逆さ磔にされた武田の将――秋山虎繁と、岩村城おつやの方
天正三年(一五七五)十一月、長良川の河原に、磔柱が逆さに立てられた。縛りつけられていたのは、武田二十四将の一人・秋山虎繁。そしてその傍らにいたのは、織田信長の実の叔母――おつやの方だったと伝わる。
逆さ磔は、血が頭に下りて容易には死ねない、むごい処刑である。なぜ信長は、降伏した敵将を、しかも自らの叔母までを、これほど残酷に殺さねばならなかったのか。この問いの底には、戦国でも屈指の物語が沈んでいる。
名のゆらぎ――「虎繁」か「信友」か
物語に入る前に、いつもの確認を一つ。この武将を、私たちは長く「秋山信友」あるいは「秋山晴近」の名で呼んできた。しかし一次史料に現れる確実な名乗りは「虎繁」である。「虎」は武田信虎から与えられた偏諱と見られ、信玄のごく初期から仕えた譜代であったことを示す。「信友」「晴近」は後世の編纂物が広めた呼び名だ。本シリーズが繰り返してきた通り、私たちが慣れ親しんだ名前ほど、その出どころは新しいことが多い。
確かな史料からたどれる虎繁は、伊那郡代として信濃・美濃方面の最前線を預かった、いわば武田の「対織田担当」というべき将である。「武田の猛牛」と恐れられ、のちに徳川家康すら一目置いたと伝わる。
岩村城――戦わずして城を取る
元亀三年(一五七二)十月、武田信玄は西上作戦を起こす。山県昌景と秋山虎繁の別働隊が三河・東美濃へ向かい、信玄自身は遠江へ進んだ。このとき虎繁が矛先を向けたのが、東美濃の要衝・岩村城である。
城を守っていたのは、おつやの方だった。彼女は織田信定の娘、すなわち信長の叔母にあたる。美濃の国人・遠山景任に嫁いでいたが、その景任が病没。二人に子がなかったため、信長は五男の御坊丸を養子として送り込み、まだ幼いその後見として、おつやの方が事実上の女城主となっていた。
虎繁は、力攻め一辺倒ではこの城を落とさなかった。和議によって城を手にしたのである。城兵の命を助ける代わりに、おつやの方が虎繁の妻となる――そういう条件であった。御坊丸は人質として武田方へ送られた。血を流さずに敵の城を落とす。孫子のいう「戦わずして人の兵を屈する」理想に、形のうえでは近い決着だった。だが、その先に待っていたのは、理想とは正反対の結末である。
約束は、破られた
天正三年(一五七五)五月、長篠の戦いで武田勝頼が大敗する。勢いに乗る信長は、嫡男・信忠に岩村城を攻めさせた。虎繁は織田信忠の本陣へ夜襲を仕掛けて活路を開こうとするが撃退され、多くの将兵を失う。兵糧も尽き、万策尽きた虎繁は、ふたたび城兵の助命を条件に城を開いた。
ところが信長は、この約束を反故にする。降伏した城兵を殺害し、虎繁とおつやの方ら数名を岐阜へ引き立てた。そして長良川の河原で、逆さ磔の処刑が執り行われた。
ここには、信義をめぐる二重の構図がある。虎繁はかつて、城兵を助けると約しておつやの城を得た。今度は、城兵を助けると言われて城を開いた。信義によって城を得た男が、信義の崩壊によって命を落とした――そう読むこともできる。
史料の階層――どこまでが確かか
ここで立ち止まりたい。この物語のうち、どこが確かな史実で、どこが後世の脚色なのか。
岩村城の落城と、虎繁が処刑された事実は、信長の旧臣・太田牛一が記した『信長公記』に拠ることができる。同時代を間近で見た人物による、一級史料に近い記録だ。この骨格は信頼してよい。
一方で、彩り豊かな細部の多くは、軍記や後世の伝承に属する。おつやの方の「美貌」、虎繁との恋情、処刑のされ方が逆さ磔だったのか、それとも信長が手ずから斬ったのか――いずれも諸説あって定まらない。おつやが処刑に際して織田を呪い、その祟りが武田滅亡と本能寺の変をもたらした、という「岩村城の祟り」に至っては、完全に怪談の領域である。逆さ磔の理由を、長篠での人質処刑に対する報復に求める説も、確証があるわけではない。
本シリーズの立場は、ここでも変わらない。物語が最も生き生きと輝くのは、たいてい最も裏づけの薄いところだ。だからといって、それを切り捨てる必要はない。確かな骨格と、後世が結んだ彩りとを、層として見分けながら味わえばよい。むしろ、どこからが「語り」なのかを知っているほうが、物語は深く味わえる。
結――城は、いまも残る
岐阜県恵那市岩村町。日本三大山城の一つに数えられる岩村城の石垣は、いまも往時の姿をとどめ、その城下は「女城主の里」として知られている。秋山虎繁とおつやの方が結ばれ、そして引き裂かれた舞台は、観光地として静かに人を迎え続けている。
戦わずして城を取り、約束に殉じて命を落とした男。敵の血を引きながら、敵の城を守り、敵将の妻となった女。二人の生涯は、史料と伝承のあわいで、いまも語られ続けている。そのどこまでが確かなのかを見極めることこそ、戦国を原典で読むという営みの、いちばんの醍醐味なのである。
本稿の参考書
中川太古 訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫・KADOKAWA) 本シリーズの看板「原典で読む」を、いちばん手早く体験できる一冊。岩村城の落城も虎繁の最期も、信長の旧臣・太田牛一による一級史料『信長公記』に記されている。その現代語訳を通読すれば、本稿が「確かな骨格」と呼んだ部分が、どの記録に支えられているのかを自分の目で確かめられる。軍記や伝承の彩りと、一次史料の骨格との段差を体感したい読者に。 → https://amzn.to/4oqODkl
丸島和洋『戦国大名武田氏の家臣団――信玄・勝頼を支えた家臣たち』(教育評論社) 大河ドラマの時代考証も手がける戦国大名研究者が、武田家臣団を「郡司」「国衆」「側近」といった役割から精密に描いた一冊。秋山虎繁のような前線の地方支配責任者が、武田権力のなかでどう位置づけられていたかが見えてくる。「武田の猛牛」を、逸話の英雄ではなく組織のなかの一機能として捉え直したい読者に。 → https://amzn.to/4veuGjE
