『海から来た男の子』(物語)
「どしたの? みなみ。疲れちゃった?」
先週、しおりちゃんたち友達と海に遊びに行った帰りの会話だ。
海を訪れたのは数年ぶりだった。
「ううん。・・・浜辺ってさ、けっこうゴミとか落ちてんだなぁ、って考えてた」
「そりゃ、人が集まるからねぇ」
・・・。
それまで、なんとなく胸の底によどんでいた思いが、喉を通り過ぎて、口から出た。
「あたし、決めたわ」
・・・がキッカケで今ここにいるけど。
「しおりちゃんごめん、あたしやっぱり無理かも」
こんな大勢の人の前で話すなんて。
「何言ってんの。あんなちっちゃなビラ数枚貼ったくらいで、こんなに人集まってるんだよ。こんなチャンスないって。今やんなくてどーすんの。みなみが言い出しっぺでしょ」
地球環境を考える会
めちゃくちゃお堅いタイトルのサークルを、この大学内に立ち上げようとしてる。
しおりちゃんは賛同してくれて嬉しいけど、言い出しっぺのあたしが部長でしょ、ってことで、今まさにサークル会員を勧誘すべく、青空の下、ハンドマイクを片手に人だかりの前に立っている。
こんなビッグイベントになるとは・・・予想していなかった。
「う、うん・・・やってみる」
あたしは背筋を正して一度目を閉じ、大きく息を吸ってみた。そう、言い出しっぺなんだから、しっかりやんなきゃ。
マイクを構えながら思い出していた。小学生だったあたしの、不思議な体験のことを。
家族で海に出かけた時のことだ。
「何だろ?・・・あれ」
浜辺の景色に、違和感を見つけた。思わず駆け寄る。
そのあたりは大量のワカメらしきものが打ち上げられているせいか、海水浴の人の姿はほとんどない。
目を凝らす。
それは、人だった。
色白の背中、墨のように真っ黒い髪の毛の男の子が(後ろ姿でも男の子だと感じた)、裸でうつ伏せている。
最初は死んでいるのかと思って背筋が寒くなったけど、どうやら生きているらしい。手が動きだした。ワカメが巻きついた腕を砂に立てて、立ちあがろうとしている。
あたしは立ち止まった。
男の子は腰から上だけを両手で支え、まるで人魚のような艶かしい姿勢になり、こちらを向いた。
目が合う。
少し青みがかったグレーのような瞳の、まっすぐな視線があたしをキャッチした。
「あの・・・」
「あの・・・」
あたしたちは同時に発したが、続けたのはあたしだった。
「溺れたの?」
「いや。クラゲやワカメたちが導いてくれた。ここまで運んでくれたんだ」
「そう・・・」
あたしはゆっくり近づきながら、次の質問をした。
「服は? なくしちゃったの? そのままじゃ風邪ひくよ。お父さんに何か借りてこようか?」
だって、どう見ても裸ん坊なんだもの。
でも男の子は「大丈夫だよ」と言い、ほんの少しの間、瞼を閉じた。
すると、男の子の首から下が、緑色の毛糸のようなフワフワした何かで覆われた。
あたしは少し驚いて、また立ち止まった。
といっても男の子までの距離は、もう3メートルか、5メートルくらいの近さだ。
「微生物たちに協力してもらった」
微生物が集合して服になったっていうの? 不思議な男の子だ。あたしは興味を持った。年齢は・・・あたしと同じくらいかしら。
「帰り道、わかる?」
「うん、わかるよ。海を通ってきた。・・・想像よりずっと汚れてたよ」
残念そうな表情になった。
「海を? 通って? ・・・遠いところから来たの?」
「うん、時間はずいぶんかかった。だけどそれよりも水の汚れが心配だ。海水が澄んでさえいれば何てことはないんだけど・・・汚れてたから少し息苦しかった」
「海を通って、って・・・まさか、海の〝中を〟通って?」
戸惑うあたしに、男の子は「そうだよ」と頷いた。
そんなはずないじゃない、と思いながらも、次の瞬間、あたしは普通じゃ考えられない質問をしてしまった。
「海底に・・・住んでるの?」
男の子は微笑んだ。
「海底には住めないよ。もっとその先、地球の裏側に住んでる。そこから海を通って、ここへ来た。ここって、地球の表側だろ?」
ちょっとわからなくなってきた。
いくらあたしが想像力豊かな小学生であろうと、脳みそが追いつかない。いろいろと整理したい。
「地球の裏側って、どこ? 外国?」
「外国といえば外国だけど・・・地球の裏側の世界さ。知らない?」
「うん」
男の子が空を見上げた。
「海をどんどんどんどん潜っていく・・・ずっとずっと潜っていくとやがて、空気があるところに出るんだ。そこは海。砂浜もあって、山も、空もある。地球は空洞になっていて、地球の真ん中には、そういう世界があるんだよ」
「ち・・・地底人?」
「いや。僕らだって、れっきとした人間だよ。ただ裏側に住んでる、ってだけ」
「ちょっと待って。空もある、って言った? 地球の真ん中に?」
「そうだよ。空もあるし雲もある。太陽だって」
「太陽? 地球の真ん中に? それは太陽じゃないわ」
男の子は少し悲しそうに笑った。そしてまた空を見上げた。
「あるんだよ。あの太陽と同じ・・・。じゃぁ僕から質問」
と言ってあたしを見た。
少しだけ顔を寄せる。
「空の向こうには何がある?」
「宇宙・・・でしょ?」
「そう。じゃぁ、そのまた向こうは?」
「宇宙の向こう? 知らない。宇宙は無限に広いんじゃないの?」
「海だよ」
「海? 宇宙の向こうは海?」
「そう。この空をまっすぐに、ずっとずっと、ずっと何億光年も突き進んでいくと、海に行き着く。そこは地球の裏側。つまり宇宙は、大きなリング状になってる。そのリングの繋ぎ目にあるのが、この海ってわけ」
あたしは、リング状になっている宇宙を想像した。
「ちょっと待ってよ。地球は丸いんでしょ? ボールみたいに。だったらこの空の果ての宇宙と地球の真ん中が繋がってるのは、おかしいわ。だって──」
「宇宙空間はねじれてるの。繋がっててもおかしくないんだよ。だから、あれと同じ太陽が表側からも裏側からも見える。もうじき学校で教わるよ」
男の子が立ち上がった。
そんなことより、っていう雰囲気だ。
「ねぇ、この国の長(おさ)に会うことできないかな。海の汚染について話し合わなきゃ」
あたしは面食らった。
また突拍子もないことを。それに長って何よ・・・。
「長って?」
「この国のリーダーだよ。いるでしょ?」
リーダー・・・。それって、総理大臣さん?
それとも、あたしが知らないだけで、どこかにかっこいいリーダーがいるのかな。
「わかんないよ・・・」
「この国にとって、いや、地球にとっても大切なことなんだ」
そんな真剣に詰め寄られても・・・。
「話すなら、う、海の研究してる人とかどうかな、それか、魚釣りのおじさんとか?」
「・・・そうだね。身近な人から着実に、がいいね」
そのとき、お父さんがあたしを呼ぶ声が聞こえた。振り返って、その姿を確認する。
「ごめん。お父さんが呼んでる。行かなきゃ」
「そう」
また悲しそうな笑顔。
あたしはお父さんが呼ぶ方に、一歩、二歩、と後退りした。
「あの・・・。今度会う時まで、調べておこうか? あなた、このあたりにずっといる?」
「いや、いいよ。ここにずっとはいない。ありがと。君と出逢えてよかった」
あたしは男の子に背を向けて、早歩きをはじめた。
何度か振り返った。男の子はずっと、そこに立っていた。
鮮明に覚えてる。
あたしの胸に強烈な思い出を残した。
あの少年の瞳。声。海の匂い。
そして耳に残る言葉
──海の汚染について話し合わなきゃ
真剣に話したがってた。もしかすると、その役割を任命されて、表側まで来たのかも。
でもそれからのあたしは、なんとなく海へ行くことを避けた。
もう一度会いたい気持ちはあったのだけれど、あたしにはやっぱり、彼の想いに対してお手伝いできることは何もないから。
「みなみ、ちょっと──」
でもこないだ海に行ったとき、思ったんだ。やっぱり、あたしにも出来ることはあるんじゃないか、って。
「みなみ」
「・・・あ。うん、がんばる」
だけど・・・。
よく考えたら、彼は現実の存在だったんだろうか。
そうだよ。ずいぶん昔のことだもん。小学生だったんだし。半分は空想だったのかも。地球の中に空洞だなんて、幼い頃の夢物語は胸の中にしまって。今はしっかり現実を見て。〝地球環境を考える会〟・・・いいことには違いないんだから、言い出しっぺとして、やることやらなきゃ。
ハンドマイクを構えて、集まってくれている人だかりを見渡した。
「こんにちは。け、経済学部の一年生、白浜みなみです──」
その時、視界に映った。
人だかりの後ろの、ずっと後ろのほう。
色白の肌に、青みがかったまっすぐな瞳・・・!
あの少年だ。
少年は、少し大人になってる。
そりゃ、あれから何年も経ったんだもの。
もう一度彼の瞳を見て、確かめた。間違いない。
夢物語じゃなかった。半分空想でもなかった。
まさか・・・何年もの間、待っていたの? あたしが行動を起こすのを?
あたしは頭を抱えた。
それとも、彼も着々とコトを進めてるのかしら。海の水をきれいにするために。
あたし・・・何をすべきかちゃんと考えないと。きっと、このサークルを思い立ったのには意味がある。こんなに人が集まってくれたのには、意味がある。
気づくと、彼の姿はもうなかった。
どこかで見ていて。これからのあたしを。
あたしから始められることが、ここにある。
大きく息を吸い込んだ。
「みなさん! この地球は──」
(おわり)
読んでいただき、ありがとうございました。
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