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白浜、季節外れの歩幅で

夏を抜けた白浜は、声を潜めた海の匂いがする。
駅前の旗がかすれて鳴り、案内板のパンダは笑ったまま時間から降りている。もう今年から、ここにはいない。その事実だけが風と一緒に通り抜ける。

私たちはキャリーの音を小さくして、砂に近い道を選んだ。
売店のレジ横、角の丸くなった紙箱。中には記念切符がいくつか、静かに並ぶ。スタンプ台のインクは薄いけれど、今日の日付はまだ乗りそうだ。
「寄ってく?」と彼女。私はうなずきながら、箱の角の擦れを指先で確かめる。夏の端っこみたいな手触り。

白良浜は、足跡をすぐ風が均していく。
たい焼きの店から、焼き台の一定のリズム。硫黄と潮の匂いがまじって、肺の奥に軽い灯りがともる。
「今がちょうどいいね」と彼女が言う。
うん、ちょうどいい。
賑やかさは背中になって、私たちはその背に小さく手を振る。

地図は畳んだ。今日は道の機嫌に任せる。
ポケットの中で、切符の紙がほんの少しだけ反った。
それが合図なのか忘れ物なのか、まだ決めないまま歩き出す。

白良浜は、歩幅を合わせると退屈で、少し外すと楽しい。
彼女はたい焼きの紙を折り、端っこを先に齧る癖のまま、砂の浅瀬に足跡を二本置いて、三歩目だけわざと外した。ぱり、と小さく鳴るたびに、胸のどこかで夏がまだ温い。

風は潮と硫黄を混ぜて運び、焼き台の一定の音が背中で刻む。
商店街のフックには、パンダのキーホルダーが掛からない空席がいくつか。糊跡だけが、今日の陽に四角く残っていた。

「写真、撮ろうか」

彼女はスマホを構えて、空のほうを少し多めに入れる。
画面の端で白い砂が光って、私たちの影は薄い。笑う角度を決めるまでに、二度ほど無言の間があって、それが妙に可笑しい。
売店の前を通ると、レジ横の紙箱が視界をかすめた。角の擦れを思い出して、指先がうずく。彼女は気づかないふりで「あとで寄ろ」とだけ言う。

坂を上がる途中、観光地図の判子台に手を伸ばす。スタンプは外されていて、台だけが残っている。

「押せないね」

彼女は光に地図を透かし、私はうなずく。
押せない印のかわりに、風がページを一枚めくった。
通り過ぎる温泉宿の看板が、ぎし、と鳴る。
賑やかだった夏の背中に、もう一度だけ小さく手を振って、私たちは円月島の影の伸びるほうへ歩いた。

円月島の穴に夕日を通すつもりで来たのに、肝心の光は雲に塞がれていた。
「間に合わなかったね」彼女が笑う。海風にほどけて、声の芯だけが残る。
砂の上、並んだ足跡は三歩目で途切れ、波打ち際に飲まれていく。私の影だけが、少し濃い。

売店の前で足が止まる。
主人が古いパンダのシールを指先でつまみ、糊を丸めながら静かに剥がしていた。剥がした跡だけが明るい長方形になって、夕暮れの色をはね返す。

「これ、時間かかるんよ」

つぶやきは独り言みたいで、誰に向けたわけでもない。

振り向くと、彼女はスマホを掲げて空を大きめに切り取っている。画面の端で、白い砂が光る。
もう一枚…と言いかけてやめた。
背中越しの気配が、風と同じ速さで薄くなる。
ポケットの中で、紙がわずかに反った。スタンプのない判子台を思い出す。押せない印のかわりに、波が一定のリズムで岸を叩いていた。

通らない夕日が、足もとだけをまっすぐ照らす。
私たちはしばらく黙って、その光の幅を測った。

夜の湯気が細く立ちのぼり、駅前の旗だけがまだ風に鳴っていた。
売店のレジ横、角の丸い紙箱。店主は無言でスタンプ台を指で確かめて、記念切符にそっと今日の日付を落とす。インクは薄いが、確かに読める。

受け取った切符を光に透かす。
振り向けば、さっきまで隣で空を多めに撮っていた彼女の影が、見当たらない。ベンチの端に、たい焼きの紙だけが折り目を残している。

ベルが二度鳴る。
ポケットの中で紙がわずかに反る。その反りに合わせて、さっき撮った写真の空が少し広く思えた。

「またね」

誰の声でもない響きが、湯気にまぎれる。

列車のドアが閉まる。
切符の角を親指でなぞると、薄いインクが指先に移った。
夏になったら、これ、まだ読めるかな。
答えのないまま、空席に荷物を置く。
空いた座席は、穴みたいに静かだった。


このショートはよしまるさんの企画で参加しました。

「旅」をテーマにしたショートストーリーです。

夏に白浜に行ったので、その回収編として即興で作成しました。

創作の秋。
ということで企画に参加してみると、
思わぬご自身の文章にであえるかもしれません。

ぜひnoteを楽しんでいきましょう。
ご覧いただきありがとうございました( ˶˙ᵕ˙˶ )

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