかいるはずがない。
今は昭和25年。計算すると、大体だが、おじいちゃんが20代の若者である時代だ。
「お名前を聞いていませんでしたが、春彦さんでしたか。色々と、本当にありがとうございます!!」
私がおかしなテンションでまくし立てると、おじいちゃんは驚きながらも、いつものあの優しい笑みを口元に浮かべてくれた。
そして、この家の表札は「黒川」。
ということは、まさかここは――おばあちゃんの実家?!
「あの、こちらに寿美江さんというお嬢さんはおられますか?」
お家の中に案内してくれたおばさんに尋ねると、「はい、おりますけど……寿美江と知り合いですか?」と返された。「あ、いえ、まあ……」と挙動不審にモゴモゴと答えたせいで、余計に不審者感が増してしまった。
私は奥の立派な客間に通された。
「今日はこちらのお部屋を使ってくださいね」と案内され、温かいお茶を出してもらう。「お腹は空いてますか?」と聞かれ、あまりの衝撃の連続に忘れていた空腹感が、一気に胃袋へ押し寄せてきた。朝から何も食べていないことを正直に伝えた。
やがて夕食の準備ができたと声を掛けられ、居間へと向かう。そこには驚くほど豪華な食事が並んでいた。そして、テーブルの前には、一人の若い女性がちょこんと座っていた。
――おばあちゃんだ。
私の物心ついた頃のおばあちゃんは、ふっくらした体型をしていた。けれど、「おばあちゃんだって、昔はつばきみたいに細かったんだからね」と、よく若かりし頃の白黒写真を見せられていたので、一目で分かった。
可愛らしいブラウスにスカートをはいた彼女からは、いかにもお嬢様という上品な雰囲気が漂っている。今日、街で見かけたどんな人たちとも違う生まれも育ちもお金持ちの娘という華やかさがあった。
「すみません、突然押しかけた上に、こんな豪華なご夕食までご馳走になり、本当にありがとうございます」
恐る恐る声を掛けると、若き日のおばあちゃん――寿美江は、興味津々といった様子で私を見つめた。
「あなたは春彦さんのお知り合いなの?」
「いえ、私が道に迷って困っていたところを、先ほどの春彦さんに助けていただいて、こちらのお家を教えてもらったんです」
「そうでしたか。お名前は?」
「つばき、と言います」
「きれいな名前ね。私は寿美江と言います。きょうだいはたくさんいるのだけど、みんな結婚して家を出て行ってしまったから、末っ子の私だけが今はこの家にいるのです」
それから彼女は、自分が何人きょうだいかということや、勉強は嫌いだけれど踊りは大好きなことなど、屈託なく色々と話してくれた。
「私はね、かけっこはいつも一番なのよ!」
寿美江が誇らしげに言うので、「私は走るのが本当に遅くて……いつも一番ビリなんです」と苦笑いして返した。すると彼女は「そんなのね、ヨーイドンで勢いよく飛び出して、強気でいけばいいのよ!」と、勝ち気なセリフを放った。
私は自分が36歳であること、結婚して子どもがいることも話した。「子どもたちはどうしているの?」と心配してくれたが、「私の母に預かってもらっています」と答えると、彼女はほっとしたように微笑んだ。
私のことを警戒していたおばさんも、寿美江と私がすっかり打ち解けている様子を見て、安心したように優しい目を向けてくれるようになった。
お風呂を借り、寝巻きまで貸してもらった。寿美江は身長150センチ半ばほどの小柄な女性で、私は170センチある。
「私の服を貸してあげたいけれど…つばきさんは女なのに随分と背が高いのね! 私のお洋服を着たら、全部短くなってしまうわ」
そう言ってコロコロと笑うその笑い方は、私を誰よりも可愛がってくれた、あのおばあちゃんそのものだった。
年の差はひと回りほどあったけれど、私はおばあちゃんである寿美江と、不思議なほど緊張もせず、瞬く間に仲良くなることができた。ただ、会話の端々にはやはり、あの嫁入り道具をすべて燃やす覚悟で逆プロポーズを敢行するだけの、凄まじい気の強さが隠しきれずに見え隠れしていた。
「そろそろ寝なさい」と、私のひいおばあちゃんにあたる寿美江の母に声を掛けられ、私たちはそれぞれの部屋へと戻った。
当然、眠れるわけがなかった。この夢はいつ覚めるのか。いや、これは現実だ。だとしたら、私は現代にいる二人の息子たちに、もう一度会えるのだろうか。ぐるぐると不安が頭を巡り、身体は疲れ切っているのに目は冴え渡る一方だった。
高い天井を見上げ、今夜は一睡もできない覚悟を決めたそのとき、コンコンと微かに部屋のドアがノックされた。
寿美江がそっと扉を開け、中を覗き込んできた。
「まだ寝ていなかったのね。良いものを見せてあげるから、こっちにいらっしゃい」
どうせ眠れない夜だ。「うん!」と二つ返事で、私は彼女について行った。
寿美江が広間の引き戸をゆっくりと引く。真っ暗な部屋の真ん中へ進み、彼女が電気を灯した。
その瞬間、私の目は完全に釘付けになった。
そこには、豪華絢爛な鏡台や箪笥、眩しいほどに鮮やかな着物や帯が部屋を埋め尽くすように整然と並んでいたのだ。
驚きのあまり胸がいっぱいになり、息が止まりそうだった。
「何これ……! すごい……!!」
ようやくそれだけの言葉を絞り出すと、寿美江は自信に満ち溢れた、不敵とも言える笑みを浮かべた。
「これはね、私の嫁入り道具なのよ。あなたを今日ここに連れてきた春彦さん、いるでしょう? あの人と結婚するためのね」
そこまで聞いて、私は心の中で合点がいった。親戚たちが言っていた「嫁入り道具放火未遂事件」は、やっぱり誰かが面白おかしく創作した昔話で、本当はこうして正式にちゃんとおじいちゃんとの結婚が決まっていたのだ、と。
だが、寿美江は言葉を続けた。
「明日、春彦さんをここに呼び出して、結婚の約束をしてもらうの。もし、あの人が私と結婚すると言ってくれなければ――これは全部、この場で燃やしてしまおうと思っているの。この話はつばきさんだけに話したことだから、お父様とお母様には絶対に内緒にしておいてね」
まるで、明日のデートの予定でも話すかのような軽い口調で、彼女はとんでもない計画を打ち明けてくれた。
私は咄嗟に言葉を失ったが、「春彦さんは、そんなに素敵な方なんですね」とだけ返した。
明日の逆プロポーズの結果を知っている私。「きっとうまくいきますよ」と言いそうになったけれど、あえてその言葉は喉の奥に飲み込んだ。若きおばあちゃんには、今その胸にある張り詰めた緊張感も含めて、人生で最高の幸福を自らの手で掴み取ってほしかったからだ。
「素敵なものを見せてくれて、ありがとう。おやすみなさい」
それぞれの部屋に戻り、布団に入った。
翌日。春彦さんには午後4時頃に来てもらうことになったからと、日中、寿美江が近所を案内してくれた。
見るもの聞くもの、すべての景色に信じられないほどの新鮮な反応を示す私を見て、「つばきさんは私より長く生きているのに、そんな子どもみたいに喜んで、本当に面白い人ね」と彼女はまたコロコロと笑っていた。
それもそのはず、私は彼女たちがまだ見ぬ未来から来ているのだから。自分が生まれる何十年も前の昭和20年代の世界は、どこを切り取っても輝くほど新鮮だった。
そして私は、これがもう夢ではないことを完全に受け入れ始めていた。
同時に、一つの恐怖が頭をもたげる。万が一、今日の寿美江の逆プロポーズが失敗に終わったら、歴史が変わり、私の存在そのものが消えてしまうのではないか。私が過去に来てしまったことで、すでに未来が狂い始めているかもしれない。そんな不安が背筋を伝った。
家に戻り、おやつまでご馳走になった。私はいつまでこの黒川家にお世話になってしまうのだろう。申し訳なさと焦りが募る。
そして午後4時。ついにその時が訪れた。
おじいちゃん――春彦さんが、黒川家にやってきたのだ。この後、おばあちゃんから受けるであろう脅迫まがいの恐ろしいプロポーズなど、知る由もない穏やかな表情で。
私は寿美江に「奥の部屋で祈っているから、後で結果を教えてね」と伝えて一度部屋に入った。けれど、どうしても気になってじっとしていられない。春彦が広間に通された気配を察知すると、私は足音を消して広間の引き戸の前へと身を潜めた。そして、数ミリだけ、そっと引き戸を開けて中の様子を覗き込んだ。こちらから見えるのは春彦の後ろ姿だけだったが、対峙する寿美江の顔ははっきりと見えた。
そしてついに、寿美江の口からあの伝説の言葉が放たれた。
「もし、私と結婚してくださらないのなら――このすべての嫁入り道具を、今、この場所で、すべて燃やします」
本当だった。親戚やご近所さんから聞いていたあの恐ろしいエピソードは、何一つ誇張のない真実だったのだ。後ろ姿からでも、春彦が完全に凍りつき、凄まじい緊張感に囚われているのが伝わってきた。
私はただ、引き戸の隙間から息を殺し、歴史が正しく進むことを、二人の未来が繋がることを祈り続けた。
――見事、大成功だった。
私の知っている歴史の通り、春彦はおばあちゃんの凄まじい覚悟に飲み込まれ、しっかりと結婚の約束をしてくれた。
「良かったぁ……」と、私は心の底から安堵の息を漏らした。急いで足音を立てずに奥の部屋へ戻り、待機する。
少しすると、コンコンとドアがノックされ、寿美江が春彦と並んで立っていた。
私が「どうだったんですか?」とわざとらしく尋ねると、寿美江は「当然、大成功よ」と、満面の笑みで胸を張った。隣に立つ春彦は相変わらず何も言わなかったけれど、いつものあの穏やかで優しい表情を浮かべていた。その後、二人は寿美江の両親にも無事に報告を済ませていた。
やがて夜になり、私は誰もいなくなった広間へと一人向かった。並べられた煌びやかな嫁入り道具を眺めながら、「こんなことになるなら、現代からスマートフォンを持ってくればよかったな」と思った。せめて写真だけでも残したかった。
私は、美しく輝くあの三面鏡の鏡台の前に静かに座り、そっとその鏡を開いた。
すると、あの時と同じように、鏡から強烈な光が放たれた。私は思わず、目をぎゅっと強く瞑った。
そして――そっと恐る恐る、目を開けると。
そこは、実家の奥の部屋、あの鏡台の前だった。
「夢……だったの?」
慌てて自分の膝と手のひらを見る。そこには、あの舗装されていない昭和の道路でつまずいて転んだ、あの擦り傷がしっかりと残っていた。
やっぱり、夢じゃなかった。
一晩お世話になり、あんなに仲良くなれたのに、私はおばあちゃんにお礼の一言も言えないまま戻ってきてしまった。
けれど、私はあの夜、寿美江からプロポーズの計画を聞いた後、部屋にこっそり紙とペンを借りて、一枚の手紙を書き残してきた。
寿美江さんへ
見ず知らずの私を、お家に泊めてくれてありがとう。
一緒に美味しいご馳走をいただいたり、お洋服を貸してくれたり、楽しくおしゃべりしてくれたこと、本当に嬉しかったです。
春彦さんへのプロポーズ、見事に大成功して良かったね。
きっとこの先、可愛い子どもにも恵まれることでしょう。
さらには、可愛い孫にも恵まれることでしょう。
私はいつでも、そしていつまでも、寿美江さんの幸せを願っています。
ありがとう。
つばきより
私は、あの逆プロポーズが成功することを知っていた唯一の未来人だったから、あの手紙が書けた。
でも、もしかしたら、成功することを確信していたのは私だけではなく、寿美江自身も同じだったのかもしれない。あの時の彼女の自信は、本当に半端ではなかったから。
私は、平成の現代へと完全に戻ってきた。
そして、実家の奥の部屋から狂ったように飛び出し、自分の二人の息子たちの姿を見つけるなり、力一杯強く抱きしめた。
「何だよー、お母さん!」
息子たちは不思議そうに声を上げて笑っていたけれど、私は彼らを離さないまま、ただただ大粒の涙を流していた。
戻ってこられて、本当によかった。
現代に戻り息子たちに会えたことの安心感と、過去に行き、おばあちゃんのあの強さと愛の原点に触れられた気がして、胸がいっぱいだった。
やっぱりあれは夢なんかじゃなかったよね、おばあちゃん。
