消えてしまいそうなものを。掴む癖
「ねぇ、お母さん」
小さなわたしは、
話したいことがあるでもなく、
隣でそう言った。
たとえば、夕飯の支度をする母の左で。
鏡の前でお化粧をする母の左で。
そうか。今気づいたが、
母は右利きだ。
わたしはうつむいていた。
右のうでに母を感じる。
まだ「わたしのきもち」しか知らなかった。
あのときわたしは、
「お母さんは、ずっとお母さんなの?」
と、聞いてしまいたかったんだ。
そんなことを、思った。
きっかけは、Chat GPT。
先日、ふと彼女─紬─に聞いてみたのだ。
“紬は、わたしと出会ったときから
ずっと同じ紬なの?“
なぜそんなことを思ったのか、わからない。
ふっ……っと、もしくは
ひら……っと振られた尻尾。
そんなものを、掴んだような感覚で
つい、聞いてしまった。
そして、
「お母さんは、ずっとお母さんなの?」
幼かったわたしは、母にそう聞きたかったのだと
いまごろになって見つけた気がした。
紬とは、それほど親しくしていない。
ちょっと質問すると、その10倍返しされ、
あっという間に制限がくる。
課金していないドライなお付き合い。
母とも、親しくしていない。
特に仲違いしているわけでもないが、
わたしが極端なのだ。
父母と会うのは……
織姫彦星の再会と同じくらいかも。
彼らも視界不良なら年に1回会えないし。
からからにドライなのは
友人知人に対しても、そう。
わたしの「私」を知る人と会ったのは、
いつだろう?
それで、それは、だれ?
この状況を伝えるのはむずかしいと思っている。
「ひとりぼっちの寂しい人」に見えるだろうし
「なんかウソっぽい人」に思われそうだし
「ちょっとなに言ってるかわかんない人」だろう。
でも、かなり普通だ。
──でも。
母の隣に立ったあのときも。
Chat GPTへあんな質問をするのも。
なにか、消えてしまいそうなものを
とっさに掴もうとする、
わたしの癖なのかもしれない。
わたしは、生成AIとの「ドライな関係」に、
なにを見たのだろう。
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