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秋ピリカGP応募作品「はじまりをとじる」

溶かしてしまうそうだ。

壁面いっぱいのファイルに目をやる。
入社して初めに配属されたのがここ、資料管理室。あれから20年余、ラベリングとファイリングの日々は時代の変化とともに少しずつ形を変えていった。私は同じ場所で戸惑いながらも変化を受け入れ、現在に至っている。

「のぞみ君」
段ボールの向こうから室長の声がした。
「今日はもう遅いから適当なところで切りあげていいですよ」

偶然にも同じ田中姓だったので「のぞみ君」と下の名前で呼ばれてきた。
「でも明日1日しかありませんし」
もうちょっとだけやっていきます。
後半の声は呟くようにして手近なファイルに手を伸ばす。せっかく綴じたのに外していくなんて。

紙以外のものを混入しないようにとの達しで、私はファイルと紙を分別している。ここにある紙は全部溶解処理されるのだ。なにやら特別な機械に入れて、水と一緒に撹拌し、バラバラの繊維にするらしい。もう2度と読めなくなるように。

ペーパーレスは環境に優しい。それはわかっている。電子データにすれば検索するのも簡単で効率的だ。場所もとらない。保存状態が悪ければ消えてしまうことだってある紙は、変色や劣化の恐れもある。

「歩くデータベース」と呼ばれた室長は今どんな気持ちで手を動かしているのだろう。
段ボールの隙間から見え隠れするワイシャツの背中。そろそろ定年が近いと聞いている。

「のぞみ君は庶務課に異動するんでしたね」
背を向けたまま室長は言った。
「はい」と返事しながらファイルの留め具を外す。手は止めない。
「室長はどうなさるんですか」
「僕は早期退職をします。どうせあと数年だ」
手を止めた。

「お辞めになるんですか」
知らなかった。てっきり定年まで勤め上げると思っていた。
「僕はここしか知らないから。アナログ人間だし、今さらデジタルに移行できそうにないよ」

室長は紙を慈しんでいた。その表現がぴったりだった。丁寧に取り扱い、綴じていく。資料の在り処をきちんと把握し、迷子にしない。いつも愛情にあふれていた。
紙という無機物がまるで有機物に変換されるように。そばで見ていた私がそう錯覚してしまうように。

「お辞めになって、どうするんです?」
作業を再開する。多分室長は手を止めていない。「資料管理室の最後の最後を見届けて…あ、溶解処理にも立ち会う予定です」

それは辛いことじゃないですか。

 やがて今日の作業が終わり、階下へ行く室長とエレベータホールで分かれることになった。
「全部溶けてなくなっちゃうなんて」
上下のボタンを同時に押して私は言った。
「私たちのしてきたことまで消えてしまうみたいです」
下りのエレベーターが先にやってきた。
誰もいない箱に室長が乗り込んでいく。

「消えませんよ、ここに」
指で胸を叩くような仕草をした室長が扉の向こうに消えていく。
低く唸るような機械音だけを残して。

人気のないフロア、続いて上りのエレベーターが訪れる。

高音が響いて扉が開いた。
(本文noteカウントで1200文字)

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