【聖地巡礼 #05】 加須こいのぼり。全長100mの巨大構造物を空へ放つ、職人たちの“意地”と“計算”。
『少年探偵のデジタル・スケッチパッド』著者の楠 柾です。 聖地巡礼シリーズ第4回。今回は、物語の第1巻の表紙を飾り、主人公・悠人と穂乃香がその「記憶」を守ろうと奔走した、加須市の象徴「こいのぼり」についてです。

作中、悠人はデジタル・スケッチパッド越しに、記念館の屋上を泳ぐこいのぼりを解析し、そこに込められた亡き職人・健三さんの「想い」に触れました。 しかし、健三さんはあくまでフィクションの人物。 現実の加須には、彼以上に熱く、そして緻密な技術を持った「実在の職人たち」のドラマが存在します。
今回は、物語のシーンを振り返りながら、健三さんのモデルになったかもしれない「伝説の職人技」と、日本一の巨大こいのぼりを空に浮かべるための「物理学への挑戦」について、取材ノート形式で紐解きます。
■ 小説のラストシーンと「職人の筆」
物語の終盤、悠人と穂乃香は、職人たちの作り上げたこいのぼりが空を泳ぐ姿を見上げます。
空を見上げると、記念館の屋上の鯉のぼりが泳いでいた。風を受けて、悠然と。まるで、「頑張れ」と応援してくれているみたいに。(終章より)
この「悠然とした動き」を生み出すために、かつての職人たちがどれほどの技術を注ぎ込んでいたか、ご存知でしょうか? 特筆すべきは、「手描きの目玉」です。
加須の名店「橋本弥喜智商店」などに代表される伝統的な職人は、「ブンマワシ」と呼ばれる巨大なコンパスのような木製道具を使い、フリーハンドで正確な円を描いていました。 下書きなし。一発勝負。 筆にたっぷりと含ませた顔料を、迷いなく走らせる。その線は、機械プリントのように均一ではなく、勢いと「溜め」があり、まるで生きているかのような迫力を生み出します。 悠人がデジタル・スケッチパッドで解析したデータには、この「0と1では割り切れない職人の息遣い(ストローク)」が刻まれていたのかもしれません。
■ 際物師(きわものし)たちのイノベーション(取材ノート①)
加須といえば「うどん」ですが、実はこいのぼりの生産量も日本一。 しかし、なぜ海のないこの街で、魚(鯉)を作るようになったのか? その起源は、明治時代初期の「リソースの有効活用」にあります。
当時、加須には提灯(ちょうちん)や和傘を作る職人が多くいました。彼らは「際物屋(きわものや)」と呼ばれ、和紙や竹を扱い、絵を描く高い技術を持っていました。 しかし、これらの商品は季節によって売上が変動します。そこで、閑散期の副業として、手持ちの材料(和紙や顔料)と技術(描画)を応用して作り始めたのが、こいのぼりでした。
つまり、加須のこいのぼりは、「職人の空き時間を埋めるためのイノベーション」だったのです。 もし悠人がこの歴史を知ったら、「ピンチをチャンスに変える、合理的な判断だね」と分析したことでしょう。
■ 東京の災害が「日本一」を作った(取材ノート②)
もう一つ、加須が名実ともに「日本一」になった歴史的転換点があります。 それは、1923年の「関東大震災」です。
当時、こいのぼりの主要産地は東京でしたが、震災で多くの業者が被災し、壊滅状態になりました。 そこで、東京の問屋たちが目をつけたのが、近郊で質の高いこいのぼりを作っていた加須でした。 震災を機に注文が殺到し、加須は一気に「こいのぼりの街」へと成長したのです。 幾多の困難を乗り越え、技術を受け継いできたこの街の底力。それが、今の空に翻っています。 小説の中で健三さんが「伝統を守る」ことにこだわったのも、こうした先人たちの苦労を知っていたからこそ、そのバトンを途絶えさせたくなかったのでしょう。
■ 全長100mをどうやって泳がせる?(ジャンボこいのぼりの科学)
毎年5月の「市民平和祭」で遊泳する「ジャンボこいのぼり」。 そのスペックは、まさにモンスター級です。
全長:100m(ジャンボジェット機より長い)
重さ:約330kg(現在の4世)
目玉の直径:10m

これほどの巨大な布の塊を、どうやって空に浮かべるのか? 普通のポールでは絶対に折れてしまいます。 ここで登場するのが、「大型クレーン車」です。 建設現場で使うような巨大クレーンで吊り上げ、風の力を利用して泳がせる。その姿は、優雅な遊泳というより、もはや「巨大構造物の建築実験」に近いです。
実は、初代(1988年)は重すぎて(600kg)、風を受けてもなかなか泳がなかったという失敗談もあります。 素材を綿からポリエステルに変え、軽量化を重ねた「4世」だからこそ、あの優雅な遊泳が可能なのです。 これは、悠人が好きな「試行錯誤(トライアルアンドエラー)」と「エンジニアリング」の塊なのです。
■ 結論:空を見上げれば、歴史が見える
加須の空を泳ぐこいのぼりは、単なる飾りではありません。 それは、提灯職人のアイデア、震災からの復興、そして巨大な布を空に飛ばそうとしたエンジニアリングの結晶です。
聖地巡礼で加須を訪れた際は、ぜひ利根川の河川敷に立ち、風を感じてみてください。 そして想像してみてください。 かつてこの地で、筆を振るっていた健三さんのような職人たちの息遣いを。
(次回の聖地巡礼) 次回は、物語の第6章『三県境への旅』で、悠人たちが越えた「国境の橋」について。 実は加須市は、「埼玉県で最も橋の数が多い街(約1,100橋)」だという事実をご存知ですか? なぜ、これほど異常な数の橋が必要だったのか? その答えは、利根川と渡良瀬川に挟まれたこの街が背負った、過酷な「水との戦い」の歴史にありました。 地図から切り離された「陸の孤島」の謎とともに、その秘密を解き明かします。
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