老人革命 第3章 5、遥かなる旅立へ

・・・天の川銀河に生きる生命の世界・・・
・・四天王に踏みつけられる天邪鬼にも人権を・・
・・罪と恥 理性を占拠する恐怖の覚醒・怒り・・
・・百年千年後はどのような世界・文化に発展・・

 人は人間として誕生するのでは無い、人間として成長する。
 日本は「恥の文化」欧米は「罪の文化」と言われますが、現実には境界は曖昧とも言えます。
 何故なら世界的な右傾化、リベラルの後退の潮流は日本でも顕著です。どこに変化の要因は有るのでしょうか?恥・罪の強弱よりも人権意識の共有の欠如や、自尊心の薄弱さからの差別と自己満足に有るのではと感じます。 キリスト教文化が「自分と同じ様に隣人を愛しなさい」が収入階層や性別、国や民族、宗教の違いによって簡単に差別意識を持つ危険性を看過し、差別を正当化しています。

 大脳生理学の発展は「罪と恥」 脳内での同じ部位の働きであることが明らかになっています。扁桃体です。身体の危険、防御を感知するシステムですが、社会的な孤立が生存の危機となります。人間は群れから外れると命の危険に直結していました。社会的な「罰」や「恥」は「恥をかく=共同体から拒絶されるかもしれない恐怖」であるため、扁桃体はこれを危険信号としてキャッチします。
 危険信号が恥、「恥ずかしい」と言うのは新しい感覚、認識です。大勢の面前や特定の人に向かって自分の意見を言うことが恥かしい?人と違う事が恥ずかしい?しかし、人と違うことが逆に自己の誇りにもなります。流行やブランドによって価値ある物を身に付ける事がステータスとして美意識と優越感を満足させ、或いは、それでもって劣等感や羨望を抱くとすれば文化の進化に何の意味を見いだすべきでしょうか?
 前章の愛の再興によって見いだした「愛の原理」「生命の原理」「普遍的な愛」「絶対的な愛」は一つのフレーズです「私がある限り貴方があり、貴方がある限り私はある」は人が社会の中で存在感や自己肯定をそれだけで充足するものです。
 それは、人が自分の死後の世界を想像する思考のレイヤーや、人には罪がある存在とする原罪意識の思考のレイヤーの解除、消失を意味します。これらの思考のレイヤーを除けば、人間の世界をありのままに、より良く理解する事が可能になります。それは急速に発達した生命科学や生命史だけで無く、科学全般の発達はAIを含め、文化が文明に遅れている現実を自覚する必要が有ります。最も遅れているのは、単純に生命として、性欲の認知から人間性を肯定する事です。或いは、仏教の煩悩からの解脱では無く、煩悩の認知です。私たちが過去の文化の習慣に囚われて来た因習や抑圧からの解放に繋がります。
 人類が歴史の中で「自由」「人権」を獲得したように、人と人が愛し合う自由と人権を獲得する必要があります。個人のパーソナルは自己中心的なエゴの固まりです。家庭や組織の中で社会性を保つための理性がプライベートやパブリックとしての個性、人間性の仮面、人格が必要となります。個人の自由は愛によって相克し充足します。
 私がバイブルとするのは世界人権宣言です。しかし、欠点もあります。人と人が愛し合う権利が称えられていないことです。キリスト教文化ではアダムとイブの神話の昔より原罪とされ、仏教では煩悩とされて来ました。人と人は愛し合う存在の共有こそが文化の発展に繋がります。
 思想信条宗教の自由の中で、私は対立を求めません。不毛の争いは望みません。文化の発展の中での価値を認めます。単に人間社会の原理として「自由・愛・公平」を共有し、原則として「人権・平等・平和」を再確認することをもとめます。
 世界人権宣言は第二次世界大戦中の悲惨な人権侵害や大量虐殺への反省から誕生しました。すべての国と人民(国民)が達成すべき「共通の基準」として定められました。
国際連合広報センター 世界人権宣言
https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/document/bill_of_rights/universal_declaration/

百年後、千年後はどのように文化は発展しているでしょか?

 過去のしがらみからの解放、人それぞれの自立・自律は人間性の解放のフラッグを掲げる事です。ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」は第一次世界大戦から第二次世界大戦の最中に起こったスペイン内乱を舞台として共和国とファシズムの戦いを切り取った物語です。第二次世界大戦中に映画化もされました。モチーフは「愛」です。形而上学的詩人ジョン・ダンの詩より
「人間は誰も、それ自体で完結した島ではない。すべての人間は大陸の一部であり、大地の一部である。土塊が海に流されれば、ヨーロッパは小さくなる。岬が流されれば、友人や自分の領地が流されれば、ヨーロッパは小さくなる。誰かの死は私を小さくする。なぜなら、私は人類に関わっているからだ。だから、鐘が誰のために鳴るのか尋ねてはならない。鐘はあなたのために鳴っているのだ。」
 キリスト教文化に支配されたヨーロッパでの人と人の愛の兆しです。鐘は三位一体や死者の為になっているのでは無い、人々の為に鳴っているのだ。更に突っ込めば、人間性の解放は神と人間の愛では無く、人と人の愛です。原罪ではありません。雌雄異体である動物の不完結性と社会的動物の宿命です。日本でも仏教や儒教の文化が人々を抑圧するシステムとしても存在しました。擬人化された四天王に踏みつけられる天邪鬼にも人権は有ります。

 産業革命は底辺の人々を更に追い込みました。そこに登場したのが、ヘーゲルの観念論から唯物論として社会の支配・従属の権力構造に注目したマルクスです。原始共産社会では生産手段を共有していた。と単純化しました。しかし、出来た国家は共産党や指導者の専制国家でした。何処が違ったのか、原始共産社会では個人の自由や人権は有ったのでしょうか?それぞれの愛は充足されたのでしょうか?しかし、心情的には日本の共産党の健気なそれぞれの人は好きです。イエスは天国に最も近い人々と称えました。ポストマルクス主義が必要です。
 自然界の生存競争社会で、数万年前の出アフリカの旅路は縄張りの確保、飢饉等の現代の難民と同じでは無かったかと考えます。自由や人権の概念が無かった時代に何が有ったのでしょうか?グループや組織の強者が秩序の主体であったことは想像に難くありません。支配する事に喜びを感じ、或いは、強者に決定権を委任する安心感が備わる人間心理は人類誕生の歴史からの証です。百年後、千年後はどのように文化は発展しているでしょか?私たちは未来に向けて、私たちが味わった苦労や困難を発信し、改善する必要が有ります。それが不遇の内に亡くなった人々に対する供養や哀悼でもあります。
 ・・・原理 自由・ 愛  ・公平・・・
 ・・・原則 人権・平等・平和・・・

追記
 脳の側頭部にある扁桃体は、恐怖や不安、喜びといった情動を処理する中枢器官です。扁桃体はストレスホルモンであるコルチゾールの産出の司令塔です。慢性的なストレスでの過労はコルチゾールによって扁桃体自体を痛める悪循環によってうつ病発症の原因にもなります。一方で扁桃体の暴走は頭脳ジャックと言われる癇癪(かんしゃく)の爆発、ヒステリー(現在では解離性障害)と言われるストレスの抑圧が高じることで怒りが爆発し、正常な知性が働かない精神状態になるケースもあります。社会的に、或いは家族内でも不満が抑圧された扁桃体が一気に怒りとして暴発する事になります。男女を問わず、怒りの表現が知性によってコントロールされている、いないの違いになります。アルコールによって前頭前野の働きが弱まっまたときや、怒りの爆発による異次元の力が欲求の成功体験となって繰り返される悪循環も有ります。フロイト以前のヨーロッパの上流社会では女性の感情爆発を徹底的に抑えられました。日本ではお酒に溺れる人に優しいのと同じ様に、ヒステリックになる事も許される文化が残存しています。道成寺の安珍清姫の様に怒りの爆発が互いを滅ぼすにもかかわらず、封建社会の抑圧で押さえつけられた女性の安全弁として、家庭内では怒りの帝王として、かかあ天下が君臨する文化があります。
 しかし、人類史の中でも1995年になってやっと「ヒステリー」という古い言葉が現代の「アマグダラ・ハイジャック」(扁桃体乗っ取り)に変わりました。ヒステリーは主に「感情的でコントロールが効かない人」という、個人の性格や状態を非難・揶揄する様からアマグダラ・ハイジャックは条件さえ揃えば、人の脳なら誰にでも強制的に発生する脳の防衛エラーとして、生物学的なメカニズムとして捉える言葉になりました。
 最新の大脳生理学では左右の扁桃体の働きは驚きの実態を明らかにしています。前頭前野、扁桃体、側坐核、海馬の働きである知能、感情、快感、記憶の連携は左右の脳の分業によって人が行動する時のゴー&ストップ、アクセルとブレーキの働きによって構築されています。右脳が情報をダイレクトに受け取って危険性を即座に判断し、左脳が前頭前野の情況判断を元に更に判断します。それぞれに知性である前頭前野があり、快感を感じる側坐核があり、記憶と連携する海馬が有ります。
 自由意思、選択の自由と自尊心のき損抑圧が扁桃体にとっての危機であると伴に、前頭前野のブレーキや側坐核の快感のサポートが秩序維持と変革に大きなウェイトを占めています。差別する快感と従属する快感が感情のシステムの中に負債として有ります。
 社会経験が少なければ緊張がパニックとなって頭が真っ白になるケースもあります。伊藤整の「形式と習慣の無いところには、どういう表現も行為も存在しない」自己の意思表現は言葉や文節から始まり、それまでに経験したモノマネからの表現や行為でしか創造出来ない現実があります。思考ですら借り物と言えます。自分の考えとは何か?現在の自己欲求の表現は文化や経験に育まれた自分でしかあり得ません。それは当にヘーゲルのこの場所で踊りなさいです。
 感情や感覚を言葉で表現し思考する限り、それは個人の「観念」の域を出ません。しかし、私は「真理」や「神」と言う言葉が持つ欺瞞を信用しません。数学では論理的に証明された「定理」「公式」が有ります。これらは客観的な事実として普遍的な価値が証明されています。一方で「真理」と言う言葉は、抽象的であり、自らの曖昧な主張を正当化します。さらには、内実を明確にしない意味不明で有るにも拘らず、正当性を主張する修飾語として活用されがちです。
 哲学のプラグマティズム(実用主義)においても人間に有用な結果をもたらす観念を真理と呼びます。しかしそこでは、その真理がもたらす対立や差別といった実質的な価値観の是非が不問にされる危険性があります。それが故に、「真理」「正義」の言葉を使った文章は信用性は極端に低下します。
 感情・感覚を言葉で表現・思考する限り、観念になります。観念論です、しかし、私は真理や神が持つ「はじめに言葉ありき」を信じません。何故なら数学には定理、公式が有ります。
 定理」とは論理的に証明された正しい数学的事実を指し、「公式」は計算を効率化するために用いられる便利な式を指します。両者は相互に関連し、定理を実用的な計算式にとしたものが公式とされています。一方で真理は具体的、抽象的であり、且つ曖昧さを正当化する修飾の言葉として利用されています。哲学でもプラグマティズムでは、人間生活で有用な結果をもたらす観念を真理としています。そこには対立や差別等の価値観は不問です。
 哲学発展の歴史を紐解くと、キリスト教文化の中でドイツ観念論の二人、ヘーゲルとカントの両巨頭がいます。哲学の二大源流です。
 ヘーゲルは総ては矛盾と対立を乗り越えながら発展していくと考えました(弁証法)です。歴史や文化、社会の現実そのものが理性の現れであり、常に変化し続ける「歴史的」な世界と考えました。
 一方、カントは理性や道徳法則は「普遍的で変わらないもの」として捉えました。理想や法則が抽象的に存在し、それをいかに守るかを重視する「理想主義的」な考え方です。
 欧米が罪の文化は、キリスト教の原罪意識の浸透と個人主義です。一方の日本では個人主義よりも集団の中で、集団の中にある間は大丈夫と言う考えでが主流でしたが、中流意識の崩壊は「自己責任」の拡大された自由な日本に変貌しました。それで欧米でも同じ様に、右翼の台頭が世界中を席巻していると考えます。
 なぜ?政治的に言えば、先の衆議員選挙では参政党が躍進し、れいわ新選組が一名に壊滅したことです。不思議な現象です。流行り、ムードに流される大衆文化の典型的な現象ではと考えます。情報化社会の中でAIを使った謀略や戦略は権力者に決定的な優位性があります。AIが社会の公器として使える間に人間は賢くなる必要が有ります。

参考資料Google AI
扁桃体ハイジャックを起こし易い4つの思考性
1. 「怒らせる方が悪い」という責任転嫁の思考
脳のメカニズム:
「自分が怒っているのは、相手が不完全で、間違ったことをしたからだ」と考えます。この思考があると、前頭葉は「自分をコントロールしよう」というブレーキを踏まなくなります。結果として、扁桃体の「攻撃せよ」という命令に100%正当性を与えてしまい、怒りが一気に爆発します。
2. 「〜すべき」「〜であるべき」という白黒思考(教条主義)
脳のメカニズム:
「時間は守るべき」「普通はこうすべき」という絶対的なマイルールが多い人です。現実がそのルールから少しでも外れると、扁桃体はそれを「自分の世界を脅かす敵(=危機)」とみなしてアラームを鳴らします。ストライクゾーンが狭いため、毎日何度もハイジャックの危機に瀕します。
3. 被害者意識と「悪意の過大評価」
脳のメカニズム:
相手の悪気のない行動や、単なるミスに対して、「自分を軽んじている」「わざと困らせようとしている」と捉える傾向です。扁桃体は「攻撃されている!」と勘違いし、過剰な防衛反応(激しい怒り)を発生させます。
4. 感情的決めつけ(「腹が立つということは、相手が間違っている」)
脳のメカニズム:
前頭葉(理性)を使って事実を確認する前に、「自分がこれだけ不快なのだから、原因である相手が絶対的に悪いに決まっている」と、感情を根拠に事実を決めつけます。これにより、さらに扁桃体の暴走に拍車がかかります。
なぜこの思考が危険なのか?
「怒らせる方が悪い」という思考の最大の問題は、「自分の感情のスイッチを相手に握らせている」状態になることです。
 相手の行動次第で自分の脳がいつでもハイジャックされてしまうため、本人は常にイライラしやすく、周囲からは「地雷が多くてヒステリックな人」と見なされるようになってしまいます。
 逆に、「相手の行動がどうあれ、今ここで怒りを爆発させるかどうかは自分の脳(前頭葉)が決めることだ」という主体性を持つことが、ハイジャックを防ぐ最大の防御策になります。

資料
日本国憲法  前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法 第十章 最高法規
〔基本的人権の由来特質〕
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

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