”排除される側”に、女が回りはじめた
二つの言説
Xのタイムラインには、今日も正反対に思える、二つの言説が並んで流れてくる。
ひとつは「女性は独身のほうが幸福だ」というもの。
もうひとつは、それを裏返す形の「いま女性は猛烈な勢いで非モテ化しており、人類史上はじめての性淘汰にさらされている」というもの。
後者は前者を、認知の歪みの産物として説明する。
若さという資産を失った女性が現実を直視できなくなり、独身賛美に逃げ込んでいるのだ、と。
どちらの整理も、部分的には当たっている。
そして、どちらも決定的なところで外している。
この記事では、流通しているこれらの言説を出発点にして、統計と研究を当てながら、残るものと落ちるものを仕分けていく。
結論を先に置いておく。
いま起きているのは「女性の淘汰」ではない。
もっと構造的で、もっと厄介な事態である。
1. これは「産まない」話ではなく、「結婚が起きない」話である
まず数字から始める。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、1970年生まれの日本人女性の生涯無子率は27%。他の主要先進国が1割から2割程度に収まるなかで、日本は突出して高い。そして2005年生まれの女性については、条件次第で最大42%が生涯子を持たないという推計が出ている。
この数字を見た瞬間、多くの人が「女性が子どもを産まなくなった」という物語を組み立てはじめる。だが、その手前に飛ばしてはいけない変数がひとつある。
生涯無子率は、大きく二つの成分に分解できる。ひとつは「結婚しなかったことによる無子」、もうひとつは「結婚したが子を持たなかったことによる無子」だ。そして日本では、後者が驚くほど小さい。2021年の出生動向基本調査でも、夫婦の完結出生児数は1.90を保っている。結婚した夫婦は、いまでもおおむね二人近く産んでいるのである。
一方、合計特殊出生率は2024年で1.15まで落ちた。1.90と1.15。この差はどこから来たのか。答えは未婚化以外にない。
さらに日本の非嫡出子割合は約2%にとどまる。欧米には非嫡出子が半数を超える国もあり、そこでは結婚を経由せずに子を持つ経路が太く開いている。日本ではその経路がほぼ塞がれたまま、婚姻という水路だけが細っていった。
つまり、日本の無子化はほぼ全量が「結婚が起きなかったこと」で説明できる。これは魅力の問題である以前に、制度の問題だ。「婚姻=繁殖のライセンス」という構造を保存したまま、ライセンスの発行数だけが激減した。それが日本で起きていることの正体である。
だから、この現象をいきなり女性の魅力や男性の選好の話として語りはじめた時点で、議論は一段階すっ飛ばされている。まずは、なぜ婚姻という水路が細ったのかを問わなければならない。
2. 排除される側は、歴史的に男の役割だった
ここで、流通している言説のうち最も確たる部分に触れておきたい。「女性がここまで淘汰にさらされる時代は、ホモ・サピエンス誕生以来なかった」という指摘である。
これは、遺伝学の側から支持できる。
Karminらが2015年に発表した研究は、Y染色体の多様性から男性の有効人口サイズを再構成し、およそ8000年前から4000年前にかけて、それが世界各地で急激に落ち込んでいたことを示した。同じ時期、ミトコンドリアDNAから推定される女性側の有効人口サイズには、対応する減少が見られない。それどころか増加を続けている。両者の比は、地域によっては17倍にまで開く。
ここは慎重に読む必要がある。有効人口サイズは実際の人口ではなく、遺伝的多様性から逆算された値だ。「男17人に対して女1人しか繁殖できなかった」という意味ではまったくない。この数字が語っているのは、男性側の繁殖成功度のばらつきが、女性側よりも著しく大きかった時期がある、ということである。
つまり、女性はほぼ全員が子孫を残してきた。一方、男性のかなりの割合は、遺伝的に何も残さずに消えた。この非対称は、農耕の拡大と父系相続の成立という社会構造の変化と時期が重なっている。ちなみにその原因については、父系集団同士の暴力的な競争によるものとする説が長く優勢だったが、2024年の研究は、暴力を仮定せずとも父系集団の分節と分裂だけで同じパターンが生じうることを示している。ここを「男たちが殺し合った結果だ」と単純化するのは、いまや不正確である。
そして、この視点は一夫一婦制の見え方を反転させる。
一夫一婦制はしばしば女性を保護する制度として語られる。だが繁殖成功度の分散という観点から見れば、それは下位の男性に繁殖機会を再分配する装置だった、と読むほうが実態に近い。上位の男が複数の女を独占する状態を法と規範で禁じることで、そうでなければ何も残せなかった男に順番が回ってくる。ロマンティックラブという物語は、その再分配を正当化するために後から接続された配線にすぎない。
だとすれば、この装置の弛緩によって最初に殴られるのは、下位の男性である。
そう、この話は本来、女性を責めるための話ではない。男が数千年にわたって引き受けてきたものを、いま女も引き受けはじめた-ーそれが起きていることの、より正確な記述だ。
3. だが、無子率が高いのは依然として男である
ここで、自分の議論を自分で殴っておく必要がある。
「女性の非モテ化」「女性の性淘汰」という整理は、決定的なところで数字に負けている。先ほどの社人研の推計を最後まで読めばわかる。2005年生まれの生涯無子率は、女性が最大42%であるのに対し、男性はおよそ5割に達するとされている。多くの国で、無子率は男性のほうが高い。
これは「女性が選ばれなくなった」現象ではない。男女の双方が、同時にマッチングから脱落している現象である。
行動の側の数字も同じことを言っている。2021年の出生動向基本調査によれば、交際相手を全く持たない未婚者は男性72.2%、女性64.2%。恋人または婚約者がいる割合は男性21.1%、女性27.8%で、男性は2005年、女性は2002年をピークに下がり続けている。
そして最も注目すべき数字がこれだ。「とくに異性との交際を望んでいない」と答えた未婚者は、男性33.5%、女性34.1%。ほぼ同率である。
もし本当に「男が女を求めるレースから撤退した結果、女が余っている」のであれば、この二つの数字がここまで揃うことはありえない。撤退は、両性で同時に起きている。
したがって、正確な定式化はこうなる。いま起きているのは女性の淘汰ではなく、排除の両性化である。歴史的には男性側だけに存在していた「繁殖から排除される」という経験が、はじめて女性側にも大規模に及びはじめた。水準ではなく、前例のなさが問題なのだ。
だが、そうすると新しい問いが立つ。
無子率は男のほうが高い。それなのに、混乱として、認知の歪みとして、社会的に可視化されているのは圧倒的に女性側である。なぜか。
残りの記事は、この問いに答えるために書かれている。
4. 本当の非対称は、不可逆化のタイミングにある
流通している言説は、「35歳を過ぎた独身女性は、生涯未婚がほぼ確定する」と書く。これは事実として誤っている。
人口動態から算出すると、5年以内に結婚する確率は26歳の女性で44.5%、35歳の女性で22.6%、40歳の女性で9.8%である。35歳の時点でおよそ5人に1人は5年以内に結婚している。「ほぼ確定」ではなく「半減」だ。ちなみにネット上でよく見かける「35歳女性の結婚確率は2%」という数字は、コーホート全体の未婚率の差分を条件付き確率と取り違えた誤読であり、使うと議論そのものが疑われる。
だが、この訂正で話が終わるわけではない。むしろここからが本題だ。
女性の35歳には、二本の曲線が同時に効きはじめる。
一本目は、いま見た婚姻確率の曲線。
二本目は、妊孕性の曲線である。
1周期あたりの自然妊娠率は25歳から30歳で25〜30%程度、35歳で18%、40歳で5%、45歳で1%まで落ちる。流産率は逆方向に動く。体外受精のデータでは、30歳で15.7%、35歳で22.4%、40歳で36.5%、43歳では51.2%と、妊娠の半分以上が流産に終わる水準に達する。
男性に効くのは一本だけだ。しかもその一本は、部分的に相殺される。就業構造基本調査をもとにした分析では、どの年齢層でもおおむね年収が高いほど有配偶率が高い。30歳代前半の男性の有配偶率は49.6%まで一気に上がるが、非典型雇用や無業ではそのまま低く留まる。つまり男性の婚姻確率は、年齢によって下がる一方で、経済力の上昇によって押し戻される。
これが、本当の非対称である。男性の脱落は経済的であり、後から巻き返しうる。女性の脱落は生物学的であり、巻き返せない。
ただし、ここから一段深い帰結を引いておきたい。
男性の「可逆性」は、実のところ可逆ではない。それは遅延した参入にすぎない。そして遅れて参入した男性が求める相手には、年齢という制約がかかる。つまり、男性が30代・40代を経済的な準備に費やして市場に戻ってくるとき、彼が探す相手はすでに二本目の曲線の下降局面に入っている。
男性側の遅延は、女性側の不可逆性を経由して、社会全体の損失に変換される。個人の合理性としては正しい判断が、システムのレベルでは純損失を生む。それがいま日本で毎年起きていることだ。
だから「35歳の壁」という言い方は正しくない。壁ではなく、利子が効きはじめる点である。壁は越えられるか越えられないかの二値だが、利子は複利で効き、しかも時間を止められない。
5. 排除に耐える装置を、男は持っていて、女は持っていない
さて、3節で立てた問いに戻る。無子率は男のほうが高いのに、なぜ混乱として可視化されるのは女性側なのか。
ここからは仮説である。
だが、私はこれがいちばん筋が通っていると考えている。
男性の側には、「繁殖から排除される」という経験を処理するための装置が、数千年かけて蓄積されている。
第一に、自嘲の語彙がある。喪男、非モテ、チー牛、弱者男性。侮蔑語として発明されたものも含めて、これらはすべて自称に転用できる。自分で自分を名指せる言葉を持っているということは、痛みを笑いに変換する回路を持っているということだ。
第二に、代替的な地位競争がある。仕事、技能、収集、序列のある趣味。排除されたエネルギーの転嫁先が、社会的に承認された形で用意されている。恋愛から降りた男が没頭できる領域は無数にあり、そこでの成功は恋愛の失敗を部分的に補填する。
第三に、並列的な絆がある。向かい合うのではなく、横に並ぶ関係。作業台を挟んで、釣り場で、ゲームの中で。この形式の関係は、互いの境遇を語らずに済む。だから既婚と未婚のあいだの落差にも耐える。
女性の側には、この三つが揃っていない。
自称できる語がない。「負け犬」も「行き遅れ」も、外部から与えられた侮蔑語であり、自嘲に転用しても痛みが残り続ける。代替的な地位競争は事実上キャリアしかなく、しかもそのキャリアこそが排除の原因だと社会から名指される二重拘束に置かれる。そして女性同士の絆は歴史的に対面的な形式をとってきたため、境遇の非対称に弱い。排除が進むほど、支援基盤そのものが縮んでいく。
装置の非対称が、混乱の非対称を生む。同じ排除に直面していても、処理系を持っている側は静かに沈み、持っていない側は騒がしく崩れる。可視化の差はそこから来ている。
この仮説には、検証可能な予測がある。もし装置説が正しいなら、装置にアクセスできない男性ほど深刻に壊れるはずだ。
実際、そうなっている。ある分析では、未婚男性の死亡年齢の中央値は67.2歳で、有配偶男性より14年以上早い。一方、未婚・離別の女性は男性より圧倒的に長く生きる。独身の生存コストは、男性のほうが桁違いに重い。
だから、これだけは言っておかなければならない。「独身のほうが幸福」という命題は、主観的な満足度という指標では女性において成り立ちうる。だが寿命という、誤魔化しの効かない客観指標では、先に壊れるのは男のほうである。
6. 「独身のほうが幸福」という言説の、需要と供給
では、その「独身のほうが幸福」という言説はどこから来たのか。
起源はかなり明確に特定できる。行動科学者ポール・ドーランが2019年に発表した主張である。彼はアメリカの生活時間調査のデータから、既婚女性より独身女性のほうが幸福で長生きだと結論づけ、大きく報じられた。だがこの結論は、調査項目の読み違いから生じていた。「配偶者が世帯内にいるかどうか」を尋ねる変数を、「回答している最中に配偶者が同じ部屋にいたかどうか」と解釈してしまったのである。報道した媒体は当該箇所を訂正・削除し、本人も誤りを認めた。
日本のデータはどうか。内閣府の「満足度・生活の質に関する調査」(2023年)によれば、30歳代以上では既婚者の生活満足度が未婚者より顕著に高い。さらに継続サンプルで結婚の前後を追うと、結婚後のほうが満足度が高く、4割以上の人で上昇が見られた。単なる選択効果では説明しきれない変化である。
だが、この同じ調査に、きわめて興味深い数字が含まれている。
結婚願望の有無で比較すると、男性はどの年代でも「結婚願望あり」のほうが満足度が高い。ところが女性の40歳代以降だけ、「結婚願望なし」のほうが満足度が高くなる。符号が反転するのだ。
この数字の因果は不明である。願望を持たないから満足しているのか、満足しているから願望が消えたのか、どちらとも言える。だが、符号の反転が特定の性別・特定の年代に限定して現れるという事実は、それ自体が何かを語っている。
ここで、哲学者ヤン・エルスターが「酸っぱい葡萄」と呼んだ機制を思い出したい。手に入らないものを、人は「そもそも欲しくなかった」と再記述することで、心の整合を保つ。適応的選好形成と呼ばれる。
若さは、この書き換えを不要にする。若さとは「いつでもその気になれば正規ルートに戻れる」というオプションだからだ。オプションを保有しているあいだ、防衛は必要ない。そしてオプションが失効した瞬間に、書き換えのプロセスが起動する。
問題は、この書き換えが誰にでも成功するわけではない、という点にある。
成功した人は、実際に楽になる。内閣府データの符号反転は、おそらくその痕跡だ。そして楽になった人は、その方法論を語りたくなる。発信者になる。
失敗した人は、楽にならない。だから楽になる方法を探す。消費者になる。
ここに、この言説の需給構造がある。供給側と需要側が、別の集団なのだ。だから「独身のほうが幸福」というメッセージは無限に流通しつづけるのに、それを最も必要としている人たちは一向に救われない。アルゴリズムはこの構造を検知して増幅する。エンゲージメントを生むのは真偽ではなく、安心したいという需要だからである。
そして、この鎮痛剤には副作用がある。痛みを止めることで、行動を先送りにさせる。先送りは、4節で見た二本目の曲線を、時間が経過した分だけ確実に下降させる。鎮痛剤が、病気そのものを進行させる。
念のために言っておくが、これは女性に固有の現象ではない。男性の側にも完全に同型の商品がある。「結婚はコスパが悪い」「日本の女は」で始まる一群の言説がそれだ。書き換えに成功した層が語り、失敗した層が消費する。構造は寸分違わない。違うのは、5節で見た装置の有無によって、副作用の出方が変わることだけである。
7. しなかった後悔だけが、時間とともに膨らむ
最後に、なぜこれが「老い」とともに悪化するのかを説明しておきたい。
心理学者のギロヴィッチとメドヴェックが示した知見がある。人の後悔には、時間に沿った規則的なパターンがあるというものだ。短期的には「やったこと」への後悔が強い。だが長期的には、「やらなかったこと」への後悔がそれを上回る。
機構は二つある。
ひとつは、作為には修復と正当化の作業が走ること。失敗した選択でも、人はそこから何らかの意味を回収し、物語に組み込み、折り合いをつける。だから作為の後悔は時間とともに減衰していく。
もうひとつは、不作為の反実仮想には境界がないこと。「もしあのとき結婚していたら」の中身は、誰にも検証されない。検証されないものは際限なく美化できる。だから不作為の後悔は、時間とともに膨らみつづける。
ここは、はっきり書いておきたい。40代以降に「しなかった後悔」だけが増大していくのは、その人が愚かだからではない。人間の認知にそういう法則が組み込まれているからだ。独身を選んだことが間違いだったから苦しくなるのではない。選ばずに時間が過ぎたことが、構造的に苦しみを増幅させるのである。
そして、この法則からひとつの実践的な出口が導かれる。
後悔を防ぐのは、正解を選ぶことではない。未決定を作為に変換することだ。決めて動けば、たとえ結果が悪くても、その後悔は減衰する側の曲線に乗る。決めずに放置すれば、結果がどうであれ、増大する側の曲線に乗ったままになる。
選択の正解は、誰にもわからない。
だが、どちらの曲線に乗るかだけは選べる。
結び
整理しよう。
日本の無子化は、女性が産まなくなった現象ではなく、婚姻が成立しなくなった現象である。繁殖から排除される役割は、歴史的には男性のものだった。いま起きているのは女性の淘汰ではなく、排除の両性化であり、無子率はいまだ男性のほうが高い。本当の非対称は、不可逆化のタイミングにある。そして排除に耐えるための装置を、男は持っていて、女はまだ持っていない。「独身のほうが幸福」という言説は、その装置の不在を埋めるために生まれた代用品であり、書き換えに成功した者が供給し、失敗した者が消費する。だがそれは鎮痛剤であって治療ではなく、時間を消費させることで病を進める。そして時間は、片方向にしか流れない。
排除される側に、女が回りはじめた。
それは、男がずっと立っていた場所だ。
だから本来これは、対立の話ではない。
同じ場所に立つ人間が増えた、というだけの話である。
問題は、そこに立つための道具を、片方だけが持っていることだ。
そして、その道具のほとんどは、笑いと諦めと、横に並んで座ることでできている。
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