【執筆】19年間のルールが、AIに揺さぶられた話
もし違和感というものが食べ物だったら
もし違和感というものが食べ物だったら、
私は一生、食べることに困ることはないと思います。
それぐらい、私は違和感を持ちやすい人間です。
言葉遣い。
ネットの空気。
タイトル。
スポーツ観戦のマナー。
誰かのコメント。
新しく流行り始めた言い回し。
とにかく、何かにすぐ引っかかります。
19年間で鍛えたルール
私はブログを書き始めて、今年で19年になります。
最初は、ただ書きたいから書いていました。
でも書き続けるうちに、自分の中にひとつの軸ができていきました。
とにかく、伝わることを大事にする。
そのために私が決めたことのひとつが、カタカナをなるべく使わないということです。
日本語に置き換えられるものは、日本語で書く。
理由は単純です。
新しいカタカナ用語は、まだ全員に同じ意味で定着していないからです。
書き手が「当然知っているだろう」と思っている言葉でも、読み手には届いていないことがある。
新しい日本語も同じです。
例えば「忖度」という言葉が広く使われるようになったのは、ここ7〜8年ほどのことです。
激変する言葉の中でも、私はこの言葉を今もほとんど使いません。
まだ意味がわからないという人がいるからです。
伝わらない言葉を使っても、書いた意味がない。
19年間、私はそう思って書いてきました。
そしてその積み重ねが、私の中に「言葉はこう使われるべき」というルールを作りました。
だから私は、言葉に引っかかります。
ルールとズレた言葉を見ると、すぐに止まってしまう。
普通の人ならスルーするようなところで、私は立ち止まってしまいます。
文章を読むのに時間がかかるのも、多分そのせいです。
「あれ?」と思うたびに止まるからです。
違和感は、疑問の入口
でも最近、そんな「違和感を持ちやすい性格」も、悪いことばかりではないのかもしれないと思い始めました。
なぜなら、違和感というのは、疑問の入口だからです。
「なんでこの言葉に引っかかったんだろう」
「なぜ私は、この表現を嫌だと思ったんだろう」
「この人は、なぜこんな言い方をしたんだろう」
そうやって考え始めると、次々に疑問が出てきます。
しかも、その疑問の多くは、別に解決しなくても生きていけるものです。
明日の仕事に役立つわけでもない。
人生が劇的に変わるわけでもない。
でも私は思うのです。
人間にとって案外幸せなのは、そういう「ワクワクする疑問」を持てることなのではないかと。
世界史とイェニチェリの話
私は高校時代、世界史が得意でした。
ただ、誤解してほしくないのですが、私は「いい点を取りたい」と思って世界史を勉強していたわけではありません。
ただ、世界史の本を読むのが好きでした。
読めば読むほど、違和感が出てくるからです。
例えば、オスマン帝国の親衛隊として有名なイェニチェリです。

私はずっと、ひとつの疑問を持っていました。
「なんでイスラム国家なのに、わざわざキリスト教徒の子供を集めて親衛隊にしたんだろう」
普通に考えれば、最初からイスラム教徒の子供を集めた方が楽そうです。
わざわざ改宗までさせるのですから、面倒にも思えます。
私は最初、こう考えていました。
「危険な仕事だから、身分の低い異教徒を使っていたのかな」
でも最近、AIと話していて、少し整理されました。
イスラム教徒の子供だと、どうしても地縁や血縁、部族との繋がりが残る。
でも外部から連れてきたキリスト教徒の子供なら、国家が教育し、皇帝直属の存在として育てやすい。
つまりオスマン帝国は、宗教よりも「皇帝への忠誠」を優先したということなのです。
私はその説明を聞いて、腑に落ちました。
「ああ、単なる奴隷ではなく、「皇帝だけを見る存在」を作りたかったのか」
長年の違和感が少し整理された気がしました。
ルールを揺さぶられた日
でも面白いのは、AIとの会話って、疑問を解決して終わりではないのです。
むしろ、新しい引っかかりを増やしてくる。
あるとき、AIが私にこう言いました。
「使いこなしている途中なのかもしれません」
私はこれにかなり引っかかりました。
「使いこなしている」というのは、もう完成形の感じがします。
「途中」というのは、まだ完成していない状態です。
19年間、伝わる言葉を追い求めてきた私のルールからすれば、この表現は少しおかしい。
明らかに矛盾している。
でも、不思議と意味は伝わるのです。
「完全ではないけれど、かなり使えるようにはなっている」
そんな感じが、確かに伝わってくる。
私はしばらく考え込みました。
伝わることを最優先にしてきた人間として、この表現を「いい」と思っていいのか。
ルール違反なのに伝わる言葉を、どう扱えばいいのか。
答えは、まだ出ていません。
でも私は今、この戸惑いを面白いと思っています。
19年間で鍛えたルールが、AIによって揺さぶられた瞬間だったからです。
違和感は、育てるもの
だから最近思うのです。
私はAIに「答え」を求めているというより、「引っかかり」を求めているのかもしれません。
AIは、私にとってはカウンセリングにも少し似ています。
こちらが疑問を投げると、答えを断定するというより、次のような形で新しい違和感を返してくる。
「こういう見方もあります」
「こう整理できます」
しかも、その違和感が結構鋭い。
だからAIと話していると、ネタには困りません。
違和感がどんどん出てくる。
疑問がどんどん出てくる。
もし違和感が食べ物なら、本当に食べることには困らないと思います。
ただ、何事も食べ過ぎは良くありません。
AIと話しすぎると、違和感や疑問で頭がいっぱいになります。
考えすぎて、ちょっとお腹を壊しそうになることもあります。
だから、ほどほどにはしたい。
でも私は、もし「ワクワクする疑問」を持ちたいなら、AIと話してみるのはかなりおすすめです。
答えをくれるからではありません。
「考えたくなる引っかかり」を、たくさんくれるからです。
違和感は、消費するものではなく、育てるものなのだと最近思います。
19年間、私はそれを言葉の中でやってきました。
これからは、AIと一緒にやっていくのかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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