回収される側の人生——私は「家族」ではなく「構造」で生きている
公園に置いていかれたことがある。
近所じゃない。
電車で連れて行かれた。
あとで知った名前が、住之江公園だった。
言われたのは一言だけ。
「ここから出るな。」
いつ帰るのかは言われない。
迎えに来るとも言われない。
終わりがない。
お金は持たされていない。
のどが渇いても買えない。
腹が減っても買えない。
帰ることもできない。
周りには家族連れがいる。
売店で、アイスやジュースを買っている。
子どもが指をさして、親がそれを取る。
当たり前みたいに渡される。
宝石箱というアイスを持っている子がいた。
黒いカップに、同じ色のフタ。
中は見えない。
開けると、白いアイスの中に色が散っている。
スプーンですくって食べているのを、見ていた。
名前は覚えた。
味は知らない。
欲しいとは思っていない。
思わないようにしていたわけでもない。
最初から、選べる側にいない。
時間は分からない。
長いとも短いとも思わない。
終わりが決まっていないから、測る意味がない。
寂しいとも思っていない。
不安もない。
何も感じていない。
あとになって分かる。
なぜあそこだったのか。
近くに競艇場がある。
一緒にいれば、動きにくい。
金も使うことになる。
最初から、いなければいい。
私は預けられていたんじゃない。
外されていた。
「死なせない」と「育てる」は違う。
私はそのどちらでもなかった。
小学三年のときに言われている。
「お金がもったいないから高校には行かせない」
その通りになった。
中学を出て、働いた。
勉強が楽しい時期もあった。
でも、意味がなくなった。
続ける理由が消えた。
十九歳まで、言い続けた。
「通信制高校に行きたい。費用は自分で出す」
通らなかった。
理由は説明されなかった。
でも構造は分かる。
私が学費を出す=回収できる金額が減る。
それだけの話だった。
十九歳でやめた。
諦めたわけじゃない。
区切った。
それ以上考え続けると、
取り戻せなかった時間と向き合い続けることになる。
当時の自分には処理できない負荷だった。
だから記憶は残っていない。
出来事はある。
でも詳細はない。
忘れたんじゃない。
残さなかった。
結婚した。
理由は一つ。
離れるため。
家を出た。
あの環境から外れた。
その時期だけ、普通だった。
誰にも何も言われない。
金の話も出ない。
家にいても緊張しない。
生活が、ただ流れていた。
長くは続かなかった。
三か月も経たないうちに、連絡が来るようになった。
金の話だった。
その流れで、同居の話が出た。
決めたのは私じゃない。
旦那だった。
「面倒を見る」
そういう言い方だった。
でも実際に起きたのは、それじゃない。
同じ家に住むようになって、
窓口は全部、私になった。
金の管理。
生活の段取り。
病院。
借金。
全部こっちに来た。
連れてきただけで、何かが分担されることはなかった。
結婚は、離れるための手段だったはずなのに、
結果として、
構造がそのまま中に入ってきただけだった。
軽くなるどころか、
上に重なった。
結婚してから同居するまでの、短い期間。
そこだけが切り取られて残っている。
それ以外は、続いている。
私は、人とのつながりを前提に生きていない。
自分は自分。
それ以外は他人。
血が繋がっていても、それは変わらない。
家族はクローンじゃない。
だから尊重しなければいけない。
その前提自体が、もう負荷になる。
もともと、求めていない。
感情や関係性は、安心にはなるかもしれない。
でも、安全にはならない。
信用、善意、情。
それらは壊れる。
残るのは、構造だけ。
だから私は、
感情を安全装置にしない。
管理できるものだけを残す。
把握できるものだけを持つ。
止められるものだけを動かす。
それ以外は、信用しない。
これは諦めじゃない。
生き方の選択でもない。
ただの結果だ。
私は「家族」で生きていない。
「構造」で生きている。
