なぜマッチングアプリは男だけが金を払うのか──上昇婚の負の連鎖(ドゥームループ)と、それを許容する制度について
価格表という一次資料
マッチングアプリの料金表を眺めたことがあるだろうか。
ペアーズ、Omiai といった主要アプリの男女比はおよそ60:40。ユーブライドに至っては68:32。そして料金体系は、ほぼ例外なく「女性は基本無料、男性は月額数千円」である。
これに対する男性側の不満は、もはやインターネットの風物詩と言っていい。
曰く、女性優遇だ、搾取だ、と。
だが先に、運営側の説明を聞いておこう。
彼らはこう言う——出会いに積極的なのは男性側であり、同一条件にすると男性会員が過剰になって男女比が崩壊する。女性を無料にして参加しやすくすることで、比率を調整しているのだ、と。
そして、これ自体は正しい。
経済学的にも筋が通っている。両面市場において、品薄な側に補助を出して参加を促し、過剰な側から料金を取るのは、市場を成立させるための標準的な設計だ。バーのレディースデーと同じ論理である。運営は悪意で男性から金を取っているのではない。市場を回すために、そうせざるを得ない。
だから、この記事は「アプリが女性優遇だ」という話ではない。
正しいがゆえに、問う価値のある問いがある。
なぜ、調整が必要になるほど、需要は男性側に偏るのか。
なぜ女性は品薄側になり、男性は過剰側になるのか。この非対称は、アプリが作ったものではない。アプリは、それを価格表として可視化しただけだ。
価格表は、日本の婚姻市場の構造を映した一次資料である。そう考えたとき、そこに書かれた月額4,100円という数字は、少子化という現象の縮図になる。
以下、その構造を解剖する。
第1章:ドゥームループの機序
日本の婚姻市場には、一度回り始めると加速していく円環がある。ここでは「上昇婚のドゥームループ」と呼ぶ。機序は四段階だ。
ステップ1:選好は動かない
女性が配偶者に経済力・地位を求める傾向——いわゆる上昇婚(ハイパーガミー)志向は、実証的にきわめて頑健に確認されている。
45か国・14,000人超を対象とした大規模な追試研究では、女性は男性より、年上で経済的見通しの良い相手を選好する傾向が、調査されたすべての国で確認された。文化圏も経済体制も、ジェンダー規範の水準も関係なく、である。
これは「アンケートで建前を答えているだけ」ではない。24か国・180万人超のオンライン交際データを分析した研究では、収入と学歴の水準が、そのプロフィールが受け取る注目度を予測した。言葉ではなく、指の動きが証明している。
「女性の社会進出が進めば、上昇婚志向は消える」——長らくそう予測されてきた。だが消えていない。
ステップ2:これは賃金格差の反映ではない
ここで必ず出てくる反論がある。「上昇婚に見えるのは、単に男女の賃金格差の産物だ。男性の方が稼ぐ社会なら、結果的に女性は自分より稼ぐ男と結婚するに決まっている」と。
もっともな指摘だ。そして、この反論を潰すために設計された研究がある。
ノルウェーの登録データを用いた研究は、極めて巧妙な変数を使った。親の所得ランクである。この指標は、構造上、男女でまったく同一の分布を持つ。男性だから高く出る、ということが原理的に起こらない。つまり、これを使えば「男性の経済的優位そのものに由来しない非対称」を検出できる。
結果、ノルウェーという世界有数のジェンダー平等国においてもなお、上昇婚は確認された。女性は平均して、自分より10〜15%程度多く稼ぐ男性とマッチしていた。年齢と学歴を統制してもなお、である。
賃金格差だけでは説明できない。選好そのものが非対称なのだ。
これが、本稿の論証における要石である。
ステップ3:供給が痩せる
一方で、その選好が向かう先——「経済力のある男性」の供給は、細り続けている。
日本の数字は残酷なまでに明瞭だ。50歳時点の未婚率は、正社員男性で19.6%。これに対し、派遣・パート・アルバイトなど非正規雇用の男性では60.4%。
年収別の勾配はさらに直截的である。25〜29歳男性の結婚率は、年収1,000万円台で72.5%。250万〜299万円では26.3%。
同じ年齢の、同じ日本人男性である。違うのは年収だけだ。そして、それだけで結婚できる確率が三倍近く変わる。
これは、婚姻市場が依然として「男性=稼ぎ手」という前提の上で回っていることを意味する。だが、その前提を支えていた経済的地盤——終身雇用、年功賃金、右肩上がりの所得——は、すでに崩れた。前提だけが残り、土台が消えた。
ステップ4:両端から積み上がる
選好が動かず、供給が痩せると、何が起きるか。
需要が上位層に集中する。そして未婚は、市場の両端から同時に積み上がる。
下端では、基準を満たさない男性が排除される。彼らは選ばれない。これは直感的にわかる。
だが同時に、上端でも起きる。高学歴・高収入の女性ほど、「自分より上」を求める傾向が強いことが複数の研究で示されている。ところが女性の学歴と収入が上がるほど、その条件を満たす男性のプールは相対的に縮む。結果、彼女たちもまた市場から降りる。
男性は下から、女性は上から、市場を去っていく。真ん中だけが結婚する。
そして日本には、この円環を破る安全弁がない。婚外出生が極端に少ないこの国では、婚姻の縮小は、そのまま出生の縮小に直結する。欧州のように「結婚しないが子は産む」という迂回路が存在しない。
2024年、合計特殊出生率は1.15、出生数は初めて70万人を割り込んで約68.6万人となった。
これがドゥームループである。核心は一行に要約できる。
選好は変わらないのに、供給が痩せる。
このズレが、円環を回している。
以降の章は、すべてここに帰ってくる。
第2章:ループを許容する制度層
ここまでは市場の話だ。だが市場が壊れているだけなら、社会はどこかで悲鳴を上げ、修正圧力がかかるはずである。
かからない。なぜか。
ループが回り続けても、社会が壊れないように支える制度層が存在するからだ。
正確に言えば、これらの制度は少子化を目的として作られたものではない。むしろ、それぞれの文脈では正当な目的を持っている。だが結果として、円環を許容する。ここが重要だ。誰も設計していないのに、機能している。
(a) 監護慣行 × 支援の合成
まず、事実を正確に押さえる。ここを外すと、以下の議論はすべて無効化される。
児童扶養手当は、2010年8月まで母子家庭のみが対象だった。同年の法改正で父子家庭にも拡大され、現行制度は条文上、完全にジェンダー中立である。所得制限も支給額の計算方法も、父子・母子で共通の基準が適用される。
だから、「制度が女性を優遇している」という主張は、条文レベルでは端的に誤りだ。そう書いた瞬間に、「2010年に是正済みです」と返されて論は終わる。
では何が起きているのか。合成効果である。
離婚後、子の監護は事実上、母親側に集中してきた。これは制度というより慣行だ。そこに、ジェンダー中立に設計された支援制度が重なる。手当、医療費助成、養育費の履行確保——これらはすべて「監護する親」に流れる。
条文は中立だ。だが、中立な水は、傾いた地面の低い方へ流れる。
事実、児童扶養手当の受給者はおよそ7割が母である。制度が母を選んだのではない。監護の慣行が母に傾いていて、制度がその傾きに従っただけだ。さらに、父子世帯の年収中央値は約400万円、母子世帯は250万円台。父子世帯は所得制限で対象から外れやすい。ここでも、中立な基準が非対称な結果を生む。
この合成が意味するのは何か。
女性側にとって、離脱の実質コストが下がるということである。
婚姻というシステムから降りる——あるいは、入った後に出る——ときの経済的損失が、制度によって緩衝される。これを経済学の語彙では exit option(離脱選択肢)と呼ぶ。exit option が強い側は、交渉において常に有利になる。降りられる側は、条件を吊り上げられるからだ。
上昇婚の基準が下がらない理由の一端は、ここにある。基準を下げなくても、生きていける設計になっている。
ただし、この構造は今まさに転換点にある。2024年5月に成立した改正民法により、離婚後の親権は父母の協議または裁判所の判断で共同親権を選択できるようになり、2026年4月1日に施行された。慣行としての母親集中が、制度的前提を失いつつある。この記事は、その過渡期に書かれている。
(b) 責任主体の一方化——2023年刑法改正
ここは、本稿で最も精密さを要する節である。事実を一つでも外せば、記事全体が「性犯罪処罰に反発する男の泣き言」として処理されて終わる。だから、法律家に読まれても崩れない書き方をする。
2023年7月13日、改正刑法が施行された。従来の強制性交等罪・準強制性交等罪が統合・改称され、不同意性交等罪が創設された。
変更点を正確に列挙する。
改正前の要件は「暴行・脅迫」あるいは「心神喪失・抗拒不能」だった。改正後の中核要件は「同意しない意思を形成し、表明し、又は全うすることが困難な状態」である。そして、その状態の原因となり得る行為・事由が、8類型にわたって具体的に例示列挙された。あわせて性交同意年齢が13歳から16歳へ引き上げられ、「婚姻関係の有無にかかわらず」という文言が明記された。
さて、ここでインターネットに流通している言説を一つ、正面から否定しておく。
「日本は西洋型の積極的同意(affirmative consent)を丸ごと輸入した」
——これは事実として誤りである。
改正の議論において、被害者支援側は「意思に反して」という点のみを構成要件とする純粋な不同意モデルを求めた。しかし法務省はこれを見送っている。理由は明快で、内心のみを要件にすると処罰範囲が曖昧になるからだ。立法者は、純粋不同意モデルを意識的に退けた。
これは、この記事の主張にとって不利な事実ではない。むしろ逆だ。粗雑な「輸入強制論」を捨てることで、より精確で、より鋭い指摘が可能になる。
すなわち——立法者は純粋不同意を退けた。しかし例示列挙型を採ることで、実質的な立証の構造は変わった。そして5年後見直し条項が、拡張の余地を残している。
ここで、日本社会の固有性が効いてくる。
日本の交際文脈は、長く「空気」と「暗黙の了解」によって駆動してきた。明示的な言語化を回避し、察することを美徳とし、はっきり言わないことを配慮と呼ぶ文化である。その文化的地層の上に、「同意しない意思を形成・表明・全うすることが困難な状態」という、極めて言語的・明示的な判断基準を要求する条文が重なった。
何が起きるか。責任の所在が、求める側に集中する。
暗黙の了解が支配する場では、意思の確認は構造的に不完全になる。その不完全さのリスクを負うのは、行為において能動側に立つ者——つまり、日本の交際規範において依然として「誘う側」「進める側」とされている男性である。
これが、第1章で見た「男性側の参加コスト」の、金銭ではない部分だ。月額4,100円は目に見える。こちらは見えない。だが、確実に計上されている。
繰り返すが、これは性犯罪処罰そのものへの異論ではない。処罰されるべき行為が処罰されることに、何の問題もない。指摘しているのは責任配分の非対称であり、それが交際という営みの参加コストとして、片側にのみ積算されるという構造である。
(c) 司法の温情主義
もう一点、傍証として挙げておきたいものがある。
量刑における女性有利のギャップは、国際的にきわめて頑健に確認されている現象だ。約200年分のロンドンの裁判記録を分析した研究では、陪審の有罪判断および裁判官の量刑において、女性有利の差が持続的に存在し、それは事件の特徴によっては説明できなかった。研究者はその機序を、全男性で構成された司法が女性を最も過酷な刑罰から保護しようとする温情主義(パターナリズム)と解釈している。理論的には「騎士道理論(chivalry)」として整理される。
ここで、この記事は一線を引く。
この量刑格差は、少子化の原因ではない。
そう主張したくなる誘惑はわかる。だが、量刑格差と出生率を結ぶ実証的なリンクは存在しない。「不公平が存在する」ことと「それが少子化を引き起こしている」ことの間には、埋めがたい飛躍がある。原因に格上げした瞬間、この記事の論証は崩壊する。
だから、これは傍証として置く。何の傍証か。
「男は責任を負う側、女は保護される側」という役割配置が、恋愛や家庭といった私的領域を超えて、司法という国家権力の最深部にまで浸透していることの傍証である。
司法は、社会が何を当然としているかを映す鏡だ。その鏡に、二百年前と変わらない性役割が映っている。
第3章:規範の更新速度の左右差
ここまで見てきた市場と制度を、一本の軸に束ねる。
過去半世紀、性役割をめぐる規範は大きく更新された。だが——更新の速度が、左右で違った。
男性側に残されたもの:
- 稼ぎ手役割
年収250万の25歳男性の結婚率が26.3%であるという数字が、この規範がいかに現役かを証明している。「男の甲斐性」は死んでいない。数字として生きている。
- 長時間労働
稼ぎ手役割の必然的帰結として、時間を差し出すことが要求され続ける。
- 交際における費用と責任の主体
誘う側、払う側、進める側、そしてリスクを負う側。
女性側から降ろされたもの:
- 法的防御の拡張
2023年の刑法改正に代表される、責任配分の再編。
- exit option の強化
監護慣行と支援制度の合成による、離脱コストの低減。
- 可視化された優遇
そして——月額表の「女性無料」。
この非対称を、一行で言う。
要求水準は上がり続けるのに、要求される側の役割だけが更新されない。
女性の学歴が上がり、収入が上がり、社会的地位が上がった。それ自体は、疑いなく望ましい変化である。しかし上昇婚の選好は、それに合わせて下方修正されなかった。基準は据え置かれたまま、基準を測る側の位置だけが上がった。結果として、要求水準は相対的に上昇した。
一方、男性側の規範は据え置かれた。稼げ、誘え、払え、責任を負え。土台が崩れているのに、要求だけが残った。
ここで、この記事の最も重要な一行を書く。
これは「女が有利になった」という話ではない。
そう読みたい読者がいるのは知っている。だが、それは分析としての品質を下げるし、何より事実に合わない。
正確にはこうだ——旧い性役割(男=責任/女=保護)が制度と文化に化石化したまま、その前提であった男性の経済的地盤だけが崩落した。
化石化した規範は、誰かの意志で維持されているわけではない。誰も「男に払わせ続けよう」と決議していない。アプリの運営は市場を回すために価格を設定し、立法者は被害者を救うために条文を書き、裁判官は目の前の被告人を見て量刑を決めている。全員が、それぞれの持ち場で正当なことをしている。
誰も設計していないのに、円環は回る。
これが、この構造の本当の恐ろしさだ。悪意があるなら、悪意を取り除けばいい。だが悪意はどこにもない。あるのは、更新速度の左右差だけである。
第4章:推しは、上昇婚が空想に届いた形である
最後に、この構造の最も興味深い現れを見ておきたい。
推し活である。
数字から入ろう。余暇時間に推し活を行う人は全体の約2割。だが内訳を見ると、20代女性が45%、20代男性が29%。ある大学生調査では、女性の78.1%に対し、男性は27.9%という差が出ている。推しは、若年女性に強く偏った現象である。
そして、量以上に重要なのが質の非対称だ。女性の推しは疑似恋愛的・関係性志向であり、先輩後輩といった社会的序列に敏感に反応する傾向が指摘されている。さらに、ホストクラブという「女性が疑似恋愛に貢ぐ」産業が、SNSを通じてカジュアル化し、かつてなく裾野を広げている。かつては「有閑階級の社交場」だったものが、TikTok を接点として日常に接続された。
ここで、多くの人が書きたくなる一行がある。
「男にとって恋愛は夢でしかないが、女にとっては許容される現実だ」
これは書かない。
事実として誤りだからだ。男性側にも疑似恋愛産業は分厚く存在する。キャバクラ、地下アイドル、VTuber、二次元。むしろ産業規模で言えば、男性向けの方が長い歴史を持つ。「男だけが夢を見せられている」は、五秒で反証される。
だが、この観察には——精確に定式化すれば——非常に鋭い核がある。
推しの対象は、第1章で見た選好の非対称を、そのまま反映している。
女性の推し対象は、高地位の男性に傾く。アイドル、俳優、ホスト。ステージの上にいる者、序列の上位にいる者、指名によって順位が可視化される者。男性の推し対象は、若さと容姿に傾く。
つまり——女性の疑似恋愛は、上昇婚志向を空想領域まで延長したものである。
現実の婚姻市場で「自分より上」が枯渇したとき、その選好は消えない。第1章で見た通り、選好は動かないからだ。行き場を失った選好は、供給が無限の領域へ移動する。ステージの上には、常に「自分より上」がいる。しかも彼は、決して幻滅させない。
そして違いは「夢か現実か」ではない。上方志向の市場化の度合いと、その社会的正当性である。
女性が高地位の男性に貢ぐことは、「推し活」という肯定的な語彙を与えられ、経済現象として財務省の資料にまで登場し、流行語大賞にノミネートされ、生活文化として定着した。同じ構造の男性側の消費が、これほど正当な言葉で語られたことがあるだろうか。
決定的なのは、社会学の側から出てきた解釈だ。推しとは何かについて、こう定義されている——
交際や結婚や出産を志向しない愛に価値を置くこと。
読み返してほしい。これは推し活批判ではない。推し活の研究者が、その本質を肯定的に記述した言葉である。
つまり、こういうことになる。
推しは、生殖に接続しない情緒的満足の exit option として機能しうる。
第2章で見た構造と、ここで接続する。
制度が離脱を支え、文化が離脱を満たす。
婚姻から降りることの経済的コストは、制度によって緩衝される。そして降りたことによる情緒的欠損は、推しによって充填される。降りられて、しかも寂しくない。
ドゥームループが回り続けても社会が悲鳴を上げない理由が、ここで完成する。降りた人が、不幸になっていないからだ。少なくとも、修正圧力を生むほどには。
結び:誰も降りられないし、誰も悪くない
もう一度、価格表に戻ろう。
月額4,100円。女性無料。男女比60:40。
この数字の背後には、こういう構造がある。
女性の配偶者選好は経済力・地位に向かい、その選好は世界中で確認され、ジェンダー平等が達成されたノルウェーでも消えず、女性自身の収入が上がっても下方修正されない。一方、男性の経済的地盤は崩落し、非正規男性の6割が50歳まで未婚のまま残る。需要は上位に集中し、下端の男性と上端の女性が、両側から市場を去る。婚外出生という迂回路を持たない日本では、それは直ちに出生数の崩壊になる。
そして、この円環は許容される。監護慣行と支援制度の合成が離脱コストを下げ、責任配分の非対称が参加コストを片側に積み、司法にまで浸透した古い役割配置がそれを当然のものとして支える。降りた者の情緒的欠損は、推しという名の産業が充填する。
すべての当事者が、個々には合理的に振る舞っている。
女性は、より良い相手を求める。当然のことだ。男性は、割に合わない市場から撤退する。合理的な判断だ。アプリの運営は、市場が成立するように価格を設計する。経営として正しい。立法者は、被害者が救われる条文を書く。正義である。裁判官は、目の前の一人を見て量刑を決める。職責だ。
誰も悪くない。そして、誰も降りられない。
悪役がいれば、話は簡単だった。糾弾すれば済む。だがここにいるのは、それぞれの持ち場で正しく振る舞う人々だけだ。彼らの正しさの総和が、一つの国の人口を消していく。
2024年、この国で生まれた子どもは68.6万人だった。
この負のループを止める設計を、いまだ誰も提示できていない。
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