『チ。ー地球の運動についてー 1~8』魚豊(2020~・ビッグコミックス)
これって主人公は『地動説』?
主人公だと思ってた青年が初っ端あっけなく死んでしまい、その後も拷問死亡を繰り返しながら地動説がリレーされてゆく(拷問器具怖かった)。
タイトルの『チ』がカタカナなのは、『地』と『知』と『血』がかけてあるためらしい。なるほど、たしかにそのまんまの展開でした。漫画の作者さんってスゴイ。
現代を生きる我々にはこういう生き方をする度胸も思想も環境もないように思えますがーーーいやいや、紛争地帯ではまだやってるかも?
自分にひきつけて考えてみたときに、強いて思い浮かぶのが子育てぐらいなのですが、だけど、最早それすらもなあと思う。
今時命削って子育てしてるのなんて野生動物のお母さんくらいじゃないのか。現代の人間ママは子育てにそれほど手間暇労力命かけてない。困ってる時に助けてくれる便利な家電やサービスが充実してて、昔に比べれば今はありえんくらいラクになってる。こんなに恵まれてるのにそれでも育児中のママたちがつい不平不満や漠然とした不安感みたいなモノに囚われちゃったりするのは、もしかしたらこれも、魚豊先生がおっしゃるように歴史を意識しないからなのかもしれませんネ。
がしかし、子育ての最中に歴史を意識するママなどまずおりません。なので先生っ、ぜひたまひよに『チ。』の特集か企画を持ち込んでみてください。ママらの視野が広がり、壮大な感覚でもって子育てできるようになるやもしれませんよっ。
・・・・なんつって。拷問とたまひよのとりあわせ最悪。
「人は先人の発見を引き継ぐ。それも、いつの間にか勝手に自然に。だから今を生きる人には過去の全てが含まれてる。何故、人は記憶にこだわるのか。何故、人は個別の事象を時系列で捉えるのか。何故、人は歴史を見出すことを強制される認識の構造をしているのか。
私が思うにそれは神が人に学びを与えるためだ。つまり歴史は神の意志の下に成り立ってる」
「創世記50章に書いてある。神は”この世にある善を悪に変える”それが神の意志。神は人を通してこの世を変えようとしてる。長い時間をかけて少しずつ。この”今”はその大いなる流れの中にある。とどのつまり人の生まれる意味は、その企てに、試行錯誤に、”善”への鈍く果てしないにじり寄りに、参加することだと思う。
悪を捨象せず飲み込んで直面することでより大きな善が生まれることもある。悪と善、二つの道があるんじゃなくすべてはひとつの線の上で繋がっている。そう考えたらかつての憂節さえも何も無意味なことはない。でも、歴史を切り離すとそれが見えなくなって、人は死んだら終わりだと、有限性の不安におびえるようになる。歴史を確認するのは神が導こうとする方向を確認するのに等しい。だから過去を無視すれば道に迷う」
「積み上げた歴史が動揺を鎮めて臆病を打破して思考を駆動させていざって時に退かせない。全歴史が私の背中を押す」
私は文中の神に「人間」を代入して読む派。
そのうちサルトル読んでみたい。
「ラストが酷い」みたいな評価もあるようですが、どうして? こんなに上手いラストはなくないか。
個人的には「ifのラファウくん」は、物語全体のバランスを取るための錘では?と思いました。
ハッピーで心地よき大団円が好きな我々はついついラストに都合のよいスッキリだけを求めてしまいがち。だけどあのタイミングでifのラファウくんを見せられることにより脳味噌にハッとブレーキがかかる。善と悪との感覚がつりあって、忘れかけてた主題を思い出す。・・・・的な仕掛けなのではないか。
どうしてこの物語が特定の主人公を置いていないのか、ずっと不思議に思ってたんですが、これ、主題を考える上でジャマになるからだと思う。
世の評価は分かれてるみたいですが、ifバージョンのラファウくんを出しておかないと異端審問官のおいさまとの対比が目に見えて綺麗にキマらないんだと思うんですよ。
あのパラレルは読者の想像力を補うための補助装置。これがあるおかげで最後の〆に物凄い交差感を楽しめるよーになっているのではないかと思いました。

