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法律は誰を守るために作られたか——DV防止法に埋め込まれた性別前提と、見えない男性被害者の沈黙


序章:非対称の起点


家庭内で暴力を受けた人間が110番に電話する。警察はどう動くか。

答えは、被害者が誰かによって異なる。
より正確に言えば、被害者の性別と、申告者の性別の組み合わせによって、制度が発動するか否かが大きく左右される。これは日本の制度が意図的に設計した結果ではない。しかし、意図せず埋め込まれた前提が、20年以上かけて制度の骨格に結晶化した結果として、現実にそうなっている。

「家庭内での暴力」に対して、警察・裁判所・相談機関が動く可能性は、被害者が女性のときの方が、男性のときより構造的に高い。この非対称は、主観的な「信じてもらいやすさ」の問題ではなく、法律の文言、運用体制の設計、支援インフラの整備水準という客観的な制度差として存在する。

本稿は、その制度差を解剖する論考である。個人の動機や感情を論じるのではなく、法律の立法過程、統計データ、判例、支援体制の設計思想という実証的な素材から、制度の性別前提を浮かび上がらせる。

そして、この問題は今、ある変化の前夜に立っている。かつて「5人に1人」と言われた男性DV被害者の数は、統計上も無視できない規模に達しつつある。しかし制度は、変化を捉えるための設計になっていない。

この論考の結論もまた、前向きなものではない。制度の性別前提は、それが生まれた時代の政治的・社会的合力の産物であり、単独の改革で解消できる性質のものではないからだ。それでも、この問題を直視することには意味がある。見えていない問題は、解決できないからだ。

第1章:数字が示す非対称——被害の実態と申告率の乖離


まず、数字を整理する。

内閣府の「男女間における暴力に関する調査」(令和5年度)によれば、配偶者から身体的暴行を「何度も」経験したことがある者の割合は、女性3.8%、男性1.9%である。ほぼ2倍の差がある。これは暴力被害の実態の性別差を示している。

しかし、相談行動に関するデータは全く異なる様相を示す。

被害経験のある者のうち誰かに相談した者の割合は、令和2年(2020年)の内閣府調査で、女性53.7%、男性31.5%である。男性は、女性の6割弱しか相談していない。被害規模の差(2倍)より、相談率の差(1.7倍)の方が問題として深刻なのは、被害実態が相談件数に正確に反映されないということを意味するからだ。

警察への相談・通報という段階になると、さらに非対称が拡大する。警察庁の統計(令和5年)によれば、配偶者からの暴力事案等の相談件数のうち、被害者が男性の割合は29.5%に達した。これは過去最多である。2009年頃は1.8%程度だったことを考えると、15年で約16倍に増加したことになる。

この急増は何を意味するか。二つの解釈が成り立つ。一つは、男性被害者が声を上げやすい社会的環境が整いつつある、という楽観論。もう一つは、そもそもの潜在的な男性被害者数が相当規模で存在しており、これまでは統計に出てこなかっただけだ、という解釈である。後者の方が実態に近い。

NPO法人OVA(オーヴァ)が2020年に公表した検索連動型広告を利用した調査では、検索エンジン上で「夫からの暴力」「妻からの暴力」等のキーワードで広告を表示し、クリック数を比較した。その結果、男性被害者向けのキーワードでも相当数のクリックが発生した。つまり、検索行動として現れる「助けを求めたい」という意思は男性にも存在するが、それが制度上の相談機関への接触には至らないのである。

なぜ至らないのか。同調査では、男性被害者が相談しなかった理由として「どこ(誰)に相談して良いのかわからなかったから」が最多(44.4%)だった。これは「相談したくなかった」のではなく、「相談できる場所がわからなかった」ということである。支援インフラの可視性の問題だ。

次の問いが自然に立ち上がる——なぜ男性被害者は「どこに相談すればよいかわからない」のか。そしてその答えは、制度の設計思想の中にある。

第2章:DV防止法の前文に埋め込まれた前提


2001年4月、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(DV防止法)が成立した。超党派の女性議員による議員立法であり、同年10月から施行された。

この法律の前文には、次の記述がある。

「配偶者からの暴力の被害者は、多くの場合女性であり、経済的自立が困難である女性に対して配偶者が暴力を加えることは、個人の尊厳を害し、男女平等の実現の妨げとなっている」

この一文が、DV防止法の設計思想の中核である。「被害者は多くの場合女性である」という事実認識と、「経済的自立が困難である女性」という属性的記述が、法律の前提として明文化されている。

法の本文は「男女の別を問わず」と明記している。内閣府のQ&Aも「男性の被害者であっても、この法律による保護等を受けることができます」と説明している。形式的には男性被害者も対象だ。しかし、その直後に「配偶者からの暴力の被害者の多くは女性であることなどから、女性に対する暴力に十分配慮した規定となっています」と続く。形式的包摂と実質的設計思想の間に、明確な乖離がある。

この乖離は、法律の文言だけに留まらない。支援インフラの設計に、より具体的に反映されている。

DV被害者の一時保護を担う公的機関は、「婦人相談所」である。これはDV防止法よりはるか以前、1956年の売春防止法に基づいて設置された施設である。もともとは性売買に関わる女性の「補導・保護更生」を目的としていた。DV防止法施行後、婦人相談所はDV被害者の一時保護の中核機関として位置づけられた。

婦人」相談所である。男性が緊急一時保護を求めて飛び込む想定は、設計上存在しない。弁護士向け解説サイトも「男性であること、高齢であることなどを理由に入居できない場合もあります」と明記している。制度上は「男女問わず」でも、実際の施設は「女性のための場所」として設計・運営されている。

2024年4月、「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」が施行され、婦人相談所の機能は「女性相談支援センター」に引き継がれた。名称が変わり、支援対象も売春防止法の文脈から離れた。しかし「女性」という限定は名称にも条文にも残り、男性被害者の受け皿という位置づけは変わっていない。

保護命令の申請においても、実態的な非対称がある。保護命令は「被害者の申立て」により裁判所が発令するものだが、実務上は配偶者暴力相談支援センターや警察への事前相談が前提とされる。男性被害者がこのルートを辿ろうとすると、最初の窓口である相談センターの多くが「女性専用」または「女性優先」の運用であることに直面する。相談の入口自体が、男性被害者を想定していない設計になっている。

相談件数の統計が「女性7割強、男性3割弱」(2023年)という数字を示しているということは、男性が相談していないのではなく、男性が相談できる経路が整備されていないという現実を反映している可能性がある。

第3章:立法過程における「加害者像の固定化」


DV防止法が「被害者は女性」という前提で設計されたことは、立法過程の政治的文脈を抜きにして語れない。

2001年の制定は、1990年代後半から2000年代初頭にかけて活発化した女性の人権・暴力被害に関する国際的な議論の流れの中にある。国連での「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」(1993年)、北京行動綱領(1995年)といった国際文書が、各国の女性団体を通じて立法運動の理論的背景を提供した。

日本でも、民間のDV被害者支援団体が積極的なロビー活動を展開し、超党派の女性議員との連携のなかで、法案の骨格が形成された。当時の立法過程に詳しい記録を辿ると、支援団体・女性議員・内閣府男女共同参画局という三者が緊密に連動して法案を設計していたことがわかる。

この過程で、「典型的なDV」像が固定化された。それは、経済力を持つ男性が、経済的に依存する女性に対して行使する暴力、という構造である。この類型化は、当時の相談事例の多数派を反映したものであり、虚偽とはいえない。しかし、多数派の実態を普遍的な構造として法律に刻み込んだ結果として、少数派——男性被害者、同性パートナー間の暴力、経済力を持つ女性が持たない男性に対して行う暴力——は、「例外」「想定外」として制度の周縁に置かれた。

内閣府が使い続けてきた政策ラベルも象徴的だ。主管部局の名称は「男女共同参画局」だが、DV政策の担当部局名は長年「女性に対する暴力」対策課であり、現在も「男女間暴力対策課」という名称はあるものの、政策文書のタイトルには「女性に対する暴力の根絶」という表現が頻出する。政策設計のレベルで、「DV=女性への暴力」という等式が維持されている。

立法後の改正過程も、この傾向を強化する方向に動いてきた。2004年改正、2007年改正、2013年改正、2023年改正と、DV防止法は繰り返し強化されてきた。改正の都度、保護命令の対象拡大、精神的DV・経済的DVの包摂、元配偶者・同居交際相手への適用拡大といった被害者保護の充実が図られた。これ自体は正しい方向性である。

しかし、各改正において「男性被害者への対応」「シェルターの性別中立化」「申告率の性別格差の解消」といった論点が、改正の主眼に置かれたことは一度もない。改正を主導した議員、関係した支援団体、内閣府の担当部局——いずれの主体も、被害者保護の強化という方向性において一致しており、その「被害者」の中心像は女性として維持されてきた。

第4章:「信じてもらえない」という構造的障壁

ここで、制度的問題だけでなく、心理的・社会的な障壁にも触れる必要がある。なぜなら、制度の性別前提は、法律の文言だけでなく、警察官や相談員の個人的な認知枠組みにも浸透しているからだ。

男性がDV被害を申告しようとしたとき、直面する最初の壁は「信じてもらいにくい」という経験である。これは個人の主観的な感覚だけではなく、実務レベルでの統計的傾向として観察される。

警察における対応を例にとる。男性から「妻に暴行された」という通報が入った場合、警察官が現場に臨場する確率、現行犯逮捕に至る確率、書類送検に進む確率——これらは女性被害者の場合と比較して低い傾向があるという実務上の報告が複数ある。日本における体系的な比較統計は公開されていないが、英米の研究では同様の非対称が数値として確認されている(Cook, 2009; Hines & Douglas, 2009)。

なぜか。警察官が持つ「DV加害者像」が、法律の設計思想と同様に、「体格的に優位な男性が女性に暴力を振るう」という構造を前提にしているからだ。「妻から暴力を受けた」という男性の申告は、この前提と整合しない。整合しない情報は、真剣に受け止められにくい。

さらに、男性被害者は自ら相談することへの心理的障壁が高い。内閣府調査(令和3年)によれば、配偶者暴力被害を受けた男性のうち、誰かに相談しなかった理由の第1位は「相談するほどのことではないと思ったから」(58.2%)である。これは一見すると「軽微だった」という解釈を許すが、別の読み方もできる。「男性が配偶者から暴力を受けた」という事実は、社会的に「相談するほどのことではない」と内面化されやすいのだ。恥の感覚、「男のくせに」という自己批判、「誰も信じないだろう」という諦め——これらの心理的負荷は、相談行動の閾値を高める。

ここで重要なのは、この心理的障壁が個人の弱さではなく、社会的な規範の内面化の結果だということだ。「男性は暴力の加害者であり得る」「男性は暴力の被害者には見えない」という社会的認知が、男性被害者に「自分の被害は本物ではないのかもしれない」と思わせる。この自己疑念は、制度の性別前提と社会的規範が連動して生み出す抑圧である。

医療・精神科領域においても類似した非対称がある。女性がDV被害を申告した場合、医師や精神科医は支援機関への紹介を行うトレーニングを受けていることが多い。一方、男性患者が同様の状況を打ち明けた場合、医師の対応プロトコルが整備されていないケースが多い。これは医師個人の問題ではなく、医学教育と支援体制の設計問題である。

第5章:保護命令制度の非対称性と「虚偽DV」の問題


DV防止法における保護命令制度の設計にも、性別非対称が潜んでいる。そしてこの非対称は、制度の意図的な悪用という問題とも接続する。

保護命令は、被害者の申立てにより、裁判所が加害者に対して接近禁止・退去命令等を発令する制度である。命令違反は1年以下の懲役または100万円以下の罰金という刑事罰を伴う強力な措置だ。

問題は、この保護命令の発令プロセスにある。被害者の申立てに基づき、相手方(申立てられた側=加害者とされる人物)の言い分を聴かずに命令が出る。これは「緊急性」という正当な理由に基づく設計だが、副作用として、申立ての事実確認が限定的になる構造を生む。

住民票・戸籍の閲覧制限措置(DV等支援措置)も同様の構造を持つ。被害者申告に基づき、自治体が「加害者とされる者」の申請による住民票閲覧を制限する。この措置は、加害者が被害者の居所を調べることを防ぐためのものだが、申告の真偽についての確認プロセスが極めて限定的だ。「被害者」として申告した者の申告が虚偽であっても、「加害者」とされた側に異議申立てを受け付ける手続きが設計されていない。

この制度の非対称が、離婚紛争における「制度の戦略的利用」を可能にする。弁護士実務の文脈では「虚偽DV」と呼ばれる現象だ。離婚交渉を有利に進めるために、DVがなかった、または誇張された状態でDV申告を行い、①保護命令の取得、②DV等支援措置による住民票閲覧制限、③婚姻費用の増額主張、④親権・面会交流の制限——という連鎖を引き起こすパターンが、弁護士の間では珍しくない事案として認識されているという。

東京経済オンラインが2018年に報じた判例を引用する。愛知県において、男性がDV申告を虚偽として元妻と愛知県に損害賠償を求めた訴訟の控訴審(名古屋高裁)で、裁判所は「被害者を迅速に保護するDV防止法の趣旨に鑑みれば、県警は加害者とされる男性に対する法的義務を負っていない」と判断し、男性の請求を棄却した。

この判決は重要な含意を持つ。DV申告が事実かどうかを事前に精査する義務を警察は負わない、という法的確認である。「被害者保護の迅速性」が「加害者とされる者の手続き的保護」より優先される、という制度の設計思想を裁判所が追認した判決だ。

これは、真に深刻な被害を持つ被害者を迅速に保護するという目的においては正しい設計である。しかし同時に、申告の虚偽性を争う手段を実質的に剥奪するという効果を持つ。虚偽申告に対する法的抑止力は、現行制度においてほぼ機能していない。不当告訴罪や虚偽告訴罪は法律上存在するが、「被害者」の申告を「虚偽」として立証することは実務上著しく困難であり、起訴・有罪に至るケースは極めて稀である。

DV=離婚の最強の武器」という弁護士実務の言い方が、この状況を端的に表している。証拠なくとも申告できる、申告に対する反証手段が限られている、申告した側への罰則がほぼない——この三条件が揃った制度設計は、戦略的利用への誘因を内在させている。

付け加えると、「虚偽DV」の問題は、真のDV被害者を守るという観点からも問題をはらむ。制度の戦略的利用が広がると、「DV申告」というカードの信頼性が全体として低下し、真に保護が必要な被害者の声も「本当かもしれないが確認できない」というバイアスの下に置かれやすくなるからだ。被害者保護のために設計された制度が、過剰な使用によって制度の信頼性基盤を侵食するというパラドックスだ。

第6章:「女性に対する暴力」という政策ラベルの功罪


本章では、やや角度を変えて、政策ラベルの問題を論じる。

内閣府男女共同参画局の政策体系において、DV対策は長年「女性に対する暴力の根絶」という上位カテゴリーの下に位置づけられてきた。最新(令和6年度)の政策文書においてもこの表現は使われている。

「女性に対する暴力」という政策ラベルは、DV問題が「性差別の構造的産物である」という分析視角と結びついている。すなわち、DVとは、男性支配・女性従属という社会的権力構造の個別的な発現であり、それゆえ「DV=男性が女性に振るう暴力」が典型形態である、という理論的枠組みである。これはラドフォード・ラッセル(1992年)やジョンソン(1995年)らが定式化したフェミニスト的DVモデルの中核をなす理論である。

このモデルが正しいかどうか、という問いは単純に答えられない。DV被害の多数派が女性であることは統計的事実であり、経済的依存・社会的孤立・子の養育責任といった構造的要因が女性被害者を脱出困難にするという分析は、多くの事例を説明する。

しかし同時に、このモデルには少なくとも二つの盲点がある。

第一の盲点は、双方向暴力(bidirectional violence)の見落としである。
米国の研究では、DVの相当割合が双方向——すなわち双方が相互に暴力を行使している——であることが示されている(CDC,2010年のNational Intimate Partner and Sexual Violence Surveyによれば、双方向暴力は親密なパートナー間の暴力全体の49%を占めるとされている)。一方を「加害者」、他方を「被害者」として固定するモデルは、この現実を把握できない。

第二の盲点は、男性被害者数の過小評価である。
フェミニスト的DVモデルは、男性が被害者になるケースを「少数例外」として周縁化する。しかし前章で引用した内閣府調査では、被害経験を「何度もあった」と回答した男性は全体の1.9%(身体的暴行)。人口に換算すれば、数十万から百万規模の男性が配偶者から継続的な身体的暴力を受けていることになる。これを「少数例外」と扱う根拠は薄弱だ。

「女性に対する暴力」という政策ラベルが示す政策思想は、被害者の実態の一側面を正確に捉えつつ、別の側面を制度的に不可視化する機能を果たしている。ラベルが「女性に対する暴力」である限り、男性被害者は当該政策の主たる受益者として位置づけられない。

これは支援団体の問題ではない。女性DV被害者を支援してきた民間シェルターや相談機関が果たしてきた役割は、制度が機能しなかった時代に草の根で被害者を守ってきた、極めて重要な社会インフラである。その活動を批判することは本稿の目的ではない。

本稿が問題にしているのは、そのような支援活動の蓄積が政策ラベルに結晶化し、「DV問題イコール女性被害者問題」という等式が法律・行政・支援インフラの設計思想として定着した結果として、同等の被害を持つ別のカテゴリーの被害者が制度の周縁に置かれるという構造的帰結である。

第7章:統計が語れないこと——暗数の問題


ここで統計的な問題を一点追加する。

社会調査における「暗数」とは、実際の事象の発生数と、公式統計に捕捉される数の差のことをいう。犯罪統計においては、被害を受けながら申告しなかったケースが暗数を形成する。

DV統計においては、この暗数が性別によって非対称に存在する可能性がある。

被害経験のある者のうち相談しなかった割合は、女性約4割、男性約6割である(令和4年内閣府調査)。男性被害者の方が、被害を「表に出さない」割合が高い。これは、男性の暗数が女性の暗数より大きいことを意味する可能性がある。

もし男性被害者の暗数が女性被害者より実質的に大きいとすれば、「警察への相談件数で男性は約30%」という数字は、男性被害者の実態を相当程度過小評価している可能性がある。統計は、捕捉できるものしか見えない。制度が男性被害を捕捉しにくい設計になっているとすれば、統計もまた男性被害を過小評価した数字を生み続ける。

過小評価された統計は、「男性被害者は少ない」という判断を政策決定者に提供し、「男性被害者への対応は優先度が低い」という政策的判断を正当化する。その結果、対応インフラが整備されず、男性被害者はさらに表に出にくくなり、統計はさらに過小評価される——この負のサイクルが、制度の性別前提を再生産し続ける。

暗数の問題は、確認できない。暗数はそもそも捕捉できていないから「暗数」なのだ。しかし、相談率の性別格差という捕捉可能なデータが、暗数の存在を間接的に示している。「相談しない」男性被害者が存在するという事実は、制度が設計された問いとは別の問い——「見えない被害者に、制度はどう向き合うか」——を提起する。

終章:設計された盲点の持続性


本稿が論じてきたことを整理する。

DV防止法は、2001年の制定時点において、当時の統計的実態を正確に反映した立法だった。被害者の多くが女性であり、経済的依存という構造的脆弱性を抱えていた。その事実を前提に、女性被害者の保護を最優先した制度設計は、立法当時の判断として理解できる。

しかし、法律は環境の変化に自動的に適応しない。制定から25年、4度の改正を経てもなお、DV防止法の基本設計には変わらない性別前提が保持されている。前文には「被害者の多くは女性」という記述が残り、支援インフラの中核は「婦人」相談所から「女性」支援センターへと名称を変えながら、女性被害者を主たる対象として設計されたまま維持されている。

数字は変化している。警察への相談件数における男性被害者の割合は、15年で1.8%から29.5%へと増加した。男性5人に1人がDV被害経験を持つという調査結果は、制定当時には想定されていなかった規模だ。しかし、制度のインフラは、この変化を吸収する設計に向けて改革されていない。

なぜか。制度改革を推進する力学が弱いからである。

DV防止法の強化を求めてきたのは、女性被害者支援の実績と組織力を持つ団体と、議員活動において実績を積んできた女性議員の連携だ。この連携が、各改正を実現させてきた政治的エンジンである。男性被害者の支援を求める組織化された声は、比較すれば弱い。組織化されていない被害者の声は、政治的なエンジンにならない。

制度改革の政治は、結局のところ、どの問題が「問題として可視化されているか」によって動く。「女性DV被害者の苦境」は、長年にわたるアドボカシー活動によって可視化され、数度の改正を実現させた。「男性DV被害者の沈黙」は、その性質上、可視化されにくい。沈黙している被害者は、政治的に組織化できない。

ここに、制度の性別前提が持続する構造的理由がある。改革を求める声の不均衡が、改革の速度の不均衡を生む。改革の速度の不均衡が、インフラの非対称を維持する。インフラの非対称が、男性被害者の沈黙を強化する。強化された沈黙が、改革を求める声をさらに弱くする。

この循環は、善意の集合体が作り出した構造問題である。女性被害者の保護を目指した立法者も、支援インフラを整備してきた団体も、改正を重ねてきた議員も、それぞれの立場で正当な目標を追求してきた。しかし、その正当な目標の追求が、別のカテゴリーの被害者を周縁に置く構造を、意図せず再生産してきた。

悪意のある差別ではない。設計された盲点である。設計とは、何かを中心に置くために、何かを周縁に置くことを意味する。中心に置かれた問題への注意が深くなるほど、周縁の問題への注意は相対的に薄くなる。

そして、この種の構造問題は、単一の改革によって解消されない。

法律の前文を書き直すことは可能かもしれない。「被害者の多くは女性」という記述を削除し、「性別を問わず」という表現に置き換えることは、技術的には容易だ。しかし、法律の文言を変えても、25年かけて蓄積した支援インフラの設計、警察官・相談員・医師の認知枠組み、「DV=女性被害」という社会的通念は、変わらない。

インフラを変えることも、理論的には可能だ。男性専用の相談窓口を整備し、男性被害者向けのシェルターを各都道府県に設置し、保護命令申請の入口を性別中立化すれば、利用率は上がるかもしれない。しかしその改革を実現させる政治的エンジンは、誰が動かすのか。組織化されていない沈黙した被害者は、政治的なエンジンにはなれない。

社会的通念の変化に至っては、数十年の時間軸でしか動かない。「男性も被害者になり得る」という認識の普及は、教育・報道・文化的表現のすべてを通じた長期的な変化を必要とする。

つまり、この問題の解消には、法律・インフラ・社会的認知のすべての水準での同時変化が必要だ。そのような包括的な変化を実現させる政治的エンジンは、現在のところ存在しない。

だから、この種の構造問題は、これからも続く。

男性被害者は、今夜も相談先がわからないまま自宅に留まり続ける。制度は、彼らを想定していない設計のまま運用され続ける。統計は、彼らを捕捉できないまま「男性被害者は少数」という数字を生産し続ける。そしてその数字が、インフラ整備の優先度を低く設定する根拠として使われ続ける。

設計された盲点は、設計によってしか解消されない。しかしその再設計を求める声は、設計された沈黙の中に埋まっている。

これが、現代日本のDV防止制度の、現在の姿である。

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