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先延ばしてもいいことがあった

「お父さんが救急車で運ばれた」

あと一週間で4月が終わる日、母から連絡がきた。
ゴールデンウィークはどうしよっかなあと考えていた時だ。
一瞬で大型連休なんてどうでもよくなったし、食欲が消えた。普段、食欲ないなぁと思うことがあるけど、あれは全然ある方だった。

まずパート先に電話をし休みをもらった。大丈夫、できた。落ちついてる。

そこからあまり覚えていないのだけど(落ちついてない)、明日やればいいか、と先延ばしにしていたことをちょっぱやで片づけた。アイロンとか料理(作りおき)、それと掃除。午前中にやっとけばよかった、とソファでのんびりnoteを見ていた自分をなげいた。


ちょっと話しはそれるけど、わたしはお腹が痛くなると決まって「神様、お願いします、次は食べ過ぎませんから。」と拝み倒していた子どもだった。今でもそう。
「気がついたらすぐにアイロンしますから、神様、どうかお父さんを助けてください。」

そんな誓いをたてている間にも、ピコンピコンとスマホが鳴る。
神様からの返事…ではなくて、母からのLINEだ。
どうやら、あまりの痛さに父が救急車を呼んだらしい。おー! だったら大丈夫だー、となんか分からん元気がでて胸をなでおろした。

神様、ありがとう。
これからはアイロンをすぐにかけますと誓った。



側弯した背骨の痛さに悩まされ、つい1ヶ月ほど前にコルセットができ上がったばかりの母。
慣れない装具を身につけ、立ち上がるのもやっとなのに、「奥さんも一緒に乗ってください !」と救急隊員に言われ、ヒェーと思いながら同行したらしい。
緊急時には自分の痛みなんて気にならないのかもしれない。

整形の先生、ありがとう。


夕方。

夫が帰宅する前にお風呂に入るのが日課なわたしは、シャワーを出しながら号泣してしまった。

小さなマンションのお風呂場で自分の泣き声が響く。換気口から外に声がもれないか少し気にした。

父のことはもちろん、母のことも実家のことも、これからのことも。全部がわたしの両肩にズドンと乗っかったようだった。重くて抱えきれない。湿布が何十枚も必要だ。


(そういえば先日ニュースで見た)
野菜のつかみ取りに挑戦しているおじさん。
両手いっぱいにキャベツを乗せたはいいが、たった数歩テーブルまで運ぶ間にコロコロ~っと落としていた。

抱えたはいいが、落ちていくキャベツ。

わたしがつかんで、抱えて、運びたいのはキャベツじゃないけど。それでも、その知らないおじさんの真剣さに心が揺さぶられてしまった。
自分の弱さや足りていないとこ。それでもなんとかしたいと足掻くこと。もやもやしたものが、胸の中にうず巻いた。

実家や両親のことはきちんと考えないといけなかった。それなのに、先延ばししていた。わたしは先延ばしのプロか ! と、のけぞった。髪も洗って身体を洗うころには突っこめるほど、落ち着いていた。
泣いて冷静になれたのかもしれない。


「ただいまー」と夫が帰宅した。
夫の外したネクタイをいつものとこにかけながら、今日起きたことを話した。
救急車で運ばれたこと。でも父親が呼んだこと。脚の付け根に痛みがあること。母親もヒエーっと思いながら同乗したこと。
順を追って(自分でも確認しながら)、事情を話して帰省を告げた。
明朝の5:40に送ってくれることを気持ちよく承諾してくれた。ありがたい。

夕飯は心ここにあらずのようで、それでも目の前にいる夫との会話を楽しんだ。
楽しんだ、なんて不謹慎かなと思うけど。

寝室から夫の寝息がしはじめたころ、チケットの手配をはじめた。連絡がきてすぐに手配をすればよかったのだけど。落ち着いてからやろうと決め、家事をこなした。

我が家から実家まではとにかく遠い。日の出のころに出発して、着くころには太陽が沈みかけている。

ずっと飛行機を主な交通手段として使ってきたけど、出発は明日。検索すると目が飛び出るほどの料金がかかる。片道に昔のアイドルのディナーショーくらいのお金は払えない。(行ったことないけど) 
往復だと昼・夜の2回公演に行けるのか。でも、ディナーショーだから昼はないのか。
と、要らんことばかり頭の中をながれる。

「こうなったら、久しぶりの新幹線だ」とぶつぶつ言いながらスマートexでググる。(待て、新幹線を降りた後に乗る " 特急 " から調べないとその日の内にたどり着けない)と気がついたので、また別のウインドーを開いて検索した。

途中から100均で買った老眼鏡をかけて1時間。
AIだなんだという時代に、メモ用紙に全ての行程を書き出して目で確認しながら予約をした。

いつまでも果てしないアナログ人間が、無事にチケット3種類を予約できた。3種類なんて書いたが往復だから体感的には6種類だ。

あーーーー。

疲労困憊のままお布団に入ったのだけど、不安と得体の知れない興奮とでなかなか寝つけなかった。


夜が明けた。

準備を整え、母が心細く待つ実家へ向けて出発した。眠たいはずなのに眠れないまま、愛する地元の駅に降りたつ。
そこから乗り換えたバスは冷たい雨で窓がくもっていた。学校帰りの子どもたちがさした小さな傘はカラフルで、車内にはポタポタと小さな水たまりができ初めていた。

「おかえり」と迎えてくれた母の顔が少しだけホッとしたように感じた。

その晩は父の手作りベッド(キングかクイーンか分からんくらい広いやつ)で母と一緒に寝た。
寝不足も手伝ってすぐに眠った。



翌日、病院へ行った。歩いてでも行ける近くの病院だ(もちろん車で行った)。

面会は20分しかなかった。昔はずっといれたのにな、と思い出す。それでも顔を見ながら話せるし、長居して患者 (父) を疲れさせても悪い。

4人部屋の窓側。
シャーっとカーテンを開けると、父がイヤホンをしてテレビを見ていた。

あれ ? 痩せた ?

よく食べる父。病院着が大きめなのか、前がはだけているからか、髪がバサバサだからなのかは不明だけど、痩せてみえた。母もおなじように感じたらしく、部屋をあとにしたとき少し涙ぐんでいた。

会話してみると、いつものお父さんだった。
元気だ。
運ばれてそのまま入院になったと思えないほど、普段の父だった。

なんかホッとした。
痩せてみえるのは別として、なんかホッとした。

そもそも、脚の付け根にキリで刺されるような痛みに耐えきれず救急車を呼んだらしい。

8年前の真夜中、交通事故(単独事故)を起こした父。たまたま通りがかった方が看護師さんで命は助かったのだけど、そのときの古傷が原因だと診断を受けた。ちなみに、車は廃車になった。

稲刈りで指を1本切断してしまったこともある。わたしがまだ独身だったころだ。
慌てて母と病院にかけつけるとタイミングよくストレッチャーで運ばれている時だった。わたしたちに気がついた父は、パッと表情が明るくなりピースサインをしてきた。キムタクか、と少しだけ笑えたし、なくなった指はピースするには関係ない指だと分かった。

こんなふうだから、父が本当に痛みで顔がゆがむのを見たことがない。きっと、当たり前に痛いはずだけど、わたしたちには見せたくないんだと思っている。心配させまいと、父なりの優しさなんだな、と。



短い面会を終え、土砂降りの中を帰った。ウインカーのゴムの劣化でぎーぎーっと鈍い音がして雨もばちばちと当たる。
病院の敷地をでたとこで、「夜ご飯はなににしようか」と母に声をかけた。
近所のスーパーでは店員が無言で値引きシールを貼っていて、20%引きになったお刺身をさっと手にとった。

久しぶりの美味しい鰤 (ブリ) を食べ終え、母が父にラインを送ると事態は急変していた。

面会後、気分が優れないなと思っていたら嘔吐してしまったらしい。母はなにかを感じたんだろうか。愛か ? 愛の力なのか ?

次の日は6時前にタクシーを予約していた。夫が待つ家に帰るのだ。そんな時に嘔吐のお知らせ。

「もう1日いてほしい」と母が半泣きで手を合わせてきた。仏様にじゃなくて、わたしに。ここで慌てながらも冷静に、やるべきことを考えた。

一昨日も経験したぞ。デジャブだ。
まず落ち着こうか。

夫に連絡、タクシーキャンセル、職場にもう一日休みをお願いした。

それからチケットを変更する。日にちだけを変更すればいいはずだから簡単。…なはず、なんだけど、ネットで購入した安いチケットは変更不可。余計にお金がかかった。
勉強代だ…と、次からはどうにでもなるチケットを買うぞ、と誓う。

誓ってばかりだ。


翌日。
病室に行った。貴重な20分だ。
昨日と同じようにシャーっと開けると、やっぱりテレビを観ていた父。今日は片ひざを立ててるやないか。病人だと思えないほどのリゾート感を漂わせていた。カクテルの代わりに持参のプラスチック製コップにお茶、シャーっと開けたカーテンはパラソルといったとこか。

元気なんか ?
…そんなはずないなあー、吐いたんだし。

食べると吐き気がして痛みもあるから、と点滴の管が入っていた。その管は折り曲げられてテープで腕に固定されている。針がささって紫色に変色した肌、しわのある腕。ずいぶんと細くなったもんだ。。

食べていないからか覇気がない。でも顔色はいいし、しっかり会話もできる。

「ぴろっさちゃん、大丈夫よ、ありがとな。」と、かさついた声で言われた。

翌日、うしろ髪をひかれながらタクシーに乗り込んだ。途中から霧がでて湿った朝だった。
地元の小さな駅が無人駅になって何年経つかな、と考えながら背にして写真を撮った。
「霧がすげー」と写真と一緒に父へ送るため。



それから10日ほど経ち、胆石除去の手術が行われた。1時間ほどの簡単な手術と言われたのだけど、倍かかったようで、母は叔父と一緒に手術中のサインが消えるのを今か今かと待っていた、と興奮しながら話してくれた。
前々から胆石があると医師に言われていたらしい。でも、痛みもないから様子を見ましょうと先延ばししていたのだ !
先延ばしは父の遺伝だな。わたしは紛れもなく、この人の娘だとほぐれた気がした。

そして、手術から一週間後、またわたしは帰省した。

今回は持病をもつ母のケアのためだ。

側弯した背骨が、これ以上ひどくならないようにコルセットを作った。80過ぎてコルセットか…とモヤモヤしながら整形外科の待合室で母と順番を待った。窓からは海が見えて少し高台にある病院だと分かった。
何十年と働いた美容室を閉めて、これからやりたいことがあっただろうに…と。
診察室でレントゲンを見ながら説明を受ける母と、見守る父とわたし。「写真、撮っとかなくていいですか ?」と30代くらいの、やけに肌がきれいな男性医師が聞いた。
一瞬なにを言っているか分からなかったけど、画面をチラっと見た先生の仕草でレントゲン写真のことだと理解した。ぼんやりと眺めていたわたしは慌ててスマホを取り出した。
どうやったらそうなるんだ ? と首をかしげるほどに歪んでいる。腰の辺りに腰掛けられるほど、とびでている。…だから、「腰掛け」っていうんかな…? と訳わからなくなりながらもスマホを構えて「カシャッ、カシャッ、」と2回鳴らした。
椅子から立ち上がるだけでも痛そうで、わたしの顔もゆがんだ。

そんな状態だから家のことは父頼みだった。
でも、突然の入院と手術で母一人だとままならないことがはっきり分かった。
また同じような状況になるかもしれないし。ならないかもしれない。そんなの誰にも分からないけど。

二人とも歳を重ねる。わたしも、だ。


遠くに住みはじめた時、夫以外、誰もわたしの存在を知る人がいなかった。それがすごく気分よくて、解放感と自由を手に入れたようだった。「羽根はえてる ? 飛べるかも ♪」と思ったし、身も心も軽く感じた。
少しだけ両親に対してうしろ髪をひかれたぐらいで、地元への未練もなかった。

それが10年以上経ってどうだ。恋しくて仕方なくなっている。
庭のツユクサや祖母が植えた水仙、わたしの部屋(だった)の押入れに残したもの。近くのスーパーまでの道のりに夕焼けの空。
帰省する度に郷愁を感じまくっている。こんな気持ちになるんだ、と自分でも驚いてしまって切ない。


二度目の帰省は3泊4日。いろんなことをして、変な言い方だけど充実していた。
朝一番の退院も迎えに行けたし、その日の午後には「夏物のシャツとズボンを買いたいんやけど」というリクエストで一緒にユニクロへ行ったほどだ。
79歳の "退院ハイ" には勇気をもらえる。

2人で買い物なんて初めてじゃないだろうか。父の歩くスピードにあわせたり広めの試着室に2人で入ったり。

なんか楽しいーー。


退院したばかりの父と歩きながら、また2人で来たいと思った。いつも母と買い物をしていたわたしには新鮮すぎて、これまで父と出かけなかったことをちょっとだけ悔やんだ。
でもその時だけは楽しいのが勝っていて、棚にならんだズボンを一枚ずつ持ち上げながらサザンを小さく口ずさんだ。

ズボンをプレゼントして、シャツは次に持ち越し。これはまた父と出かける、いい先延ばしとなった。


おわり

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