詩は音楽にならなかった言葉であり、音楽は言葉にならなかった詩である。
こんにちは、黒兄です。
今回は「音楽」についてお話しします。
私は現在貿易会社を経営しておりますが、起業前まではたくさん音楽に携わってきました。
辛い時、音楽に救われた経験は何度もありますし、音楽を通じて人と繋がった事も数えきれないほどあります。
今回はそんな私の視点から「音楽」を語りたいと思います。
では、目次。
🪇私と音楽
コンポとの出会い
まず、私が最初に音楽にハマるきっかけとなったのは、小学校の中学年くらいの時に、親にクリスマスプレゼントでコンポを買ってもらった事です。
最近はめっきり見なくなりましたが、そのミニコンポはCD、MD、テープ、ラジオと一体型になっているもので、当時はTSUTAYAで借りてきたCDをテープに録音して聞いていました。

こんなやつです。
懐かしいですね。
今はサブスクで曲聴き放題ですが、当時はわざわざCDを借りにいって、それをテープやらMDやらに録音して聞いていたわけですから、テクノロジーの進歩には本当に驚かされます。
新作CDなんかは値段が高くて、当日や一泊で借りていた記憶があります。
録音したらすぐ返しに行かなければいけなかったということです。
とにかくそういう風にして、毎週何かしらのCDを借りにいって色々な曲を聞いていました。
90年代や2000年代前半は名曲が多いですからね。
足の骨折
そんな中、私は学校のサッカーの授業で左足を骨折してしまいました。
約2ヶ月間入院することになり、退院後は車椅子生活が始まりました。
小学生という多感な時期にこんなことになってしまったものですから、物凄いストレスでした。
数ヶ月の車椅子生活を経た後、松葉杖生活になったので、結局完治するのに1年以上かかったと思います。
私は自暴自棄になり、親とよく喧嘩して部屋にこもっていた時がありました。
そんな時に私はずっとこのコンポで音楽を聞いていたのです。
なぜだか分かりませんが、その時無限ループしていたのが、この曲です。
いやー懐かしい、名曲ですね。
サビの高揚感と切ないメロディーが大好きです。
Westlife(ウエストライフ)はアイルランド出身の男性ボーカルグループです。
イケメンで歌が上手くてというのは、日本でいうジャニーズ(現STARTO ENTERTAINMENT)みたいな扱いでしょうか。あ、ジャニーズは歌が下
この曲はカバー曲で原曲は、Cliff Richard(クリフ・リチャード)です。
リリースはなんと1975年。
とても古い曲なんですね。
内容はというと、とても直球で甘いラブバラードです。
当時私は小学生でしたから、彼女がいたわけでもバラードが好きなわけでもなかったのに、何故かこの曲にハマってしまい、リピートして一日中聴いていた記憶があります。
これが親と喧嘩して学校でもうまくやれず、ひとりぼっちだった私を音楽が救ってくれた初めての体験でした。
ピアノとドラム
実家にはピアノがあったので、母親に教えてもらいながらたまに弾いていました。
『ネコ踏んじゃった』を母親と連弾(二人で弾くこと)したりして、楽しんでいましたね。
今思えば母親と自分が繋がっていたのは、音楽だったと思います。
こうやってピアノを弾いたり、好きなアーティストの話をしたり、そういうことが多かったです。
母親はもう60歳を過ぎていますが、今でも1人で好きなアーティストのライブに行くようなパワフルな人です。
その後、私は中学校に入ってからドラムを習い始めました。
この頃からバンドミュージックも聴くようになりました。
また、もう時効なので言いますが、当時怪しいダウンロードサイトが流行っていて、ダウンロードした曲をCD1枚500円で同級生に売ったりしていました。
今では考えられませんが、当時はまだ著作権の意識が希薄でしたからね…良い思い出です。
高校に入ってからは友達とバンドを組んでビートルズのコピーバンドをやったり、大学では軽音楽部に所属し、スピッツやSHAKALABBITS、ヘビーメタルなんかをコピーしていました。
中学生以降はバンドミュージックやヒップホップを聞くことが多かったですね。
とにかく音楽の知識は誰にも負けたくないと思っていたので、あらゆるジャンルを聴きまくっていました。
💽DJ時代の感動エピソード
その後紆余曲折ありましたが、やはり音楽に関する仕事をしたいと思い、渋谷にできた大型ナイトクラブに就職しました。
一応箱DJということで、自分自身もDJプレイをしますが、その他Lighting、PA、イベンターの管理等様々な仕事をしていました。
ここから本題です
そして、そのクラブにいつも土曜の22時の開店と同時に1人で来るおじさんがいたんですね。
クラブに行ったことがある方ならわかると思いますが、正直人が入って盛り上がってくるのは、終電がなくなるくらいの時間帯からです。
22時の開店と同時に入ってきて、踊り狂う人なんてほぼいません。
ですが、そのおじさんはいつも開店から1人できて、ステージ横の柱の影で狂ったように踊っていたんです。
お酒も飲まず、たった1人で。

こんな感じで、オタ芸のような踊りを踊っているものですから、私達スタッフの中では一種の有名人みたいになっていたんですね。
ですがその人の醸し出す独特の雰囲気から、誰も話しかける人は現れず、ずっと謎の人のままでした。
ある時、私がプレイし終わってステージから降りた時に、「お疲れ様です!」と彼から話しかけてきたのです。
私は少しびっくりしましたが、「話すのは今しかない」と、思い切って話し始めたんですね。
そしたら、滑舌が悪すぎて聞き取りづらいんです。
多分何かしらの病気をお持ちなのだろうと思いましたが、そのことについては触れずにいました。
でもこの会話をきっかけに、その後もちょこちょこ話すようになったんです。
そして、私の誕生日の時にその方が、日本酒を持ってきてくれたんですね。
とても嬉しくて、また色々長話をしたんです。
その時わかったのが、その方は昔何かの病気(病名は忘れました。)で舌を切断しなければいけなくなったようなんです。
足の皮膚等から移植し、人工的な舌を造って手術は無事成功したらしいのですが、当時は喋ることが一切できず、どん底だったようです。
そんな時に彼を救ってくれたのが音楽だったようで、そこからクラブに踊りに行くのが楽しみになったようなんです。
彼は言いました。
「音楽に言葉はいらないでしょ?」
「いつも素晴らしい音楽をありがとうございます。」
と。
正直そんなことを言われると思っていませんでした。
22時からはお客さんもほとんどいないので、選曲もそれほど凝っていなかったですし、申し訳なさと嬉しさで思わず泣きそうになってしまいました。
音楽のパワーは偉大だ。
私も過去の車椅子生活を思い出し、思わずこう思いました。
最後に私が大好きな音楽に纏わる詩を書いて締めます。
詩は音楽にならなかった言葉であり、
音楽は言葉にならなかった詩である。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
