うたかた古書店 第二章白玉編『創作大賞2024』
白玉の記憶
ママの手はいつもガサガサしてる。でも、とってもあったかい。
ゴロゴロ。
ママはよくギターを弾いて歌う。ママの低い澄んだ歌声が好き。
ゴロゴロ。
ママはテレビの前で、よく笑ってよく泣く。
ボクはママが大好き。
だってママがボクに名前をくれた。
ママがボクをカゾクにしてくれた。
ボクには3匹の兄弟がいた。オッパイの下で丸まってた同じ匂いのする兄弟たち。
ある朝目が覚めたら、モフモフの敷かれた箱の中にいた。お腹がすいたよー、オッパイちょうだい!みんなで叫んだ。
壁が高くって、外には出られない。お日さまは暑く、星空は寒かった。
いつの間にか兄弟たちは冷たくなって動かなくなった。ボクはひとりぼっち。もう声を出すことも目を開けることもできない。
そして、硬くてあったかいガザガサした手に包まれて、ボクの体が宙に浮く。
ふと気づくと、あったかくて、懐かしいけどちょっと違う、オッパイの味が口の中に広がる。
「がんばって。がんばって。」
誰かの声がする。優しくって力強い声。声の主に会いたい。会いたい。ボクは口の中のオッパイだけどオッパイじゃないものをコクリコクリと飲み込んだ。
目が覚めると、声の主が言った。
「もう大丈夫だね。よく頑張ったねー。キミはもううちの子。白くてふわふわのキミの名前は・・・。」
「白玉、ちょっとそこどいて。」
でたっ、ユーコ。騒々しいやつ。せっかくポカポカ日差しの当たる特等席に置かれた、いい匂いのするフワフワを見つけて気持ちよく寝てたのに。
「はいはい、キレイキレイしたねー。お着替えしましょーねー。」
ボクはぞんざいに押しのけられて、プニプニした柔らかい生き物に特等席を占領された。
短い手足をばたつかせて「あうっ、あうっ」言ってやがる。
みんなコイツが大好きなんだ。ママも、パパも、コイツに夢中。けっ。気に入らねぇ。ふてくされながらふと見ると、キラキラした目がじっとボクをとらえてる。
お、やんのか、コラ。
「あうぅぅー」プニプニしたちっちゃな手が乱暴にボクの頭を撫でる。痛ててててっ。おいおい、そんなに強く握るんじゃねーよ。・・でも、悪くない。嫌いじゃない。このプニプニ、いい匂いがする。
ボクはプニプニの顔にすり寄った。クンクン。甘くて懐かしい匂いがする。よく見りゃ、可愛いじゃねーか。ゴロゴロが止まらないぜ。このホッペに何をたくさん入れてんだ?思わず頭をプニプニのまぁるいホッペにこすりつけた。
「きゃきゃきゃっ」プニプニが笑う。
「おかーさーん!見て見て、白玉が翔太にすりすりしてるのぉー。」
「えー、あら、ホントだ。白玉もすっかりお兄ちゃんだねぇ。あ、結子、写真写真、写真撮って!」
ガッシャーン!
台所からの大きな音に、うとうとしていたボクは1メートルくらい上空に飛び上がった。フーッ!全身の毛が逆立っている。
「ごめんごめん、白玉。またお茶碗落っことしちゃって。ホントそそっかしいわねぇ。」
「百合子?」パパも降りてきた。
「手が滑ったのよ。大丈夫。」
「またか。あ、ほら、指、血が出てるじゃないか。茶碗はいいから、消毒してきなさい。」
「大した傷じゃないわよ。でも、じゃぁ、お茶碗お願いします。」
ママがソファーに座って手当をはじめた。ねぇ、ママ大丈夫?体をすり寄せるボクを、ガサガサの手でいつも通り頭からグニュングニュンって気持ちよく撫でてくれる。でも、怪我した手のひらをじっと見つめるママの顔は笑っていなかった。
最近ママは「そそっかしい、そそっかしい」と言って、あちこちにバンソーコーを貼ってる。ボクはママが心配。
「百合子、古新聞はどこだ。」
台所からパパの声。
「炊飯器の下の戸棚を開けて。左側に紙袋があるでしょ?」
ガダガタと騒がしい。
「あったあった。なんだ、こんなところに入れてるのか。で、茶碗捨てるゴミ袋はどこだ。」
「その右側にあるでしょ?よく見てみて。」
「あったあった。ん?なんか色々あるぞ。どの袋を使えばいいんだ?」
「(・・もう。)ちょっと待って、今行きます。」
ママがため息をついて、ボクにこっそり言った。
「まったく、困っちゃうわねぇ。ママがいなくなったらどうなるのかしら。白玉、パパのことお願いね。」
ママはおどけて言ったけど、なんだかボクは胸がギュッてなった。ママの代わりなんて、いるわけないのに。どうしてそんな事言うの?
ブォン。パパの車の音。やっと帰って来た!
急いで暗い玄関に駆けてく。ドアが開くのが待ちきれなくて、くねくねと体をあちこちにこすりつこる。
ガチャリ。
おかえりなさぁい!パパと…あれ?ママは?
「白玉。すまんすまん。腹減ったな。」
そう言ってパパは台所の灯りをつけ、慣れない手つきでボクの水を入れ替る。ボクはお腹がぺこぺこだってのに、パパはもたもたゴハンを探してる。
「お母さん、今日は帰って来れないんだ。白玉の水とエサを頼まれたんだが…」
パパ、ボクのゴハンはこっち!ゴハンの扉をカリカリと引っ掻いて教えてあげる。
「なんだ、こっちか。まったく…」
戸棚からゴハンの袋を取り出しながら、突然パパが目を覆ってうずくまった。手に持った袋から、ゴハンがカラカラとこぼれ落ちる。
「…どうして…」
おっきなパパがちっちゃくなって震えてる。ママに悪い事が起こった。それだけは分かる。
ボクも泣きたくなったけど、ぐっと堪えた。だって、ママに頼まれたんだもの。「パパをお願いね」って。
ママ心配しないで!ボクがパパを守るから!その決意を胸に、ボクはガリガリボリボリとパパの手の袋からこぼれたゴハンをいつもより多めに食べた。
ゴロゴロゴロゴロ。
やっぱりママの膝の上は最高に気持ちいい。グニュングニュンって顔を包み込むように撫でてもらうのが、とっても好き。
ママは最近大きなタイヤのついた椅子に座るようになった。時々立ち上がって、手すりにつかまりながら部屋を移動する。
「ねぇ、白玉、最近太り過ぎじゃなぁい?」
僕のお腹を摘んでため息をつく。
「お父さんエサを入れすぎちゃうのよね。うちに来た時には手のひらに乗るくらい小さくて、ガリガリで。獣医さんに、これはもう無理だろうって言われたのよ。」
グニュングニュン。
ママが、ママのこの手が、生きろってパワーをくれたからがんばれたんだよ。だから、今度はボクがママにパワーをあげる番。
ゴロゴロゴロゴロ。
「ばあば、ただいまーっ!!」
耳がピンと立つ。夏休みだとかで遊びに来てたユーコとショータが買い物から帰ってきやがった。
「お母さん、ただいまー。…って、白玉、またその巨体で乗っかって。お母さん足痺れちゃうでしょ。」
黙れ、ユーコ、シャーッ!
「あー、白玉が動いた。」
キラキラした大きな目でショータが近づいてくる。「ほら、おもちゃあるよぉ。一緒に遊ぼ!」長い棒の先に、赤く柔らかい羽根と鈴のついたおもちゃを、右へ左へと振り回し始める。
おいっ、やめろショータ。それは…それは…。抑えきれない衝動。ママの膝から飛び降りて、まっしぐらに羽根に飛びついた。
「わぁ、すごい。こんな太っても、ちゃんと跳ぶのね。カカカ!」
「白玉には、がんばって長生きしてもらいたいのよ。お父さん、ひとりぼっちじゃ可哀想でしょ?」
少し間が開いて、ユーコが変わらず明るい声で言った。
「これじゃ、お父さんも白玉も肥満老人で、世話するこっちが大変よ。まだまだお母さんには肥満男子たちに厳しい指導してもらわないと。」
ボクの大好きなママの手を、ユーコがしっかりと握りしめた。
ゲホッ、ゲホッ!
喉の奥が熱くなって、押し上がってきた塊を外に吐き出す。さっき食べたゴハンに血が混ざってる。
「白玉。また吐いちゃったのか。」
粗相して慌てて戸棚の陰に隠れたボクを気にせず、パパがティッシュで吐き出したものを片付ける。
最近、とっても体が重い。体重の話じゃない。歩くとズキズキをお腹の奥で何かが疼くんだ。
硬いゴハンが食べられなくて、パパが缶に入った柔らかいゴハンにしてくれた。
なんだかグチャグチャしてて、見た目ちょっとアレだけど、いい匂いはする。勇気を出して一口。
「!!!」なんじゃこりゃっ!美味し過ぎて思わず声が出ちゃう。あむあむっ!
ママはもう自分でお部屋から出てこられない。ずっとベットの上。
ある日、いつものようにママのベッドにジャンプしたら、失敗して床に落ちた。痛いやら恥ずかしいやら、猛ダッシュでそこから逃げ出した。
ママのそばにいたいのに。いてあげたいのに。ボクはもう自分でそこには行けないんだ。そう思ったら悲しくて悲しくて、オシイレの奥深くに潜り込んで泣いた。
次の日、ベッド脇に小さな段々が置いてあった。誰もいない隙に、恐る恐るその段々に近づく。くんくん、つんつん。うん、のぼっても大丈夫そう。慎重に一段ずつ上って、ついにベッドの上に到着!やったー!
ふと視線を感じて振り返ると、部屋の襖の隙間からパパが嬉しそうに覗いてる!!!フギャー!
恥ずかしくって、急いでママのお布団に飛び込んじゃったけど。パパ、ありがとう。
「ほら、白玉。どきなさい。」
むんずと掴まれて隣の部屋にどかされるボク。おい、こんな魚の開きみたいな抱き方があるか!あられもない姿のボクを、優しい目が覗き込む。
「白玉くん、お邪魔するよ。百合子さんの診察させてもらうからね。」
真っ白な頭に真っ白なヒゲのムトーセンセーがそんなボクの頭を撫でる。センセーはママとパパの味方。今日もママに色々と話しかける。
診察が終わると、センセーはいつも通りリビングの椅子に座った。パパが席につくと、センセーはまっすぐにパパを見た。
「孝太郎さん。いよいよ、その時がきます。明日か、明後日といったところです。」
時が止まった。
「孝太郎さん。お話を続けてもいいですか?」
「あ、はい、お願いします。」パパが答える。
「孝太郎さんと百合子さんが、最後までご自宅でと仰ってから今日まで、本当によく頑張ってこられたと思います。百合子さんの願われた通り、ここでその時を迎えることができると思います。どうか、残りの時間を悔いのないように過ごしてください。」
センセーが帰った後もパパは一言もしゃべらず、じっとどこか遠くを見ていた。
「結子と真人に電話しないと。」
ポツリと言った。
パパは毎日泣いてばかり。
今日もママの写真にお花を飾る。まるでお花の森の中にいるみたいだ。ママはそこで優しく笑ってる。
ユーコがやたらとやって来ては、閉め切った窓を開けて部屋中掃除する。掃除機は大嫌いだけど、開けた窓から入る風はとっても気持ちいい。
「白玉のご飯、悪くなってるじゃない。ほれ、白玉、お水もここに置くよ。」
最近、お腹が痛くてあんまり動かないボクの目の前に、新しい水とゴハンをそっと置きながら、ユーコがじっと覗き込んでくる
「…白玉。具合悪いのに、頑張ってくれてんだよね。ありがとうね。」
頭を撫でるその手は、ボクの大好きなガサガサのママの手とは違う。それでも、気持ちよくって、嬉しくて、やっぱり悲しい。
あんまり食べたくないけど、少しだけゴハンを口にした。
「お父さんも。お惣菜少し作ってきたから、冷蔵庫入れとくよ。夜食べて。お昼は外に食べに行こう。ほら、着替えてちょうだい。歯磨きして、髪の毛もとかしてきて!」
写真の前でだんまりパパ。
「ほーら、その辺の服も一緒に全部洗濯機にぶっ込むから。これ、夏服適当に買ってきたから。」
「ん…」
のそのそと立ち上がって支度を始めるパパ。
「お母さん。ちょっとお父さん連れ出してくるね。」
ユーコが写真のママに手を合わせる。
「じゃ、白玉もお留守番よろしくね。」
「あ、姉貴?うん、今戻った。鎮痛剤打ってもらって。…うん、それが腹が減ったらしくて、今チキン南蛮弁当食ってるよ。…だろ?ハハハ。そんな感じだから来なくて大丈夫。俺ももう帰るよ。…うん。じゃぁ、また。」
マコトが電話を切って、ふぅと大きく息を吐いた。
「結子が大騒ぎして救急車なんて呼ぶから。ご近所さんにも余計な心配かけた。」
「おいおい。夜中に痛くて死にそうだって電話したの自分だろ。ご近所なんかより、まず姉貴の気持ち考えろよ。」
マコトの怒りのこもった声にヒゲがピリピリしてきた。
「お前に言われなくたって、そんなことは分かってる!」
「分かってるならそんな言い方するなよ。怪我しただ、腹が痛いだの、四六時中電話される姉貴の身にもなってみろよ。」
「怪我だって病気だって、したくてそうなったわけじゃない。そんなことで責めるのか?」
「責めてるのはそこじゃないだろ。自覚ないんだろうけど、親父の言い方は無神経なんだよ。家族だからって無遠慮が過ぎると、取り返しがつかないことになるぞ。」
「なんだ!ごめんなさい、ありがとうって言えば気が済むのか!つまらん説教するならもう帰れ。もう来なくていい!」
聞いたこともないパパの怒鳴り声に、全身の毛が逆だった。
マコトは黙って立ち上がって、そのまま出て行ってしまった。
ボクはふたりの大きな声に、毛がボーボー逆立ったまま、恐る恐るパパを見た。
パパは怒りに震えて黙っていたけど、顔を覆って泣き出した。
「どうして誰も分かってくれないんだ。この悲しみを。必死に乗り越えようとしてるじゃないか。ひとりぼっちで。百合子…、百合子…。」
パパ、ひとりじゃないよ。ボクがいるよ。分かるよ、ちゃんと。ママがいなくなったこの家で、毎日毎日、ママがもういない事を思い知らされる。悲しいまま眠って、悲しいまま新しい日が始まる。ボクはその苦しみを知ってる。
お腹の底の疼きをグッと堪えて、よろよろとパパのそばにすり寄る。
パパが泣きながらボクの逆立ってボサボサの毛を撫でる。
大丈夫、ボクがいるよ。
どうしようママ。ボク、どうしたらいい?写真のママを見上げる。ママは心配そうに、悲しげな笑みでパパを見つめている。そんな気がした。
→最終話
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