第3話 きゅん海峡
朝ごはんの席で、まこと先生が、ふと、聞いてきた。
「お前、そもそも、なんで、住み込みなんだ」
「え?」
「実家は。親は。なんで、わざわざ、知らないおっさんの家に、転がり込もうなんて、思うんだ」

わたしは、ごはんを口に運びながら、あっさり、答えた。
「お金、なくなっちゃって」
先生の箸が、止まった。
「……は?」
「ネットカフェに、住んでたんですけど。お金、尽きちゃって。内弟子なら、タダで住めるじゃないですか。だから、ちょうどいいなって」
先生は、しばらく、わたしの顔を、見ていた。それから、額に手を当てて、深い、深いため息をついた。
「……お前な」
「だめでしたか?」
「だめとかじゃなくて。じゃあ、なにか。歌とか、演歌とか、そういうのは、ぜんぶ、後付けで。本当はただ、住むとこがなかっただけか」
わたしは、箸を置いた。
そこだけは、ちがう、と思った。
*
「それは、ちがいます」
わたしは、言った。
うまく言葉にできるか、わからなかった。でも、言わなきゃ、と思った。
「お金がなかったのは、本当です。内弟子なら住めるって思ったのも、本当。なんとなく、内弟子になったら、自分が、ちょっと変われる気がしたのも、本当です。たぶん、そういう、ぜんぶ、ばかみたいな理由が、まざってます」
先生は、黙って、聞いていた。
「でも、いちばん、奥にあるのは」
わたしは、息を吸った。六年間、誰にも言ったことのない、いちばん奥の理由を。

「六年前の、あのひと言、です」
「……あのひと言?」
「先生が、ローカルの番組で、わたしに言った。『僕の演歌の世界に入ってきたら、脅威だ』って。あれです」
先生は、また、あのいやそうな顔をした。「だから、あれは、適当に」
「知ってます」
とわたしは、さえぎった。
「適当だったって、知ってます。でも、わたし、機械に百点もらっても、なんにも残らなかったのに、あの、適当なひと言だけ、六年、消えなかったんです。だから——わたし、演歌が歌いたかったんじゃ、ないのかもしれない。先生の言った、『演歌の世界』に、入ってみたかったんです。あなたが、入ってきたら脅威だって言った、その世界に」
台所が、しんとした。
先生は、何も言わなかった。
たぶん、このとき、はじめて、わかったんだと思う。自分の、何の気もない、いいかげんなひと言が、知らないうちに、一人の人間の、六年を、進む道を、ぜんぶ、決めてしまっていたことを。
第一話で「適当に言ったやつだよ」と切り捨てた、その言葉の、本当の重さを。
*
その日、会社から、正式な話が、下りてきた。
バズった、あの動画の曲を、ちゃんとした音源にする。それを、わたしの、デビューシングルにする。
ただし、と、まこと先生は、苦い顔で、説明した。
「会社は、こう言ってる。A面——表題曲は、ちゃんとした、正統派の演歌にする。プロの作詞家に、書いてもらう。お前を、色物じゃなく、本物の演歌歌手として、ちゃんと、育てたいから。それが、A面」
「はい」
「で、B面。カップリングは」
先生の、眉が、寄った。
「あの、バズった、お前のポエムに、俺が即興でつけた、あれ。あれを、フルにする。こっちは、とにかく、話題になればいい、っていう扱いだ」
わたしは、思わず、声をあげた。
「えっ、あれ、ちゃんと、曲になるんですか!? わたしの、詞で!?」
「……まあ、そういうことだ」
わたしの、ばかみたいなポエムが。「キュン」とか「ちゅっ」とか「だぃすきだょ」とか書いた、あれが。本物の、CDに、入る。自分の言葉が、歌になる。わたしは、それだけで、胸が、いっぱいになった。
でも、先生の顔は、晴れなかった。
*
晴れない理由は、その夜、わかった。
先生が、会社で、上司に、言われたことがあったらしい。
「あのな」と、先生は、缶ビールを開けながら、ぽつりと言った。
「カップリング、とにかくバズらせろ、って言われてさ。正統派の演歌じゃ、二曲目は、跳ねない、って。もっと、変なやつ。耳に引っかかる、おかしなやつを作れ、って」
「変なやつ?」
「うちの上司に、沢渡さん、って人がいてさ。俺の、歌手時代の、担当だった人だ。だから、知ってるんだよ。俺が昔、ちょっとだけ、ボカロ、かじってたこと」
わたしは、目を、丸くした。
「先生、ボカロ、やってたんですか!?」
「……かじってただけだ。売れる前に。演歌だけじゃ、食えなかったから、いろいろ、手を出してただけ。打ち込みも、転調も、変なリズムも、やろうと思えば、できた。でも、どれも、中途半端で。演歌も、ボカロも、なにもかも、器用なだけで、突き抜けられなくて。それで、結局、なにも、ものにならなかった」
先生は、ビールを、ひとくち飲んだ。
「沢渡さんは、俺の、ぜんぶ、知ってる。歌手だった頃の、売れなかった俺も、何に手を出して、何がダメだったかも。だから、容赦ないんだ。『お前、ボカロやってただろ。あれ、やってみろよ。とにかく、バズればいいんだから』って。淡々と。無慈悲に、言いやがる」
わたしは、先生の、横顔を見ていた。
先生にとって、それは、いちばん、隠しておきたかった過去なんだと、わかった。演歌でも、ボカロでも、突き抜けられなかった。器用なだけの、貧乏な男。墓場まで、持っていくつもりだったやつを、いちばんよく知ってる人に、無造作に、掘り起こされた。
*

それでも、先生は、やった。
押し入れの奥から、何年も触っていない、古いノートパソコンと、小さなキーボードを、引っぱり出してきた。埃を、ふっ、と吹いた。
「……こんなの、もう、何年も、触ってない」
画面が、立ち上がる。先生の指が、迷いながら、けれど、だんだん、思い出すように、動きはじめた。
わたしの、あのポエム。「会いたくて/会えなくて/キュン」。
先生は、それに、メロディを、つけはじめた。第一話の、あの即興とは、ちがった。今度のは、もっと、変だった。演歌の、こぶしの、うねうねした節回しの上に、ボカロみたいな、跳ねる、おかしなリズムが、乗っていた。転調が、急に、突拍子もないところに、飛ぶ。なのに、サビで、ちゃんと、演歌に、戻ってくる。
聴いたことのない音だった。演歌なのに、演歌じゃない。電波な、ばかみたいな、なのに、どこか、泣ける。
「先生!」
わたしは、思わず、はしゃいだ。
「先生、すごい! こんなのも、作れるんですか!? なんですか、これ、めちゃくちゃ、いい! 変! 最高!」
わたしは、第一話の即興のときみたいに、また、先生を、見直していた。二度目だった。この人は、本物だ。正統派の演歌だけじゃない。こんな、変なものまで、作れてしまう。
でも。
先生の顔は、ちっとも、嬉しそうじゃ、なかった。
わたしが、はしゃげば、はしゃぐほど、先生の目は、どこか、遠くなっていった。
あとで、わかった。わたしが「すごい」「なんでも作れる」と言うたびに、先生の、いちばん古い傷が、疼いていたのだ。——俺は、こういう、なんでも器用にこなすだけの、男だった。だから、突き抜けられなくて。だから、売れなかった。
見直されることと、惨めさが、先生の中で、同時に、起きていた。
わたしは、無邪気に、それを、えぐっていた。
*
曲が、できた。
タイトルは、まこと先生が、ふてくされたように、つけた。
「『きゅん海峡』」
「……え?」
「お前のポエムに『キュン』だの『どっきゅん』だの、書いてあっただろ。それと、演歌っぽく、『海峡』。津軽海峡とか、天城越えとか、ああいう、聖地みたいなワードに、お前の、ばかみたいな『きゅん』を、貼りつけた。最悪の、組み合わせだ。話題には、なるだろうよ」
わたしは、笑った。最高だと思った。
「いいか」と、先生は、画面を指さした。「この曲は、頭から、サビだ。『きゅんきゅん きゅん海峡』。普通の演歌は、しっとり、Aメロから入る。でも、こいつは、逆。最初の、ほんの十数秒で、いちばん、ばかみたいで、いちばん、耳に残るとこを、ぶつける。今の子は、それくらいで、指、止めるか、止めないか、決めるんだろ。知らんけど」
「先生、それ、わかってるじゃないですか」
「うるさい。やらされてるだけだ」
そして、その夜、わたしは、はじめて、その曲を、頭から、終わりまで、自分の声で、歌った。
*

きゅんきゅん きゅん海峡 越えられないの あなたまで どっきゅん しちゃう だめなのに ちゅっ って 投げたら 罪ですか
会いたくて 会えなくて 夜の港で 待ちぼうけ ゎたしの恋は まだ未練 潮に流して また泣くの
だいすきだよが 言えなくて だいすきだよを 書くばかり ばかみたいでも これがぜんぶ とどけ とどけ 海の果て
きゅんきゅん きゅん海峡 あなた行きの 船はもう 出ちゃったあとで 手を振るの ばいばい ばいばい また明日
*
歌い終わったとき、部屋が、静かだった。
六年前、百点を出したときと、何かが、決定的に、ちがった。
点数は、出なかった。誰も、採点しなかった。機械は、わたしの声を、「正しい」とも「まちがってる」とも、言わなかった。
でも。
歌い終わったとき、わたしの心臓は、ちゃんと、あの場所に、あった。胸の、真ん中で、まだ、どきどきと、鳴っていた。六年前、あんなに無音だったのに。いま、こんなに、うるさいくらいに、鳴っている。
まこと先生が、ぼそりと言った。
「……悪く、ないな」
そのとき、先生のスマホが、鳴った。
会社経由で、あの動画に、新しいコメントが、届いていた。先生が、画面を見せてくれた。
「うちの母、認知症で、ほとんど、昔のこと、忘れちゃったんですけど。この曲、流したら、なぜか、口ずさんだんです。『きゅん』のとこだけ。笑って。久しぶりに、母が、笑いました」
わたしは、それを、読んで。
決めた。
お金のためでも、なんとなくの予感でもなく、いま、はっきりと、決めた。
「わたし」
声が、震えないように、気をつけた。
「わたし、演歌歌手に、なります。ちゃんと」
まこと先生は、しばらく、黙ってから、言った。
「……一日だけ、じゃ、なかったのか」
わたしは、笑った。
「もう、何日目か、数えてないです」
*
こうして、わたしのデビューシングルは、二曲で、できることになった。
A面、「逢いたい夜に」。プロの作詞家が書く、正統派の演歌。
B面、「きゅん海峡」。わたしの、ばかみたいな詞と、先生の、封印してた、電波な曲。
会社は、A面で、わたしを、本物として育てて、B面で、話題を、取るつもりだった。
わたしは、嬉しかった。
でも——A面の詞が、プロの作詞家のものだと聞いたとき、胸の隅に、ちりっと、何かが、ひっかかったのも、本当だった。
なんで、A面は、わたしの詞じゃ、ないんだろう。
そのちりっとした感じが、何を意味するのか、わたしが、思い知ることになるのは、もう、すこし、あとの話だ。
(第3話 了)
