高円寺から二年後!僕自身が英国人ミディアムの個人セッションを受けた日
前回の記事の最後に、僕はこう書きました。
「あの夜から二年後。僕はもう一度、キース・ホール氏と向き合うことになります。今度は300人の会場ではなく、僕ひとりのための個人セッションで」と。
今日は、その話です。
2007年、春。
あの出来事を思い出すたびに、今でも不思議な気持ちになります。
あれから20年近く経った今でも、
「あの日、本当にあんなことが起きたのだろうか」
そう思い返すことがあります。
もちろん、信じる必要はありません。
別の記事でも書きましたが、
僕は「見えない世界の話ほど、
自分の判断軸を手放さないでほしい」と思っている人間です。
だからこの記事も、「信じてください」という話ではありません。
ただ、僕が運転席で、手のひらに汗をかきながら見たもの。
それを、できるだけ誇張せず、そのまま書き残したい。
ただ、それだけです。
高円寺から二年後

高円寺の夜から、二年。
英国人ミディアム、キース・ホールが、再び日本へ来ることになりました。
今回は、300人の前での公開デモではありません。
たった一人のための、個人セッションです。
そして僕は、会場準備や送迎、受付、タイムキーパーを担当する世話人として、その一日に同行することになりました。
朝九時から、八名。
一人ずつ、キースと向き合う一日です。
まだ何も始まっていません。
ただ、ホテルから会場へ向かう、二十分ほどの移動時間。
ところが
本当に驚いたのは、その車の中でした。
「あなたは僕に憧れている」

出発して5分ほど。
突然、後部座席のキースが話し始めました。
運転席の僕。
助手席に通訳。
後部座席に、キース。
バックミラー越しに、後ろの通訳がこちらを向くのが見えます。
「キースが言っています。
あなたは僕に憧れている。」
僕は、ミラーの中の通訳に向かって、できるだけ平静に返事をしました。
動揺を、悟られたくなかったからです。
でも、ハンドルを握る手のひらに、じわりと汗がにじんでいました。
気づくと、ハンドルが、僕の汗で濡れていました。
(え。なんで。なんで分かるんだ)
フロントガラスの端に、乾ききっていないワイパーの筋が一本だけ残っているのが、やけに気になったのを覚えています。
誰にも話したことがありません。
親にも。
兄弟にも。
友人にも。
胸の中だけに、しまっていた思いでした。
二年前、高円寺で初めて見たデモンストレーション。
何も話していない相談者に、故人の名前も、亡くなり方も、家族しか知らない出来事まで語っていく姿を見て、僕は「本物のミディアムとは、こういうものなんだ」と打ちのめされました。
いつか学びたい。
亡くなった大切な人の思いを、受け取れる人になりたい。
そう思っていました。
でも、それは誰にも話していなかった。
それなのに。
キースは静かに続けます。
「僕を目標にしているだろう。」
驚いている僕を、さらに追い込んだのは、その次でした。
この日、僕が個人セッションで質問しようと思っていた内容まで、話し始めたのです。
前日、僕は三つの質問を考えていました。
内容は、もう二十年近く前のことなので細かくは覚えていません。
でも、その三つに対する答えを、まだ何も聞いていない車の中で、
キースが一つひとつ口にし始めたのです。
僕は思わず叫びました。
「もう、それ以上言わないでください!」
通訳が、笑いながら伝えます。
するとキースは、いたずらっ子のように笑いました。
そして一言。
「じゃあ、新しい質問を考えればいい。」
車内は、笑いに包まれました。
僕も一緒に笑ってしまいました。
でも、頭の中は焦りで、完全に混乱していました。
「僕を超えなさい」

そして最後に、
キースは真剣な表情で、僕を見て言いました。
「僕を憧れるんじゃない。」
少し間を置いて、こう続けました。
「僕を超えなさい。」
普通なら、「目標にしなさい」と言うところでしょう。
でも彼は、「超えろ」と言った。
その言葉の本当の意味が分かったのは、ずっと後になってからでした。
会場に着くと

会場へ到着すると、開始予定の九時には、まだ少し時間がありました。
ところが、最初の相談者の女性は、すでに到着していました。
僕は「九時まで、少しお待ちください」と案内しました。
するとキースが、通訳を介して、笑いながら言いました。
「もう来ているなら、始めよう。」
予定より少し早く、最初のセッションが始まりました。
ドアの外で見た光景

僕の役目は、タイムキーパーです。
三十分経ったらドアをノックし、相談者を案内する。
それだけです。
部屋は防音で、中の会話は聞こえません。
でも、終わって出てくる相談者の表情だけは、見えました。
二人目に入った30代の女性は、もともと僕の知り合いでもありました。
部屋から出てくるなり、僕の方へ駆け寄ってきて、こう言ったのです。
「どうしよう、どうしよう。」
手元のICレコーダーを、僕に見せながら。
「これ、止まらないんです。停止ボタンを押しても、録音が止まらない。今日のために、買ってきたばかりなのに。」
その目は、まだセッションの興奮が冷めていませんでした。
「何も話していないのに、亡くなった叔母が、
私の幼い頃のことや、今の仕事のことまで、細かく話してきたんです。」
別の女性は、充血した目のまま、何も言わずに部屋を出てきました。
ある人は涙のあとで目を赤くし、
ある人は、ただ安堵したような表情を浮かべていました。
年代も、30代から50代前半まで、さまざまでした。
ただ、皆が口をそろえて、同じことを言いました。
「何も話していないのに。」
セッションを4回受けているという女性は、こう話してくれました。
「毎回、これは確かに本人の言葉だと、確認できるんです。始まった瞬間から、まるで祖母がそこにいて、話しているようなやり取りでした。」
三人目。僕の番

椅子に座った瞬間、
体中の力が、すっと抜けていきました。
言葉では説明できないほどの、安心感。
まるで、温かいお湯に、ゆっくり浸かったような感覚でした。
そして、キースが静かに話し始めます。
北海道で生活をしている男性

「北海道に住んでいる男性がいます。」
北海道……?
まだ、誰のことか分かりませんでした。
ただ、うちは自営業で、両親が遠出をすることなど、めったにありません。
その両親が、わざわざ北海道まで出かけた。
その記憶だけは、なぜか鮮明に残っていました。
「学校の先生をしていました。」
えっ、先生をしていたぁ!!。
二年前、亡き祖父も「学校の先生」として伝えてきました。
でも、今度は違う。
その瞬間、つながりました。
父の姉が嫁いだ先の、あの人だ。
でも、まさか。
「五年前に、肺がんで亡くなっています。」
叔父だ。
間違いない。
心臓が、ひとつ、大きく鳴りました。
北海道。教師。五年前。肺がん。
全部、合っている。
そして僕は、まだ一言も、話していない。
父も母も、五年前にその葬儀に参列していました。
でも、キースがそれを知るはずがない。
「三か月前のお見舞い、ありがとう」

キースは続けました。
「彼が、感謝を伝えています。」
「三か月前、僕の妻のお見舞いに、家族全員で来てくれたことに。」
「はい。」
とだけ伝えて、僕はその人が叔父であることを話しました。
叔父の妻、つまり叔母は、認知症を患っていました。
北海道では受け入れてくれる施設が見つからず、
ようやく僕の住む県の隣県で受け入れ先が決まり、
そこへ入所することになったのです。
親戚から話を聞いて、親兄弟みんなで、叔母のお見舞いへ行きました。
それが3ヶ月前のことです。
その出来事を、キースが話してきたのです。
もちろん、他国の彼が知るはずのない話でした。
母の交通事故まで

さらに、キースは続けます。
「二年前、お母さんが交通事故に遭いましたね。」
その通りでした。
「頭を、強く打っています。」
「今も、頭痛があります。」
これも、事実でした。
そして最後に、こう言いました。
「あなたは、ヒーリングもできます。」
「お母さんに、やってあげなさい。」
最後に言われた一言

セッションの終盤。
キースは僕を見ながら、こう言いました。
「あなたは、相談者へ霊界からのメッセージを伝えている。」
「でも、自分では全部、疑っているだろう。」
その通りでした。
少しでも、思い込みではないか。
偶然ではないか。
僕はいつも、自分のことを疑っていました。
すると、彼は続けます。
「霊界の人たちが、がっかりしている。」
「相談者が頷いたなら、それは事実だ。」
「もっと、自信を持ちなさい。」
この言葉は、今でも僕の支えになっています。
あの日、変わったのは僕自身だった

この日、八人全員が、口をそろえて言いました。
「何も話していないのに。」
でも、僕がこの日いちばん驚いたのは、当てられた事実そのものではありませんでした。
お前は、自分のことすら疑っているだろう。
あの一言です。
名前も、死因も、家族の出来事も、確かに驚いた。
でも、本当に揺さぶられたのは、誰にも見せていなかった「僕の中の疑い」を、まっすぐ言い当てられたことでした。
この日、変わったのは「死後の世界があるかどうか」ではありません。
変わったのは、僕自身でした。
二年前、高円寺で「いつか学びたい」と胸の奥に隠した僕。
その僕が、自分の願いも、自分の疑いも、全部見抜かれて、それでも「進みなさい」と背中を押された。
だからこの記事は、ミディアムがいかにすごかったか、という話ではありません。
疑い深かった僕が、自分の弱さごと見つけられてしまった、その一日の記録です。
それでも、僕は今も疑っている

この体験によって、僕が「何でも信じる人」になったわけではありません。
むしろ、逆です。
だからこそ今でも、安易に恐怖をあおるスピリチュアルや、何でも霊のせいにする発信には、慎重な立場を取っています。
不思議なことに、これだけ目の前で当てられても、僕の中の「本当に?」という声は、完全には消えませんでした。
でも今は、それでいいと思っています。
別の記事に書いた親友のセッションでは、僕は何ひとつ、受け取れませんでした。
一方でこの日は、車の中で、すべてを見抜かれた。
受け取れた日と、受け取れなかった日。
そのどちらも本当で、どちらも、僕の一部です。
信じきることも、疑いきることもできないまま、僕はこの世界を学び続けています。
答えを押しつけるためではなく、自分自身が、確かめ続けるために。
おわりに

キース・ホールは、もうこの世にはいません。
いえ彼の言葉を借りるなら、こう言うべきでしょう。
キースは、「亡くなった」とも「お別れ」とも言いませんでした。
いつも、「霊界に戻った」「霊界に帰った」と語っていたのです。
その言い方が、僕にはとてもしっくりきました。
だから今では、僕自身も同じ言葉を使っています。
だからキースも、亡くなったのではなく、霊界に帰っただけ。
そう思うようにしています。
それでも、もう一度だけ会って、
あの日の続きを話したい。
そう思うことがあります。
でも、その願いは叶いません。
だからこそ、
僕は覚えているうちに書き残そうと思いました。
あの日、
ホテルから会場へ向かう二十分の車の中で起きたこと。
そして、
一日を通して僕自身が見て、聞いて、感じたこと。
それが誰かにとって、
「信じる理由」ではなく、
「考えてみるきっかけ」
になれば、それで十分です。
もしあなたにも、
理屈では説明できない出来事が人生のどこかにあったなら、
いつか、その話も聞かせてください。
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僕の中で「死んだら終わり」という感覚が、最初に崩れた原点です。高円寺の会場で、8歳の少女が母へ「私は元気だよ」と伝えた夜の話。
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② この記事と、対になる話
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▶ 親友の言葉を求めて、来日した霊媒に会いに行った僕が、何も受け取れなかった夜のこと
③ そもそも、見えない世界とどう付き合うか
「信じる前に、確かめる」。怪しい情報に振り回されないための、入口の記事です。今日の話も、この姿勢で読んでもらえたらと思います。
▶ 不思議の国・スピリチュアリズム信じる前に確かめるための入口
