タブ純が聞くイルカの世界
「タブレット純が聞くイルカの世界」というトークイベントが2025年12月12日(金)、「よみうりカルチャー荻窪教室」で開かれて、ムード歌謡からグループサウンズ(GS)まで多彩な話に華が咲いた。
まず、タブ純さんが紫のスーツ、左の襟に赤いバラをつけた姿で登場した。「今日は朝から誰とも話していないのでボーッとしちゃってる」。
そして2回目のこの講座での対面となるイルカさんを「心のきれいな人」だと評した。イルカさんを呼ぶ前にタブ純さんはイルカさんの代表曲のひとつ「雨の物語」を歌った。伊勢正三作詩作曲だ。

歌の途中で地震。
曲が終わると拍手があったが、タブ純さんは「あっ、この歌ですごい反響が揺れるようにあったって思ったけど、みんなの表情が違うんで」と話した。そうこうするうちにイルカさんが現れた。
「地震あったの私全然分からなかった」とイルカさん。
タブ純さんも「ぼくも分からなかったんです。鈍感で」。
地震の話はこのへんで、荻窪についてイルカさんが「このへんに結婚してから住んでいたので懐かしいです。73年頃です。中央線沿線には拓郎さんや山田パンダさんたちも住んでいました」と思い出を語った。
タブ純さんはこの日驚いたこととしてイルカさんがすでに、先日発売になったタブ純さんのCDを持っていたこと。「差し上げようとしたら「もう買いました」と言われました」というと会場から拍手が起こった。
イルカさんは「毎日聞いてます。私ムード歌謡っていうジャンル一番程遠いって思っていたんだけど、全部一緒に唄えるんです」と話す。
タブ純さんが今回CDでカバーしたのは中川博之さんのムード歌謡の名曲の数々。イルカさんがクラウンレコードに入った74年頃にヒットしたと言って、収録曲でもある「わたし祈ってます」とタブ純さんが歌った。

イルカさんのご主人・神部和夫さんは毎日朝4時帰りの人だったので、六本木とかで中川先生とご一緒させてもらっていたはずだという。
「私、十代の頃から洋楽ばかり聞いてきたので、ムード歌謡を聞くと突っ込みどころいっぱいだなって思って面白いの」とイルカさん。
タブ純さんが「決して嫌いで別れたんじゃないのとか、好きだけど別れるのとか」と言うと、イルカさんは「じゃあ何で別れるんだ」と返した。
イルカさんは続けた「ひとつ思ったのは、ムード歌謡の詞の世界で、けなげな女が耐えるみたいなのを英語に訳して欧米の女性に見せたらどんな反応をするんだろうって」。タブ純さんはいきなり「昨日の女」を歌った。
例えば、女が出ていくのにテレビをずっと見ている男とかの話になって、イルカさんは「もうひとつは思ったのは、それは鈍感な男じゃなくってそうするしかないってことじゃないか」と付け加えた。
阿久悠さん作詩の「昨日の女」だが、イルカさんは「その曲が一番突っ込みどころが多い」とした。そして「ポエムだと思ったのは星野哲郎先生」だというと、タブ純さんは「さようならは五つのひらがな」を歌った。
ここで星野哲郎さんの話をイルカさんがした。
「クラウンのヒット賞ってのがあって、20代の頃なんで大先生たちが来るパーティなので身の置き場がないって思っていると、星野先生は必ず「やぁ、イルカくん」って声をかけてくれて、すごく優しくて素敵なんです」。
ある時、イルカさんは小沢昭一さんに曲を作ってほしいと頼まれた。星野先生が「あけみ」という詞を作っており、それにイルカさんが曲をつけ、「3人のコラボとなって、小沢昭一さんが歌ってくれました」。
この後、イルカさんの楽曲や夫の神部さんの話となった。
伊勢正三作詩作曲の「なごり雪」が大ヒットした後、イルカさんの楽曲「君は悲しみの」を出すことになるが、「絶対売れる曲を書かなきゃっていうプレッシャーが凄かった」と振り返った。

イルカさんが女子美術時代に知り合った神部さん。イルカさんたちのフォークソング同好会に、早稲田大学から来ていた。
「私の才能を発掘してくれた人で、一緒に音楽をやっていこうってプロポポーズがあって一緒に始めたんです」。シュリークスである。
そしてイルカさんは新宿厚生年金の小ホールでのライブで自分が「ペラペラしゃべって、当時夫はフォーク界のジュリーっていわれてて女子大生たちにすごい人気があったんだけど、すごいひんしゅくを買ったんです」と話した。それで神部さんからイルカさんは歌を禁じられたそうだ。
それでシュリークスでは神部さんがメインで歌い続けたという。
ここで「君の生れた朝」のB面の「涙が夕陽に」をレコードで聞いた。

聞き終えるとイルカさんは「私が19歳の頃ですね」。
ここから再び女子美の話とイルカさんのジャズマンだった父親の話題になった。イルカさんの父親は先日、97歳で亡くなったが、生前タブ純さんとご一緒したことがあり、父は「すごい喜んでたんです」とイルカさん。
イルカさんは小さい頃から自分のことを自分で言えないような子だったというが、「理想は密林で野生生物を飼いながら、世界で一番かっこいいアマチュアバンドをやることだった」と話した。
「夫がメインで歌ってた」シュリークスで2,3年やった後、「イルカをソロにするとして出した」のんが「イルカのうた」というアルバムだった。
「私は好奇心の強い女」っていう曲があってイルカさんは「ずっと封印してきた曲です」と述べた。
神部さんはすごくソプラノの声だったと二人で話した後、そのソプラノが堪能出来るシュリークスのレコード「さらば」をかけた。

「夫が亡くなってもう18年経つんです。可哀そうでしょ。父親も逝っちゃったし」とイルカさん。「息子さんは音楽をやるとは思わなかったけど、19歳の頃、歌いたいっていって」その道に進んだそうだ。
タブさんが、イルカさんの「もう一人のイルカ物語」という本に父親の介護などについて詳しく書かれていると紹介した。
洋楽ファンだったイルカさん。とりわけウォーカーブラザーズで、なかでもスコット・エンゲルの大ファンだった。
ここでウォーカーブラザーズの「イン・マイ・ルーム」をかけた。
タブ純さんは「日本人受けするメロディーですね」と話すとイルカさんは「イギリスのイメージ強いけど、全員アメリカ出身なんですよね」。
「私はすごいミーハーで、高校の時からずっと推し活をやってるんです」とイルカさんがいうとタブ純さんが「じゃあ今は誰の推し活なんですか」と聞くと、「タブレット純さんです」と答えて会場は大きな拍手となった。
スコット・エンゲルの追いかけでテレビ局の前にいたところ、ひょろっとした青年が現れた。沢田研二だったのだが、彼に中でスコットの写真を撮ってきてほしいとカメラを貸して頼んだというのだ。
ダメだったと言って戻って来たまだ無名だった沢田研二。「真っ暗ななかで眼がキラキラとして素敵だって思いました。絶対に売れるって思いました。優しさも感じて、よくアーモンドアイっていうけど、すごく綺麗な眼をしていました」とイルカさんは回想した。
イルカさんはGSも大好きだったという。なかでもジャガーズだった。
だが、しばしゴールデンカップスやカーナビーツにも触れた。
ドラマーでのちに「クリエイション」で「ロンリーハート」というヒット曲を手がけるアイ高野さんの話題を続けた。
ここでカーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」のレコードをかけた。

イルカさんは自分のGS愛を次のように分析した。
「もともと洋楽が好きだったんだけど、来日するアーティストは年に一組か二組ぐらいで、前座にスパイダースとかが出ていて知ったこともあるし、来日して生で聞くことがなかなか出来ないのであきらめで」GSに行った。
ひとつだけイルカさんがファンクラブに入っていたのがジャガーズだった。ここで「ダンシング・ロンリー・ナイト」のレコードを聞いた。

レコードに合わせてタブ純さんは踊りながら歌った。手拍子が会場から自然と沸き上がった。ノリノリだったタブ純さん。
ジャガーズの岡本信さんの「素敵な思い出」をイルカさんが披露した。
その頃、ジャガーズの事務所は新宿のいかがわしいエリアにあったが、本人たちに会えることもあったのでイルカさんも何度か行ったそうだ。ある時、夜に行ったら岡本信ちゃんがいたけれど、こう「すごく真剣に」いわれてしまったというー「女の子たちがこの街をふらふらしちゃいけないよ」。
そういわれてよく見ると「客待ちのお姉さんたちが通りに立ってたり、そこを抜けて通りに出るまで私たちを送ってくれたんです」とイルカさん。
そして最後にタブレット純さんの本についてのイルカさんの感想や山中企画の山中さんの話題となり、イルカさんの「私大好きなんですよ、ああいいうタイプ」といった発言で終わっていったのだった。

