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男の傷はなぜいつも"帳簿"の形で現れるのか

——ある投稿を〈症例〉として読む


ある投稿がSNSで流れてきた。要約すればこうだ。

女にとって最も価値のある部分は若さと処女性である。
それは既に他の男たちへ無償で引き渡された。
その残余を差し出しておいて、男には義務ばかりが増える契約を結べというのは筋が通らない。
だからその要求を飲む必要はない。

数万の反応がついていた。
賛同も罵倒も、どちらも大量に。

私はこれに反論するつもりがない。
理由は二つある。

一つは、反論が簡単すぎるからだ。この文には論理的な穴が最低でも三つある。後で順番に指摘するが、正直に言えばそれは五分で終わる作業で、五分で終わる作業には金を払う価値がない。

もう一つは、こちらが本題だが、この投稿が主張ではなく症状だと思うからだ

主張なら真偽を争えばいい。だが症状は、真偽を争っても何も起きない。熱が出ている人間に「三十八度は高すぎるので不当だ」と言っても熱は下がらない。問うべきは、なぜこの体温なのか、である。

そして私が本当に知りたいのは、この一点だ。

令和の日本で、男の傷はなぜ、契約・資産・詐欺という商取引の言葉でしか語られなくなったのか。

この投稿は、その問いに対する上等な検体である。だから解剖する。

1章 まず、五分で終わる作業を済ませる


三つある。

第一に、結論が定義の中に入っている。

この文は三段論法の形をしている。

①女の最高の価値は若さと処女性である。
②それは既に他の男に渡された。
③ゆえに結婚要求は不当である。

だが②と③は、①を認めた瞬間に自動的に出てくる。若さと処女性が「最高のもの」だと定義してしまえば、それを持たない相手の要求が不当になるのは当たり前だ。つまりこれは論証ではなく、定義の言い換えである。議論に値する唯一の点、すなわち①がなぜ成り立つのかだけが、検証されないまま前提の位置に置かれている。

前提を疑わせない書き方は、扇動としては極めて優秀だ。読者は②と③を追いながら「筋が通っている」と感じる。実際、②から③への筋は通っている。通っていないのは、そこに入る前の一歩である。

第二に、腹話術が使われている。

「若さと処女はお前には渡さない、それでも契約を結べ」——これを鉤括弧に入れて、女に言わせている。

だが、こんなことを言った女はいない。プロポーズの席でこう宣言する人間がいたら、それはもう別の問題だ。この文の書き手は、仮想の相手の自白調書を自分で書き、自分で読み上げ、自分で憤慨している。

腹話術の厄介なところは、反証が構造的に不可能なことだ。「そんなことを言う女はいない」と反論すると、「言わないだけで実質そう要求している」と返せる。実質という言葉が入った瞬間、その主張は経験的な内容を失う。反証できない主張は、強いのではなく、空虚なのである。

第三に、存在しなかった時期への所有権を主張している。

「夫になるお前には渡さず」という一句が全体の情動を支えている。だがこの「渡さず」は、渡されるべきものが自分にあったことを前提にしている。

彼女が十九歳だったとき、彼はまだ彼女の人生に存在していない。存在していない人間に対して、彼女は何も出し惜しみできない。取られたのではない。最初から持っていなかった

これは、自分が生まれる前の相続財産について遺留分を請求するのに似ている。感情としてはわかる。だが権利としては何もない。

——以上で五分が終わる。

ここまでで気持ちよくなった読者は、たぶんこの先を読まないほうがいい。ここから先は、彼の側に武器を渡す作業になる。

2章 彼の直観に、最大限の武装を与える


弱い版を潰しても意味がない。潰す価値があるのは強い版だけだ。だからここでは、私が持っている限りの資料を使って、彼の直観をできるだけ硬い形に鍛え直す。

先に結論を言っておく。彼は空気を殴ってはいない。

2-1 これはネット民が思いついた話ではない

婚前の性経験と婚姻の不安定さの相関は、1938年に既に報告されている。報告者はルイス・ターマン——知能検査の草分けであり、優生思想の持ち主でもあった人物だ。彼は婚前交渉が婚姻不安定と強く相関すること、そしてパートナー数が多いほど離婚が多い傾向を示した。

以後、この所見は多くの研究者によって繰り返し再現されてきた。八十年以上、消えていない。

よくわかっていないのは、相関の有無ではない。なぜそうなるのかのほうである。

この事実だけで、「進歩的な学問 vs 反動的なネット言説」という対立図式は使えなくなる。彼が触れているのは、家族社会学が一世紀近く抱えている、扱いに困る所見そのものだ。

2-2 効果量を、統制の前と後で並べる

数字を出すときは、都合のいい方だけ出さない。それをやると、彼と同じ罪を犯すことになる。

統制をかけない粗い比較では、婚前パートナーのいた人は、処女・童貞のまま結婚した人と比べて婚姻解消のリスクが161%高い。倍率で言えば二倍から三倍の水準である。

これは正直に言って、粗すぎる数字だ。信仰、家族背景、教育、地域——いくらでも交絡が入る。

では統制後はどうか。ジェシー・スミスとニコラス・ウォルフィンガーの一連の分析によれば、婚前パートナーが1人から8人の層で、離婚のオッズはおよそ50%上昇する。9人以上でさらに高い水準に跳ねる。Add Health(全米青少年から成人への長期追跡調査)を用いた事象史モデルでは、配偶者以外の婚前パートナーがいない層を基準として、6人以上が最も高い離婚リスクを示し、その次に高かったのが1〜2人の層だった。

161%が50%に落ちる。落ちるが、消えない

ここが重要だ。この種の相関の多くは、統制をかけると跡形もなく消える。消えなかったという事実そのものが、所見の頑健さを示している。

2-3 いちばん安易な反論は、既に潰されている

この話題には定番の反撃がある。

「因果ではない。選択だ。パートナー数が多い人はもともと長期的な関係に向かない性格傾向や価値観を持っていて、その傾向が両方の結果を生んでいるだけだ。婚前交渉が離婚を起こすのではなく、離婚しやすい人が婚前交渉もする」

美しい反論だ。統計的にも筋が通っているし、何より穏当である。私も最初はこれで済むと思っていた。

済まなかった。

スミスとウォルフィンガーは、まさにこの選択機構を検証するために再分析を行っている。青年期の信念と価値観、親子間で性についてどう語られてきたか——選択説が想定する機構の候補を、明示的にモデルへ投入した。

結果は、関係は依然として強く、頑健に残った。従来理論化されてきた選択機構では説明がつかない、というのが彼らの結論である。別の分析では、家族背景から人口学的属性、個人特性、性に関する態度と行動まで二十を超える変数を統制した上で、それらのどれも関係を説明しないと報告している。彼ら自身、まだ見つかっていない交絡因子がある可能性は否定していない。だが、探して、見つからなかった。

つまり、あの投稿に対して読者が最初に思いつく反論は、専門家が先回りして試し、失敗している。

私はこれを認める。認めた上で次章に進む。

2-4 「若さ」の側にある、反論不能な足場

彼の主張は二本柱だ。処女性と、若さ

処女性の側は、以上のようにデータの解釈問題として争える。だが若さの側には、解釈の余地がほとんどない領域が一つある。妊孕性だ。

年齢に伴う妊孕力の低下は、統計の読み方の問題ではなく生物学である。ここを「多様性の時代だから」で押し流すのは、単に誠実でない。子どもを望むかどうかは個人の自由だが、望んだ場合に何歳で何が起きるかは自由にならない。

さらに、男性の年下選好が文化を超えてかなり頑健に観察されることも、繰り返し確認されてきた。これを社会的刷り込みだけで説明しようとすると、説明すべき対象のほうが先に逃げていく。

だからここは認める。彼の主張のうち、若さと妊孕性を結ぶ部分は硬い。

そして——これを明示的に認めることによって、それ以外の部分がどれほど軟らかいかが際立つ

2章のまとめ

ここまでで、彼の直観には統計的な影があることがわかった。八十年の系譜があり、統制に耐える効果量があり、最も安易な反論は先に潰され、二本柱の一本には生物学的な裏づけがある。

これを認めない論者は、彼を説得できない。私は認める。

その上で、次章で彼の議論を解体する。潰すためではない。彼の怒りは、この形のままでは行き先を持てないからだ。

3章 強い版に鍛えた瞬間、それは彼の武器でなくなる


鍛えた刃を、そのまま彼に返す。すると刃はこちらを向かない。

第一に、性差がなかった。

これが決定的である。スミスとウォルフィンガーの分析は、婚前交渉と離婚の関係について男女差を検討し、性差の証拠は見出されなかったと報告している。男の履歴も、同じだけ効く。

あの投稿の骨格は「減価するのは女だけである」という前提の上に立っている。若さと処女性は女の資産であり、消費されれば戻らない。だから請求権が発生する——これが全構造を支える梁だ。

その梁が、彼が最も頼りにしたい研究によって折られる。データが言っているのは「非処女の要求が不当だ」ではない。「双方のリスク要因だ」である。彼自身の履歴も、同じ帳簿に載る。

強い版に鍛えると、この怒りは宛先を失う。ここがこの症例の核心だと私は思っている。

第二に、「若ければ若いほど良い」は成立しない。

婚姻の安定という指標で見る限り、若さは単調な資産ではない。ウォルフィンガーの分析では、初婚年齢と離婚リスクの関係はU字を描く。32歳あたりまでは、結婚年齢が1歳上がるごとに離婚のオッズが約11%下がる。それ以降は年5%ずつ上がっていく。最も安定するのは28歳から32歳。十代の結婚が最も不安定である。彼はこれを二つの異なる全米調査、一万人以上のデータで再現しており、欧州の複数国でも同様の曲線が確認されている。

つまり、彼が「最高のもの」と呼んだ十代後半から二十代前半という時期は、婚姻の安定性という物差しで測る限り、最高ではない

第三に、関係が単調ですらない。

ウォルフィンガーが全米家族成長調査(NSFG)で見出した所見の一つに、婚前パートナー数が2人の女性の離婚率が、3人から9人の層より高い時期がある、というものがある。

資産論はこれを説明できない。減価する資産なら、少ないほど良いはずだ。ところが実際の曲線はでこぼこしている。減価償却では描けない形をしている。

第四に、日本のデータが一つも出てこない。

私はこの記事のために探した。婚前パートナー数と離婚を結びつける日本の全国統計は、見つからなかった。ここまで挙げた知見はすべて、アメリカの、しかも宗教的態度が離婚と強く絡む社会のデータである。

つまりこの言説は、輸入品だ。輸入品が悪いとは言わない。私も使った。だが、日本の男性が日本の結婚について怒るときに、日本のデータが一つもないまま議論が成立してしまうという事実は、それ自体が症状の一部である。彼が怒っているのは、目の前の統計についてではない。

挿話 同じ罠は、こちら側にも仕掛けてある

一つ自戒を挟む。

「未婚男性は既婚男性より14年早く死ぬ」という説がある。厚労省の人口動態統計から配偶関係別の死亡年齢中央値を出すと、未婚男性67.2歳、有配偶男性81.6歳になる。数字自体は正しい。私もこの記事の下書きで、既婚男性側の便益として使おうとした。

だが大和総研の是枝俊悟氏が指摘している通り、この差の大部分は母集団の年齢構成の違いによる見かけ上のものだ。若い世代ほど未婚率が高いのだから、未婚者の集団には若くして死んだ人が構造的に多く含まれる。いま生きている未婚男性の平均余命が67歳という意味ではまったくない。

私はこの数字を使うのをやめた。

言いたいのはこういうことだ。片側の帳簿しか書かないという癖は、あの投稿の書き手だけの病気ではない。論破する側にも同じだけある。彼を笑う準備をしている人間は、たいてい自分の側の数字を検算していない。

4章 では、なぜ商取引の文法なのか


ここからが本題である。

あの投稿には、契約、要求、無償、渡す、飲む、義務、責任——取引の語彙しか出てこない。悲しい、寂しい、悔しい、といった言葉は一つもない。にもかかわらず、あれが痛みの表明であることは誰の目にも明らかだ。

痛みが取引の言葉に翻訳されている。なぜか。四つの層があると思う。

(1) 結婚が、身分から契約になった

かつて結婚は、共同体が担保する身分だった。入るのに個人の判断はさほど要らず、出るのは個人の意思では難しかった。家と家、村と村の問題であり、当事者は制度に組み込まれる側だった。

いま、結婚は当事者間の私的な合意として理解されている。法的にも、実感としても。契約なら、履行と対価を問うのは自然な振る舞いである。

だから彼の語彙は、時代錯誤どころか、時代に対して忠実ですらある。結婚を契約として教え込んだ社会が、その契約の対価表を作り始めた人間に「そういう問題ではない」と言うのは、少し虫がよくないか。

(2) 恋愛市場が、可視化され、数値化された

かつて「彼女の過去の男」は抽象だった。存在するかもしれないが、顔も回数も知らない。知りようがなかった。

いまは違う。マッチングアプリは人間を項目に分解し、比較可能にした。SNSは他人の関係の履歴を半分公開する。恋愛市場が、在庫と価格の言語で記述できる対象になった。

言語が用意されると、感情はその言語の形に流れ込む。在庫と価格の語彙を配給された人間が、自分の傷を在庫と価格で語り出すのは、ほとんど必然である。彼が商取引の文法を選んだのではない。それしか棚に並んでいない。

(3) 男には、傷を語る形式がない

これは私が別の記事で書いたことの続きになる。

男同士の絆は、向かい合ってではなく、肩を並べて作られる。同じ方向を見て、同じ作業をしながら、話が横から漏れてくる。オーストラリア発祥のメンズシェッドという運動が掲げる標語が、そのまま「Shoulder to Shoulder(肩を並べて)」だ。

この様式には利点がある。だが決定的な弱点もある。傷そのものを正面から差し出す形式を、持っていない。

男性同士のコミュニティで「悲しい」と言えば空気が凍るか、茶化される。だが「損した」と言えば、笑いと共感が同時に返ってくる。損得は、男性間の会話で唯一検閲を通過する感情表現なのだ。

だからあの投稿は、損得の形をしている。書き手が守銭奴だからではない。それ以外の形では、誰にも読んでもらえないからだ。

痛みは、通行可能な形に自らを変形させて外に出る。あれは変形後の姿である。

(4) 生活の全領域が、既に収支で語られている

そして、この社会では他のあらゆることが収支で語られている。

手取りは増えない。社会保険料は増える。人生の選択はすべて「コスパ」「タイパ」で評価される。住居も、教育も、老後も、投資収益率の言葉で議論される。

その社会で、結婚だけが損得の外にあると考えるほうが無理だ。結婚がコスパで語られるのは、結婚が特別に堕落したからではなく、生活のあらゆる領域が既にそう語られているからである。

四つの層をまとめると、こうなる。

制度が契約になり、市場が数値化され、語彙が損得しか許可されず、生活実感が収支で埋め尽くされている。この四条件が揃った場所で、失恋した男が口を開くと、あの文章が出てくる。

彼は特殊ではない。彼は精密に、この社会の出力である。

5章 それでも残る、正当な核


ここまで彼の議論を解体してきたが、捨ててはいけない部分が一つある。

結婚という契約には、他の契約にない構造的な特徴がある。不可逆な投資を、検証不能な情報の上で行わせるという点だ。

投じるもの——時間、収入、キャリアの選択、生殖可能な年数——はいずれも回収できない。にもかかわらず、判断の材料になる情報の大半は、相手の自己申告に依存している。誠実さも、家族観も、金銭感覚も、事前に検証する手段がない。

これは中古車市場と同じ構造だ。売り手だけが品質を知り、買い手は知らない。ジョージ・アカロフが「レモン市場」と呼んだ状況である。情報の非対称が大きすぎる市場では、買い手は疑い、価格は下がり、良質な売り手が退出し、市場そのものが縮む。

日本の婚姻市場で起きていることの一部は、この機構で説明できる。

そして、ここが分かれ道だ。

同じ不快感を、構造に帰属させることもできるし、相手の道徳的欠陥に帰属させることもできる。

構造に帰属させれば、議論は開く。契約前の情報開示をどう設計するか。離婚時の財産分与と親権の制度が、投資回収の見通しにどう影響しているか。婚前契約が実質的に機能しない現状は妥当か。どれも具体的で、面倒で、動かせる話だ。

相手の道徳的欠陥に帰属させれば、議論は閉じる。閉じた言説は、拡散するが、何も動かさない。

あの投稿が数万の反応を集めたのは、閉じているからだ。閉じた言説は即効性のある快楽を与える。読んだ瞬間に留飲が下がる。そして翌朝には、何一つ変わっていない。

彼が本当に怒るべき相手は、彼女の元彼ではない。


もう一度、あの投稿を読み返す。

若さ。処女。無償。渡した。契約。義務。責任。

この語彙の下に、たった一行が埋まっている。

俺は選ばれなかった。

私が言いたいのはそれだけだ。彼に必要だったのは反論ではなかった。翻訳だった。そして翻訳を引き受ける相手も、翻訳先の語彙も、この社会は彼に配給していない。

だから彼は、自分の傷を帳簿に書いた。貸方に若さ、借方に義務、差額に憤怒。会計としては出鱈目だが、それ以外の書式を渡されていない人間が書いた書類としては、驚くほど整っている。

そして——ここで自分の話をしておくと、私はこの記事を八千字かけて書いた。彼を分析するために、統計を四本引き、社会学者の名前を三つ出し、章立てを七つ作った。

その労力は、たぶん、同じ場所から出ている。

私も、正面から書く形式を持っていない。

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