玄関の鍵が開く音、それが合図だった│3夜目
玄関の鍵が開く音。
それだけで、心がざわついた。
これはまだ、サイレンではない。
父が帰ってきただけの、小さなざわつき。
でも、そのあいだ僕は、食卓の空気をうかがっていた。
テレビはついていた。
母は台所にいて、食卓に座っているのは、たいてい僕ひとりだった。
兄は、食卓にはいなかった。
一緒にご飯を食べた記憶が、物心ついたころからない。
だから、鍵の音を聞くのも、いつもひとりだった。
危ないかどうかは、父の声で測った。
声の大きさ、言葉の選び方。
その二つに、いつも耳を澄ませていた。
危ない条件も、知っていた。
晩ご飯ができているか。
掃除がしてあるか。
洗濯物が片づいているか。
だから、僕も手を動かした。
掃除が残っていれば片づけ、洗濯物を干すのも手伝った。
危ない材料を、少しでも減らしておきたかった。
でも、本当に父の機嫌を決めるのは、家事ではなかった。
ひとつは、父と母の会話。
母の返事が気に入らないと、父の声が変わった。
もうひとつは、父が外で嫌なことがあった日。
こればかりは、家の中をどれだけ整えても関係がない。
それでも、玄関を入ってくる父の第一声で、その日の機嫌がいいか悪いかは、すぐに分かった。
だから、どれだけ手伝っても、どれだけ普段通りに振る舞っても、安心できる瞬間はなかった。
箸を止めることも、身構えることもしない。
内側でざわつきながら、外側では何でもない子どもの顔をして、父の機嫌が少しでも良くなるように振る舞った。
そして、その願いも届かないときが来る。
父の声が、一瞬で怒鳴り声に変わる。
だんだんではなく、一息に。
ざわつきは、そこではっきりしたサイレンに変わった。
もう、鳴りやまない。
僕は俯いて、箸だけを動かしていた。
それでも胸の奥では、心臓が速く打っていた。
できることは、何もない。
鳴っているのを、ただ聴いているしかなかった。
本当にひどくなると、その箸も、止まった。
大人になった今も、この癖は残っている。
メールやメッセージのやり取りひとつでも、少し違和感があると、心がざわつく。
自分が何か良くないことをしたんじゃないか。
嫌われたんじゃないか。
怒られるんじゃないか。
そんなふうに、考えはじめてしまう。
気づかないままでいられたら、幸せな時もある。
でも、気づいたことで、自分を振り返れたこともある。
だから、消してしまいたくなる時もあれば、役に立ったと思う時もある。
この癖は、自分を好きになれない理由の、ひとつだ。
