空想科学日記:正義とは何か?現代ディストピアとヒーローの再解釈
1. 構造化された“接種”の世界
1_1. 誰が誰に「何を」注ぎ込んでいるのか
資本主義社会とは、端的に言えば「与える者」と「与えられる者」に分かれた構造である。
そしてこの構造における“与える行為”とは、富の分配ではない。制度・価値観・情報・労働の意味付けといった“構造そのもの”を注入することである。
つまり、接種とは思想と労働と経済的拘束力の注入であり、多くの人々はそれを拒否する手段を持たず、自動的に「される側」に収まっていく。
“される側”とは、提供される価値の選択権を持たない者だ。
職業訓練も、教育も、マスメディアからの「正しさ」も、すべてが上位からの供給物であり、
それに**「はい」と従順に受け取ることが優良な国民・優秀な労働者とされるのが日本型社会の典型だった。**
だが、その構造がもはや機能していないことに、多くの人は気づき始めている。
1_2. 美しかったはずの「接種」幻想は崩れた
かつては、“される側”にも希望があった。
高度経済成長期という集団幻想の中で、「接種されたものに従えば、報われる」という信仰が成立していたからだ。
学校を出て、会社に入り、指示通り働けば、ボーナスが出て、家が建ち、年金が支給される――
そのような“物語”が国民を支えていた時代は、確かに存在した。
だが、バブル崩壊とともにその物語は終わった。
1990年代をピークに日本人の平均年収は下落傾向をたどり、今なお回復の兆しはない。
一方で、消費税は上がり、医療保険料は膨らみ、年金制度も不安定さを増すばかり。
所得は減り、負担は増え、かつて“報われる”と信じていた構造は、ただの絞取機構に変貌した。
それでもなお、多くの人はこの構造の中にとどまっている。
なぜなら「構造外に出る術を教えられてこなかった」からだ。
自分で構造を設計し、自分で価値を創造し、自分で利益を確保するという発想を、
この国の教育や労働文化は徹底的に排除してきた。
1_3. そしてウルトラマンは、帰ってこない
かつては“正義のヒーロー”がいた。
不条理な怪獣が現れれば、どこからともなくやって来て、光線でそれを退治してくれる存在。
だがそのヒーロー、つまり「国家」や「企業」や「社会的正義」そのものは、
もはや光の国に帰ってしまった。
いま残っているのは、構造だけだ。
誰も守ってくれない世界。
自分で選び、自分で設計し、自分で抜け道を見つけなければならない時代。
だからこそ、「される側」に甘んじていては死ぬ。
今こそ、“接種”を受ける側ではなく、構造を設計する側に立つ必要がある。
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