女に合わせるな、ではない。世界に合わせるな──弱者男性の”誤謬”について
彼は間違ったことを何ひとつしていない
連絡はまめに返した。
相手の話を遮らなかった。
行きたいと言った店に行き、観たいと言った映画を観た。
予定が合わないと言われれば自分の予定をずらした。
誕生日を覚えていて、体調が悪いと聞けば心配のメッセージを送った。
金も出した。
強く出たことは一度もない。
それで嫌われた。
正確に言えば、嫌われてすらいない。
ただ、いてもいなくても同じ人間として処理された。
彼はここで「まだ足りなかったのだ」と考える。これが致命傷になる。次の相手にはもっと合わせる。もっと譲る。もっと早く返信する。そして同じ場所に着地する。
彼が払っていたコストは、実は一円も相手に届いていない。届いていないどころか、払えば払うほど彼の価格を下げる種類の支払いだった。
これは個人の性格の話ではない。2021年の出生動向基本調査によれば、交際相手(異性の友人・恋人・婚約者のいずれも)がいない未婚男性は72.2%。恋人と交際中の未婚男性は21.1%にとどまる。20歳以上の年齢層で「交際経験なし」と答えた男性は4割近い。
同じことが、大量に、同時に起きている。
個人の努力不足で説明できる規模ではない。
構造の話をする。
1.誤解の出どころ──ただし「優しい男は損をする」も嘘である
彼が「合わせれば報われる」と考えたのには理由がある。それまでの人生では本当にそうだったからだ。
学校という制度は、従順さに報酬を与える。指示に従い、輪を乱さず、要求に応える者が評価される。会社もおおむねそうだ。この報酬系のもとで20年以上を過ごせば、「相手の要求に応じる量」と「自分に返ってくる評価」が比例するという世界観が身体に入る。恋愛にも同じルールが適用されると考えるのは、むしろ自然な推論である。男同士では特に返報性が働きやすい。
ここで多くの人は、逆張りの結論に飛びつく。「優しさは減点なのだ」「女は結局、乱暴な男が好きなのだ」──ネット上に無数にあるあの論だ。
だが、これは実証的に間違っている。
Jensen-Campbell、Graziano、Westが1995年に発表した研究(Journal of Personality and Social Psychology)は、男性の支配性と向社会的行動が女性の配偶者選好にどう関わるかを調べた。結果は明快で、対象となる男性が協調的であるほど、女性からの好意も、デート相手としての望ましさの評価も高かった。
Urbaniak と Kilmann が2003年に行った実験(Sex Roles)も同じ方向を指す。優しさと身体的魅力の両方が、女性の選択と望ましさ評価にプラスに働いた。ただし純粋に性的な関係を想定した場合には、優しさの影響力は身体的魅力に比べて小さくなった。
つまり、優しさは加点である。減点ではない。「いい人だから振られた」という自己説明は、慰めとしては機能するが、事実としては誤りだ。
すると、話はいっそう厄介になる。合わせても報われない。かといって優しさが原因でもない。ならば彼は何を間違えたのか。
答えは、優しさの量ではなく、優しさの分布にある。
2.無差別な欲望は減価する
考えてほしい。彼の優しさは、目の前の彼女に向けられたものだったか。それとも、女性という属性一般に向けられたものだったか。
正直に振り返れば、後者であることが多い。彼はその人だから譲ったのではない。相手が誰であっても、同じように譲っただろう。返信の速さも、予定を空ける態度も、金の出し方も、相手を入れ替えても変わらない。彼のふるまいは、相手を識別していない。
このとき彼が発信している情報は「あなたが好きだ」ではない。「私は誰でもいい」である。
そして、この差は決定的な意味を持つ。
Eastwick、Finkel、Mochon、Arielyが2007年に発表したスピードデーティング研究(Psychological Science)は、この点を正面から測定した稀な研究だ。
彼らは二種類の互酬性を区別した。ひとつは二者間の互酬性──ローラがティムを他の男性より強く望むなら、ティムもローラを他の女性より強く望むか。もうひとつは一般化された互酬性──会場の男性全般を強く望んだ女性は、男性たちからも強く望まれるか。
結果はこうだった。二者間の互酬性は正。ある特定の相手を強く望むことは、その相手からの好意を引き寄せる。
一方、一般化された互酬性は負だった。会場の異性全般を強く望んだ人物は、他の参加者より低く評価された。
この効果に男女差はなく、身体的魅力を統計的に統制しても頑健に残った。研究者たちの結論は身も蓋もない。無差別なロマンティックな欲望は必死さを漂わせ、相手を醒めさせる。
Finkel はのちにこう言い換えている。ある独身男性が会場の女性全員を好ましく思っているなら、女性たちは彼に好意を返さない。魅力が生まれるのは、相手が「自分だけが望まれている」と感じるときだ、と。
ここに、恋愛弱者男性の敗因が正確に映っている。
彼は好意の量を増やそうとしていた。もっと優しく、もっと譲り、もっと尽くす。しかし相手が読んでいるのは量ではなく分布である。彼の好意が誰にでも同じ強度で向けられていると分かった瞬間、その好意は情報を失う。情報を失うだけでなく、マイナスの情報を運びはじめる。
令和日本の環境は、この失敗を工業的に量産している。マッチングアプリでは、送る側が構造的に男性に偏る。一人あたりのマッチ率が低いから、数を撃つのが合理的な戦略に見える。テンプレートを用意し、同じ挨拶を何十人にも送る。効率化のつもりのその行動が、まさに自分の価格を下げる要因そのものになっている。
無差別性は、驚くほど漏れる。プロフィールの当たり障りのなさに漏れる。最初のメッセージの内容の空虚さに漏れる。相手の話のどこにも食いついていないことに漏れる。「あなたの◯◯に興味を持ちました」という文が、誰にでも送れる文であることは、受け取る側からは一目で分かる。
3.なぜ減価するのか──情報を運ばないシグナル
なぜ好意が、多く払うほど価値を失うのか。ここは機構として理解しておいたほうがいい。感情の問題ではなく、情報の問題だからだ。
経済学のシグナリング理論には、単純だが強力な原則がある。あるシグナルが情報を伝えるのは、それを出すコストが送り手の質によって異なるときだけである。
学歴が能力のシグナルとして機能しうるのは、能力の低い者にとって学位の取得コストが高いからだ。もし誰にとっても同じコストで学位が手に入るなら、学位は何も語らない。質の高い者と低い者が同じ行動をとる状態を、経済学では混同均衡と呼ぶ。混同均衡にあるシグナルは、受け手にとって無価値である。
では「女に合わせる」はどうか。
このシグナルのコストは、送り手の質によって異なる。ただし逆向きに。選択肢を豊富に持つ男にとって、一人の女に全面的に合わせることは高くつく。他に使えたはずの時間、他に向けられたはずの関心、断ることができたはずの要求。彼はそれらを手放さねばならない。
一方、選択肢を持たない男にとって、それは安い。むしろ捨てるものが何もない。空いた時間はもともと空いていた。断って失うものは、失うものがないという状態そのものである。
つまり、追従というシグナルは質の低い送り手ほど安く払える。分離均衡が成立しない。だからシグナルとして情報を運ばない──どころか、支払い意思の高さそのものが、外部に選択肢がないことの推定材料になる。
彼は好意を伝えているつもりで、市場価値の低さを申告している。これが、優しさが加点であるにもかかわらず彼が選ばれない理由の、機構的な説明である。
4.誰に対して従順か──非対称という抜け道
ここまでの議論は、しかし、まだ実践に落ちない。「無差別に優しくするな」は分かった。では特定の一人には全面的に優しくすればいいのか。
ここに、この問題のもっとも重要な非対称がある。
Lukaszewski と Roney が2010年に発表した研究(Evolution and Human Behavior)は、配偶者選好が「行動が誰に向けられているか」によって変わることを示した。女性が理想とするのは、他の男性に対しては相対的に支配的でありながら、自分に対しては親切である男性だった。
理由も明快に説明されている。自分に向けられた支配的行動は、身体的な被害や、自分の利益に反する行動への強制といったコストにつながりうる。だから自分に対する支配性は好まれない。しかし外部に対する優位性は、資源や地位や保護の指標として機能する。この二つは矛盾しない。向けられる方向が違うだけだ。
Snyder らの研究も同じ方向を補強している。女性は多くの状況では低い支配性を好むが、競争的な場面など、その行動が文脈上適切な場合には高い支配性を好む。つまり選好は文脈特異的であり、「強い男が好き」でも「優しい男が好き」でもない。
ここで、恋愛弱者男性の失敗が正確に定義できる。
彼の問題は、彼女に優しいことではない。世界に対しても従順であることだ。
上司に従い、同僚に譲り、要求を断れず、飲み会を断れず、無理な仕事を引き受け、自分の生活の設計を他人の都合に明け渡している男が、彼女にも譲る。この場合、彼女に対する優しさは何も意味しない。彼は彼女を選んで優しくしているのではなく、あらゆる相手に対してそうしているだけだからだ。ここでも問題は分布である。
補強しておくと、従順さが減価するのは恋愛市場だけではない。Judge、Livingston、Hurst が2012年に発表した研究(Journal of Personality and Social Psychology)によれば、協調性の高い男性は協調性の低い男性より収入が低く、昇進の候補にもなりにくい。世界に対する従順は、あらゆる市場で価格を下げている。
だから、命題はこう書き換わる。
女に合わせるな、ではない。世界に合わせるな。
彼女に優しくするのは構わない。むしろ加点である。ただしそれが、他のすべてに対しても従順である男の、その延長線上にあってはならない。世界に対して自分の基準を持ち、譲らないものを持っている男が、その彼女にだけ譲る。このときはじめて、譲るという行為が情報を運ぶ。
5.承認の供給源を一本化するな
もうひとつ、別の角度からの機構がある。
配偶者選択のコピーイング(mate choice copying)という現象がある。他者の選択を参照して、自分の選好を形成する傾向のことだ。2018年に発表されたメタ分析では、女性は男性ターゲットを、女性が一緒に写っている条件でより望ましいと評価した。手がかりを増強した研究では性差が消え、男女ともに魅力的な他者と一緒にいるターゲットをより魅力的と評価した。
ただし、これを配偶者選択に特化した本能だと断定するのは早い。Cross らが同じ2018年に Scientific Reports で発表した研究では、女性は他の女性が高く評価した男性の顔をより魅力的と評価したが、抽象絵画についても同じことが起きた。研究者たちは、これは配偶者選択に特化した適応ではなく、人間が一般に他者の意見に影響されやすいことの現れかもしれないと述べている。
私はこの反証を、論を弱めるものだとは思わない。むしろ強めると考える。
もし配偶者選択に限った特殊な本能なら、対策も特殊なものになる。だが汎用的な社会的学習なのだとしたら、話はもっと単純で、もっと逃げ場がない。他者に評価されていないものは、どの領域でも価値が低く見積もられる。絵でも、人でも、同じことだ。
ここから、実践的な結論が出る。
男の価値は、複数の外部評価者から与えられる。仕事、技能、収入、同性集団内での地位、作品、身体。ところが恋愛弱者男性は、この評価構造を自分で破壊する。目の前の一人の女に、自分の価値の決定権を全面的に譲渡してしまう。彼女に好かれれば自分には価値があり、嫌われれば価値がない。そういう状態を、自分で構築する。
外から見れば、この男には自分以外に価値を保証してくれる第三者がいない。誰も欲しがっていないものを高く買う人間はいない。恋愛が徹底して相対評価の市場である以上、これは致命的だ。
「自分の人生の手綱を握る」というのは精神論ではない。評価者を分散させておくことの別名である。仕事で評価されている。趣味の共同体で一目置かれている。自分の基準で自分を採点できる。だから一人の女の評価が、自分の価格の暴落要因にならない。
6.これは駆け引きの推奨ではない
ここまで読んで、多くの人が誤読する。「では既読無視すればいいのか」「じらせばいいのか」と。
その誤読を潰しておく。これを外すと、この文章はよくある恋愛工学の焼き直しになるからだ。
たしかに、不確実性が魅力を高めるという有名な研究はある。Whitchurch、Wilson、Gilbert が2011年に発表した研究(Psychological Science)では、自分をどれくらい好きか不確かな男性に対して、女性がもっとも強く惹かれた。「とても好かれている」と伝えられた条件よりも高かったのだ。この研究は、じらしテクニックの科学的根拠として長年濫用されてきた。
しかし条件がある。後続の研究では、関係の不確実性が相手の魅力を損なったのは、その相手が自分に関心がないと知覚された場合だった。ロマンティックな関心の明示的な表現は、相手の意図についての確信を育て、むしろ魅力を高めていた。不確実な関係に自分を投資することから身を守るために、欲望のほうが抑制される、という解釈である。
つまり不確実性が効くのは、関心があると分かったうえで、選ばれるかどうかが不確かな場合に限られる。関心がないと読まれた瞬間、効果は反転する。冷たくするという戦略は、この極めて狭い帯域を狙う賭けであり、外したときの損失が大きい。
そして、より根本的な問題がある。演技された非依存は漏れる。
Shaver、Schachner、Mikulincer が2005年に行った研究では、過剰な安心希求は愛着不安と結びついており、パートナーは互いの安心希求に気づいていた。別の研究群でも、過剰な安心希求は自己価値の低下、対人的な拒絶、関係の質の悪化と繰り返し関連づけられている。
隠せていない。本人だけが隠せているつもりでいる。
理由は単純で、演技する動機そのものが依存だからだ。「必要としていないふりをすれば手に入るかもしれない」と考えている男は、必要としている。そしてその演技は、返信を遅らせるのに要した労力、既読を無視している間の落ち着かなさ、相手の反応を確認する頻度として、必ず外に出る。
本物と偽物を分ける線は、態度ではなく、時間の配分にある。
返信を待っていた時間の長さ。彼女の予定に合わせるために捨てた自分の予定の数。断れなかった要求の数。今週、自分のためだけに使った時間の総量。これらは演技できない。誰と会っていないか、何をしていないかは、口では隠せても生活の形に出る。
「女を必要としない男」とは、必要としていないふりが上手い男のことではない。必要としていない状態を、実際に生きている男のことだ。
7.卵が先か、鶏が先か
ここで、この種の議論に必ず投げられる反論に答えておく。
「自己決定できる男がモテるのではなく、モテる男──資源と地位のある男──だから自己決定できるのではないか」
正当な反論だ。ここを避けると、この文章は「気の持ちようだ」という無内容な精神論になり、いちばん届けたい相手を突き放すことになる。
正直に言えば、因果は双方向だろう。地位が自律を可能にし、自律が地位を強化する。切り分けは難しい。
ただし、ひとつ確かなことがある。地位や資源は今日変えられないが、決定権は今日変えられる。そして決定権の側から入る経路には、独立した根拠がある。
神戸大学の西村和雄と同志社大学の八木匡が、日本人2万人を対象に行った分析がある。主観的幸福感を決める要因を比較したところ、健康と人間関係に次ぐ要因として、所得や学歴よりも「自己決定」が強い影響を与えていた。自己決定で進路を決めた人は、不安の程度も低かった。研究チームはこう解釈している。自己決定で進路を選ぶと、自らの判断と努力で目的を達成する可能性が強まり、成果に責任と誇りを持ちやすくなる、と。
所得より効く。学歴より効く。そしてこれは、所得や学歴と違って、来週から変えられる。
具体的には、こういうことになる。
断る。理不尽な要求も、気の進まない誘いも、自分の設計に合わない予定も断る。断ることは能力ではなく、単に一度やれば二度目からは易しくなる行為である。
自分の予定を先に埋める。空白を作らない。空白があるから、他人の都合がそこに流れ込む。何もない夜を持っている男は、その夜を誰かに明け渡す準備をしている。
評価者を増やす。仕事でもいい、身体でもいい、技能でも、作品でも、金でもいい。一人の女以外に、自分を採点してくれる場を持つ。ここが埋まらないかぎり、承認の供給源は一本のままだ。
そして、この三つには副作用がある。女に使っていた時間が空くのだ。空いた時間は、評価者を増やす活動に回るしかない。循環の入口は、地位の側ではなく行動の側にある。
選ばれなくても、価値が毀損しない
最後に、この文章の主張を一行に畳んでおく。
「女を必要としない」とは、無関心のことでも、冷淡さのことでもない。選ばれなくても、自分の価値が毀損しない状態のことだ。
その状態にある男は、彼女に優しくできる。譲ることもできる。合わせることもできる。しかしそのふるまいは、他のすべてに対する従順の延長ではないから、情報を運ぶ。彼が譲ったという事実は、彼が譲らないでいられる男であるという事実によって、はじめて意味を持つ。
逆に言えば、手綱を手放した男が差し出す優しさには、価格がつかない。彼はすべてを差し出しているのに、何も渡せていない。これは残酷な話ではなく、単に情報の問題である。
だから、順番が違うのだ。
選ばれるために自分を明け渡すのではない。明け渡さない自分を作ったあとで、その手で誰かを選ぶ。
女に合わせるな、ではない。
世界に合わせるな。
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