芥川龍之介百回忌によせて
昭和2(1927)年7月24日、芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」という言葉を残し、東京・田端の自宅で自ら命を絶った。
来年はそれから100年になる。
田端文士村記念館で企画展「芥川龍之介百回忌によせてー「河童忌」を振り返るー」が2026年9月19日(土)まで開かれている。
龍之介の忌日は、生前好んで河童の画を描いたこと、晩年の代表作に「河童」があることから「河童忌」といわれている。
休館日は月曜日(祝日の時は火・水曜日)、祝日の翌日(土・日の場合は翌火曜日)。開館時間は午前10時から午後5時(入館は午後4時半まで)。入場無料。問い合わせは℡03-5685-5171。

田端は明治中頃まで東京旧市街地近郊の農村地域のひとつだった。その後、宅地化が進むと、明治22(1889)年、上野に開校した東京藝術学校(現東京芸術大学)で学び、巣立った若者たちが交通の便のよさから住みはじめ、芸術家村が形成された。
やがて芥川龍之介、室生犀星らが転入し、文士村としての一面を持つようになる。文学者ばかりでなく、画家の小杉放菴、陶芸家の板谷波山、「のらくろ」シリーズで知られる漫画家の田河水泡、「シャボン玉」や「七つの子」を作詞した詩人の野口雨情らも田端の住人だった。
龍之介が田端に越してきた大正3(1914)年、22歳でまだ大学生だった。だが、やがて龍之介がこの地で書いた「鼻」が夏目漱石に高く評価されて、その名を知られるようになった。
今展は「はじめに」と4章から成る。
「はじめに」ー「侏儒の言葉」原稿(複製)、「河童」原稿(複製)、「縄文藝的な、余りに文藝的な」原稿などが紹介されている。
第1章「芥川龍之介と文士芸術家の交流」では、龍之介の名刺(複製)、大正14(1925)年5月17日付の佐藤春夫宛書簡(複製)や龍之介が室生犀星に贈った「九谷焼の鉢」などが展示されている。
第2章「芥川龍之介の死と追悼の言葉」では、妻や子どもらに宛てた遺書(複製)がそれぞれ展示されている。また、龍之介の死亡記事を掲載した東京日日新聞の昭和2年7月25日付紙面を読むことが出来る。
第3章ー1「芥川龍之介の一周忌」ー芥川比呂志「お父さんのおはかまいり。」『綴り方集』、「掛仏」、『文藝春秋』第6巻第7号「芥川龍之介氏を憶ふ」などが展示されている。
第3章ー2「「河童忌」に集った人々~龍之介を偲びつつ~」では芳名帖や室生犀星「芥川龍之介と詩」(『文学』第2巻第11号)、芥川文述『追想 芥川龍之介』といった資料が陳列されている。
第4章「「河童忌」に参加した後進たち」。堀辰雄、中野重治、川端康成、横光利一らのことが紹介されている。

現在、来年7月の開館を目指して「北区立 芥川龍之介記念館」が龍之介が家族と暮らしていた場所に建設中である。貴重な直筆原稿など展示資料を充実させ、創作の原点ともいえる「書斎」を再現する計画だ。
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