大嫌いだった作文を「好き」に変えてくれた、けんじ先生の話
やるやる詐欺の私が、200日書くと決めた話|139日目
苦手の中から「好き」をくれた、けんじ先生
「今日は遠足で、奈良に行きました。鹿がたくさんいました。お弁当を食べた後に、お寺に行きました。面白かったです。」
私は中3くらいまで、こういう作文を書き続けた。
ひたすら行動のログを書く。先生が「気持ちがどこにも書かれていません」と赤ペンを入れるから、最後に「面白かったです」を足す。
面白くなんて、なかった。「面白かったです」は、ただ余白を埋めるための言葉だった。
作文を書く時間は、苦痛でしかなかった。
高校は、ヤンチャな子猫たちがたくさんいることで有名な女子高に合格した。隣のクラスから「オラァ、出てごいやァ!」とボス女子が教室に乱入し、突然喧嘩が始まる。
女子同士なので、パンチより髪の引っ張り合いがトレンドだった。廊下に散る茶色い髪の束を見て、「いじめられたら怖いから」と、中学までオタクだった私は早々に高校デビューを果たした。
そんな高校に赴任してきたのが、けんじ先生だった。
真面目そうな新卒の男性教員。「男性、若い」というだけで女子高では需要が高く、生徒に下の名前で「ケンジィ♡」と呼ばれ、抵抗不能な頬キッスを受けたりしていた。お得なのか、気の毒なのか。
春の遠足のあと、けんじ先生は「遠足の作文」を宿題に出してきた。
また赤ペンか、と気が重くなった。でも、けんじ先生は何を書いても許してくれそうだな、とも思った。
そもそも私には、遠足の思い出が「鹿に弁当を食べられて悲しかった」しかない。仕方がないので、遠足前のひと月のことを書いた。
だいたい、こんな内容だったと思う。
『私は遠足までのひと月で、自転車を3台買い替えました。
3回交通事故に遭ったからです。2回はぶつかって青タンで済みましたが、3回目は吹っ飛んで、「あ、お母さん」と過去がスッとよぎりました。
これが走馬灯か、と思いました。さいわい打撲と自転車の破損で済み、コンビニから店員さんが「大丈夫ですか」と駆けつけてくれて、人の優しさっていいな、と思いました。
あまりに運が悪いので、「もう遠足には行けないのでは」と思っていました。でも行けてよかったです。ただ、鹿に弁当を食べられて悲しかったです。』
「怒られるかな」と、少しドキドキしながら返却を待った。返却の日、朝一番に「黒野さん、黒野さん」と呼び止められた。
先生はニヤニヤしていた。
「あの作文、なんなんですか」
そして、こう続けた。
「あれ、職員室で回していいですか」
私は勉強ができなかった。体育も音楽も美術も技術も家庭科も、そして作文も、壊滅的にできなかった。
だから、私の書いたものが誰かの心を動かしたことが、とてつもなく嬉しかった。
先生はずっとクククと笑っていて、そんなに面白かっただろうかと思いつつ、やっぱり笑ってるから面白かったんだ、と受け取ることにした。
それまで私は、文章を「丁寧語で、上から何マス空けて、ルールを守って」と、型に押し込めようとして書いてきた。
初めて「怒られなさそうだし」と、好きなように書いた。そうしたら、先生が笑った。
その日から、私は文章を書くことが少し好きになった。
「面白かったです」としか書けなかった私が、初めて、誰かに「面白い」と笑ってもらえた。
同じ言葉なのに、まるで違って聞こえた。
今でも、書くことが好きになってよかったと思っている。文章を書く場所では、私の不器用さが無効になる。ときどき、弱さが武器になる事だってある。たくさんの「壁」が、ここでは取り払われる。
けんじ先生に出会わなければ、私はここで言葉を書いていなかったかもしれない。
苦手の中から「好き」になるきっかけをくれた人、けんじ先生は、私の忘れられない先生だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

