『逢えるかもしれない』(物語)
海辺のレストラン。
食器洗い。
あたしがこのバイトをはじめた目的は、ふたつある。
ひとつ目は、もちろんお金を稼ぐこと。この冬を越すために。
1日目の今日を終えて、なんとかやってけそうだという感触を得た。仕事はトオノランという名の若い男に教わった。
そして1日目の今日、早くもふたつ目の目的を果たそうとしている。
客が残した食べ物や、調理で余った食材を捨てる場所を、今日あたしは知ったのだ。
「おつかれさまでしたー。お先に失礼します」
バイト終了。すぐにそこに向かった。
あった! ・・・野菜と、肉と・・・。
母ちゃん言ってた。人のものを取ってはいけない。だけど捨ててあるものを取っても誰も何も言わないさ、と。
ニンジンもソーセージもある。手を伸ばすあたし。
幸せ。よだれ出ちゃうかも。
持ちきれないな、こりゃ。
ハッ。・・・視線を感じる。
顔を上げると、三人の女がいた。ホールスタッフの女たちだ。こっちを見ながらヒソヒソと話している。
なんだかバツが悪い。・・・どうしよう。
「おい木森」
今度は背後から声が聞こえて飛び上がった。振り向くとトオノランが扉から顔を覗かせている。
「動物か何か飼ってんだって? 食べ物持って帰るなら袋とかいらないか、って店長が心配してたぞ」
なに? なに? 女三人組の次は、意味不明なことを言うトオノラン。
動物? 袋?
ここは・・・よし、退散しよう。
あたしは黙ってその場から逃げ出した。
走れ。
「おい木森!」
海辺のレストラン。
夜風が冷たくて心地いい。
あたしはナギ。狐族の女。
人間に化けて、バイトを始めた。
弟が待ってる。
走れ。山まで。
「姉ちゃん!」
「ギキ! 寂しくなかった?」
ギキは野生のキツネの姿だ。まだ人間に変身できない。
「大丈夫だよ。どうだった? 人間社会」
「うん、なんとかやってけそ。・・・でね、」
言いながらあたしは、さっき取ってきた少しばかりの食べ物をギキに見せた。
「じゃぁーん。食べもの獲得!」
「うあ~、すげぇ」
「人間が、余った食べ物を捨てるって噂、本当だった」
「そうなんだ・・・。食べていい?」
「うん、半分こしよう」
ギキがニンジンの切れ端を頬張る。
「なんで捨てちゃうのかな」
「うぅん、なんでだろ。わかんない。あたしたちが拾うため?」
笑顔を作った。
──動物か何か飼ってんだって?
・・・あの時のトオノラン、あたしをかばってくれたのかな。
そう考えると筋が通るよね。ぶっきらぼうで、そんな気がきくタイプではなさそうだけど。
でもなんでかばうの? ・・・明日聞いてみよっかな。
「俺も人間の街に早く行きたいな」
「うん、変身できるようになったらね。あたしも、あんたくらいの歳の頃だよ、変身できるようになったの」
変身は大抵の場合、女狐の方が習得が早いということは言わずにおいた。
翌日もトオノランに付いて仕事を習った。この男もバイトスタッフで、今週いっぱいで辞めるらしい。あたしはそれまでに仕事を覚えてしまわなきゃならない。
昨日のこと・・・どうやって切り出そうかな。
そう考えていると、トオノランから声をかけてきた。
「ところで木森」
流し台の水を布で拭き取りながら。
「調理スタッフ用のユニフォームを来たまま帰らないこと」
あちゃ・・・。
「それと、食べ物はそのままポケットに入れるもんじゃない」
昨日、突然走って帰ったから。
それより、あたしには聞きたいことがある。少し小声で言った。
「お前、あの時あたしをかばってくれたの?」
トオノランが頭を抱える。
「他人のことを〝お前〟と呼べるのは、当人同士の心の距離がとても近い場合だけだ。よーく覚えとけ」
「トオノラン、昨日、」
「俺の名前は遠野、蘭だ。呼ぶなら遠野さんとか、遠野くん、にしとけ」
「遠野、蘭・・・」
なんだか、綺麗な名前。
「遠野くん、昨日あたしのことかばってくれたんでしょ? なんで?」
あたしは、彼が流し台を拭き上げるのを待った。
「なんで、って。困ってそうだった・・・から、かな」
なんだ、いいヤツじゃないか、このトオノラン。いや遠野くん。ぶっきらぼうだけど、仕事は丁寧に教えてくれるし、細いけど腕には筋肉がついていて強そうだし、少しばかり野生の香りも感じる。
彼がもし狐族だったりしたら、好きになったりしちゃうのかなぁ。
横顔を見つめていると、遠野くんはその視線を振り切るように、拭き上げた布をあたしの目の前に置いた。
「はい、そっち側、同じように拭いて」
蛇口のまわりを拭き終えると、従業員スタッフからの指示を受け、あたしたちは次の作業に取り掛かった。
「えっと、な、」
トオノランが何か言おうとしている。
そして躊躇していた言葉を一気に吐き出すように言った。小声で。
「俺も、狐族だ。だから」
彼は手を止めずに言ったけど、あたしの手は止まった。
「だから、かばってやろうと思った。昨日のこと」
彼も狐族・・・。
驚きすぎて、あたしの頭の中は真っ白になった。次の言葉を出す整理ができない。
「あ・・・えっと・・・そうなんだ。え、あたしのこと、なんでわかったの?」
「そりゃ、野生の匂いを隠しきれてないからな。ま、普通の人間にはバレないだろうけど。それに名前。〝ナギ〟って本名だろ? そんな女の子そうそういないし、〝木森〟って・・・どんだけ木が好きなんだよ。木が四つ・・・。番長に何も言われなかった?」
番長は、人間証明書を交付してくれる、狐族のじいさんだ。
「最初は〝木木ナギ〟で申請したの。だけど「二つ目の木は森にしとけ」って」
「まぁ、〝木木ナギ〟よりはマシか」
「蘭、ってのは本当の名前じゃないの? 本当の名前は何?」
背後から「手を止めてる暇はないぞー」という従業員の声が飛んできて、あたしたちはおしゃべりをやめざるを得なくなった。
でも、仲間がそばにいる。それだけで、あたしの胸は軽やかになっていた。
「そんでね」
ギキが話を聞いてくれている。
「あたしが廃棄ボックスに手を突っ込んだのを見て、狐族だってこと確信したんだって。人ならそんなことしない、って。あ、本名は〝グラン〟っていうらしい」
「姉ちゃん、今日はトオノランの話ばっかだな」
笑ってる。
あたしも微笑んだ。
「他にも、いるのかな。俺たちの仲間」
「さあねぇ。見かけだけじゃ、区別つかないから」
「あーあ、俺も早く、行っき、たっい、なぁ。人間の街」
「ギキが行けるようになるまでは、あたしが土産話を聞かせたげる」
翌日は曇り空。
物悲しげな雲の色に、冬の深まりを感じる。
出勤してスタッフルームのドアを開けると、遠野くんの後ろ姿がそこにあった。
独り、小窓から外を眺めてる。
「おつかれさまでーす」
「おつかれさまで・・・え・・・」
振り向きざま、あたしの姿を見て驚いた。
「木森の私服って、着物なの」
「うん、お気に入りなの。可愛いでしょ」
「ふぅ・・・。つくづく〝目につく〟ことやるよな」
「ね、何見てたの?」
あたしも窓際に近づいた。
「あそこのさ」
と言いながら遠野くんが顔を窓に近づける。
「コンクリートの切れた向こうに岩、あるだろ? あの向こう側の浜辺、行ったことある?」
「ううん。ない」
あたしも顔を、小さな窓に近づけた。肩と肩が触れる。
「そこの浜辺、俺の好きな場所なんだ。真っ白い砂浜でさ、走ると砂の音が響く」
「へえぇ」
姿勢を変えると、遠野くんの手にあたしの手が触れた。
それは初めての感覚だった。手と手が触れ合あっただけなのに、なんだかお互いの心が近づいたような。胸の内側があったかくなって、少しドキドキする。
人の肌って、こんなに心地いいんだ・・・。
どれどれ・・・。
「木森。人の顔をペタペタ触るもんじゃない。いまの話、聞いてた?」
「うん。で、何見てたって?」
少し肩を落として、続きを語る遠野くん。
「その浜辺がさ、雪降ったらどんな景色になんのかな、って考えてた。明日あたり雪になるらしいからさ」
「そうなんだ」
とあたしが言うと、遠野くんが真剣な表情で近寄った。強めの口調で、小声になってる。
「だろ・・・! 人の姿になってると、野生の勘って鈍るよな。木森、天気予報チェックしてる?」
なんか圧が強い。首を横に振るあたし。
「人間の天気予報はな、俺たちの〝野生の勘〟並みによく当たる。毎日見といたほうがいいぞ」
ちょうどそこへ、ドアが開いて店長が顔を出した。
「お、ふたり一緒にいてちょうどよかった。遠野くん、今日ね」
今日はホールスタッフに欠員があって、遠野くんに入ってほしい、っていう話だった。
あたしの仕事には店長がついてくれるから、って・・・。
それだけ言って、店長は出てった。
なぁんだ、今日は遠野くんとおしゃべりしながら仕事できないのか・・・。
「じゃあな、俺、準備行くわ」
「そっか。じゃあ、また明日だね」
「ああ、そうだな」
「あ、遠野くん」
出ていこうとする彼を、呼びとめた。
「遠野くんって、あさってで辞めちゃうんだよね」
「ああ。冬を越すのに十分な貯えが、もうできたから」
「そうなんだ。・・・だよね」
「奥山に帰るよ。また次の秋には戻ると思う。冬支度にね。またこの街に戻るだろうな。俺、ここ好きだから」
「あたしも、この街、好き」
微笑む彼。
「じゃ、な」
「うん。バイバイ」
この時なぜか野生の勘が働いた。・・・いま色々話しておかないと、最後になってしまうんじゃないか、と。
「あ! あたしもその浜辺、行ってみるね」
「おう」
「じゃ、またね」
「ああ」
ドアが閉まる。
雪は、この日の夜から降り始めた。
そして次の日、寒い朝が訪れた。
「姉ちゃん、それ、スマホってやつ?」
「うん・・・。お店から連絡来た。『今日と明日の二日間、大雪のため臨時休業』だって」
「文字で連絡来たの?」
「うん」
「すっげぇなぁ」
「そだね」
あたしは空を仰いで、降り続く雪をぼんやり見つめた。
その雪は天気予報のとおり、いいえ、それ以上に、この山と街を白く覆った。
遠野くんとのおしゃべりは、あの時が最後になった。
冬は色んな景色を変えていく。
遠野くんがいない景色も、毎日少しずつ表情を変えながら、あたしを次の季節に運んだ。
春
心地よい風に緑が枝を揺らし
夏には
立ち昇る雲が白く眩しく反射した。
そして今
もうすぐ秋だよと、昆虫たちが囁く。
いつだったか、一度、番長を訪ねて行ったことがある。
「グラン? ・・・もちろん知っとるよ。じゃがお前に教えてやれるようなことは何も無いな。お前さんだって、誰かに詮索されるようなことは好きではないじゃろ? ・・・ふふ、焦らずとも秋はいつかやってくるわい」
もうすぐ秋。
待ちに待った、秋が来る。
「姉ちゃん、姉ちゃん」
振り返るとギキが立っていた。人間の姿だ。
「ギキ、すごい! やったね」
両手で頬を撫でてやった。
「うん、これで街に行ける?」
「行ける!」
「俺、海見たいな。姉ちゃんがよく行ってる白い浜辺」
瞳が輝いてる。
「よし! 少し遠いけど、今から行く?」
なぁんて。あそこに行きたいのは、あたしのほう。
だって、逢えるかもしれないから。
ギキと二人で駆け出した。
ギキは途中で「疲れた」と言って、きっとあたしがおんぶする羽目になる。
変身初心者なんだし、すぐにキツネの姿に戻ってしまうかも。
それでも、いいから。
あの場所に行きたい。
いつも想像してる。
「久しぶりだね」と、浜辺に立つふたりを。
今日が、その日かもしれないから。
だから、走れ、ナギ。
おわり

AIイラスト by Sakerart
[Sakerartさんのイラストが載っているストーリー]
『俺、空を飛ぶ』
