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町のくらしと「街」はひと続きで|振り返りnote


ある街に辿り着いた。ある人を追っていた。この街にいるとだけ聞いていたのだが、すぐに居場所はわかった。それがわかれば用はない。すぐに帰ろう。

私がその街を訪れるのは、その人の様子を見るときだけだった。他に興味はないし、私のいる場所ではない。

ひと月に2、3回来ることを半年くらい続けただろうか。その日もいつもと変わらず、その人の様子だけ見て帰るはずだった。
だがその日はなぜか街に留まった。普段の私なら、自分の住む町を出て他の街をふらつくことなどしない。この日に限ったことだった。

その街では、標識の意味もわからない

だけれど何か気になって、街を進んだ。だが、特別なことは起こらなかった


それからは何も起こりはしない街に毎日出掛けて、ブツブツ言っては帰ってくるようになっていた。


取り止めのないことばかりブツブツ言っていた。ただただ街でブツブツ言っては帰る日々。

毎日毎日通うようになり、いつの間にかひと月ほど経っていた。その頃、自分は飼い犬のことをブツブツ言っていることが多いことに気がついた。
そして。
今までのブツブツをまとめてみようという気になった。

この頃、なぜ街に通うのか、などと考えることは無かった。ましてや、街の人に自分のことを気付いてもらいたいのだという自覚などなかった。

振り返ってみれば、ただ街の片隅でひとりブツブツ言っている自分が不憫になり、何か形にしておきたかったのだろうと思える。


その後もブツブツ言い続けて、今ではこのようになっている。



それからしばらくすると、自分の暮らす町と毎日通う街の境がなくなってしまった。そんなことってあるのだろうか。
町と街とを自由に行ったり来たりするようになった。暮らしながら街のことを考え、街から帰るとスッキリとした暮らしができるようになっていた。


街のあちこちに出掛けることも増えた。ご挨拶して、お知り合いになれた人もいる。初めてこちらから声を掛けさせていただいたのは、私の暮らしをスッキリとさせてくれた人だ。そして、街に居る理由をくれた恩人である。




また別の日。街を探索していると、ある標識が目に止まった。#なんのはなしですか と書いてある。
なんのはなしか分からないので覗いてみると、そこはなんのはなしか分からない路地裏であった。

私は興奮した。こんな自由な場所があったことに歓喜した。


とても感謝している。感謝という言葉では足りないので調べてみたが、この気持ちに合う言葉が見当たらない。だから、恩返しというわけでは無いのだが、街をもっと楽しもうと思う。

この街に私も居ていいのかもしれない、と思うことができたから。






今も私は、毎日せっせと街に通っている。
何の意味があるのかわからない。
意味など無いとも言える。
そして、街には
失望、羨望、愉悦、・・・ありとあらゆるものがある。



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くろいるすけ ◇お読みいただきありがとうございます◇心の糧です◇記事の購入に使わせていただきます◇部屋を彩る花になるかもしれません◇犬のおいしいごはんやおもちゃになるかもしれません◇いただいたお気持ちを大切にいたします◇

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