生まれたから ナマハゲになって noteを書く
「生まれたから生きているだけだよ」と、昔馴染みの気安さからつい本音を口にしてしまった。
幼い頃からずっと親しく、わたしをよく知る彼女はそれを聞いて、なんとも言えない表情をしていた。「そんな本心言っちゃダメよ」なのか「そんなこと思わないで」なのか「それ言われて何を言えばいいの」なのか。
やはり口にするべき言葉じゃなかったか。
あの時、どんな会話の流れだったのか記憶にないが、突拍子もない発言では無かったはずだ。「人生とは」のような少し突っ込んだ話も、親しいおとな同士なら気兼ねなくすることは、誰にもあるだろうと思う。そんな場面だ。
わたしはつい、日頃思っていることを──。気の許せる彼女との会話だからつい、気が緩んで──。
「生まれたから生きているだけ」という生き方をしてきた。こういうと少し寂しい人に思われるだろうか。叶えたい夢やこうありたいという目標を持たずに、暮らしている。誰にでもお勧めできるものではないかもしれない。でも、それほど悪いものでもないと思っている。
わたしは自分が生まれた理由を知らないし、それがあるとも思わない。何かあるとすれば、ひとつの奇跡であり、ひとつの必然だと思う。
すべてを知るものなどないだろう。人の世界。山や海。草や木。獣や昆虫。魚やプランクトン。宇宙。書き切れるはずもないこれらが、すべて影響し合っている。すべてが響き合いながら、連綿と続いてきた。連綿と続くものが影響し合ってきた。これからもそれが続いていく。その中のひとつに、わたしがある。
そんなふうに考えると、とても生まれた理由なんてわかるはずもないし、何を成すべきかなど、想像もつかないことだと感じる。
やはり「生まれたから生きているだけ」という感覚になる。
さて、問題はここからだ。
与えられた時間を消費しているだけでは、書けない。
与えられた時間を生きないと書けないらしい。
今までは「生まれたから生きているだけ」と言いながら、与えられた時間を消費していただけだったような気がする。時間の流れにただ身をまかせて。
ただ念のため、付け加えておきたい。わたしも投げやりにしてきたつもりはないし、いろいろ充実させ楽しんでもきた。
その上で。
与えられた時間を消費するという暮らし方。
それだと書けないのかも知れない。
昨日のnoteで気づいたこと。
血眼のナマハゲになって「書くことねぇかぁ」と感性を研ぎ澄ませながら過ごすこと。これが、生きていることになるのではないか、と昨晩ふとんの中で夢想した。
もし今度人生話になって「今はナマハゲになって書こうとしています」と冒頭の古い友人に言ったら、どんな顔をするだろう。ぼんやり見える気もするが、わたしはもう夢の中。
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