大学生とは
私は関西圏のとある大学に通う大学2回生です
(関西圏の大学では,慣習的に学年のことを“回生”と表します.京都大学の伝統に由来するとかしないとか)
突然ですが,私は高校生の時に,こんな大学生活を一言で表す謳い文句を耳にしました
「大学生活は人生の夏休み」
今となってはお恥ずかしい話ですが,高校生の時は大学生になったら薔薇色のキャンパスライフが待っているのだ!!という一心で受験勉強を頑張っていました
そして現在,大学生となった私は確かに聞き及んでいた通り,充実したキャンパスライフを送っていますが,それと同時に大学生という立場にどこか「おかしさ」を感じています
これと言った目立った出来事があったわけではありません
ただ,日々の積み重ねの中に見出した,漠然とした違和感があるのです
そんな私が感じた「おかしさ」の正体は何なのか
私の部活での経験談と交えてながら考察していきたいと思います
私は大学の吹奏楽部に所属しています
私の所属する吹奏楽部は100人を超えるマンモスな部活動ですから,組織は細かく細分化されています
私自身が部活の中で何か重要な役職に就いているというわけではありませんが,身近な同級生が重要な役職,いわゆる幹部役職を担っているので,そのツテで部活の内情を聞くことが多くありました
そこで耳にしたのは,驚くべき実態でした
上回生の幹部による各演奏会でとるアンケート結果の隠蔽
個人的な感情で重要な連絡を無視
部員の同意なしに演奏曲を勝手に決める独断専行
また,年頃の男女がこれだけの人数が集まる部活動ですから,人間関係や恋愛関係のトラブルというのも頻発します
それ自体は仕方ないとしても,問題なのはその周囲の反応です
良かれと思って首を突っ込み、問題をややこしくする外野
面と向かって言う勇気のないことをLINEでは言えてしまう人
ありもしない噂話を吹聴してしまう人
小中学生のように,どちら悪いと決めつけ,仲間を集めで派閥を作る人
正直に言うと,私は、ひどく幼稚だなと思いました
こういう言い方をすることは憚られますが,これらの話は全て,多少は勉強をしないと入学できない,「難関」と言われる大学のコミュニティでの話です
私が高校生の頃,大学生とは学生というより,大人に限りなく近い存在であると思っていました
そのため,大学生ともなれば,皆が人間関係を上手くやっていくために必要な最低限の作法というものを身につけているものだと思っていたのです
しかし,現実は「大学生」や「大人」という言葉への過度な期待を,あっさりと裏切るものでした
ではなぜ,そこそこの偏差値を持つ大学生が,これほどまでに幼稚な振る舞いをするのでしょうか
私はこれらの原因が,大学生が「宙ぶらりんな存在」であるということにあるのではないかと考えました
高校までと違い,大学には「クラス(ホームルーム)」という強固な枠組みがありません
黙って座っていても友達ができる環境ではなく,自分から動かなければ孤立してしまう世界です
この「自由」と「不安定さ」が,逆説的に「サークルや部活への過剰な依存」を生んでいるのではないでしょうか
多くの大学生にとって,サークルや部活は「大学内での唯一の居場所」になりがちです
ここを追い出されたら,もう居場所がない
そんな無意識の不安があるからこそ,コミュニティ内の噂話に過敏になり,ゴシップに首を突っ込み,「自分はこの場所に必要だ」と誇示するかのように存在感を主張してしまう
つまり,居場所を守るための必死さが,結果として閉鎖的な「村社会」のような幼稚な行動を引き起こしているのです
「大学生活は人生の夏休み」 そう呼ばれるほど自由な時間の中で,私たちは皮肉にも,高校時代よりも狭い人間関係に縛られているのかもしれません
どのようなコミュニティであれ,距離感が近すぎる場所では摩擦が起きます
だからこそ,自戒を込めてこの言葉を胸に留めておきたいと思います
「親しき中にも礼儀あり」
「大人」への階段を登る私たちがまず学ぶべきは,勉強でもお酒の飲み方でもなく,この適度な距離感なのかもしれません
