ターナー大回顧展
「光の画家」と呼ばれ、英国ロマン主義を代表する芸術家ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)。彼は自然に対する鋭敏な感覚と実験的な絵画表現によって風景画のあり方を一変させた。
世界最大のターナー・コレクションを誇るロンドンのテート美術館の所蔵品から油彩画や水彩画など80点以上を紹介する大回顧展が開催される。
2026年10月24日(土)から2027年2月21日(日)まで「テート美術館 ターナー展――崇高の絵画、現代美術との対話」が国立西洋美術館(東京・上野公園)で開かれる。
本展の大きな特徴は、ターナーの絵画と現代美術作品とを併置することによる、時代を超えた「対話」を通じてターナーの芸術に潜んでいる可能性を多角的に検証する点にある。各章でこの試みはなされる。

開館時間は午前9時半から午後5時半、金・土曜日は午後8時まで(入館は閉館の30分前まで)。休館日は月曜日、11月24日(火)、12月28日(月)~2027年1月1日(金・祝)、1月12日(火)、ただし11月23日(月・祝)、2027年1月11日(月・祝)は開館。
観覧料は一般2400円、大学生1500円、高校生1100円。
問い合わせは℡050-5541-8600(ハローダイヤル)。展覧会公式サイトは https://turner2026-27.exhibit.jp/
序章「暗い部屋」
ターナーは自宅のそばに開いた画廊で自身の作品を展示販売していた。ターナーは来訪者を入室前に薄暗い部屋でしばらく待たせたという。
それは暗闇のひとときが視覚を研ぎ澄まし「見る」という行為をいっそう鋭敏にすると考えたからだ。鑑賞者にとっては、ターナーの絵画に充ちるまばゆい光に出会うための序章だった。
ターナーは月や月明りを、しばしば暗い闇のなかから立ち現れる主題として繰り返しとりあげた。
さらにこの章では、現代アーティストであるケイティ・パターソン(1981-)が作り出した無数の光の粒がゆっくり舞う《Totality(皆既食/全体性)》と題されたインスタレーションも紹介されている。
日食を含むターナーの月光への関心と響き合うのを体感出来よう。

第1章「はじまりの歩み、英国の風景から」
島国である英国には多様な風景を見せる山岳や丘陵、湖などがある。そうした英国の風景を歩きながら丹念に記録したのがターナーの初期作品である。戸外で行うスケッチは、ターナーの芸術実践の中核だった。
現場で制作された習作は、のちにアトリエへと持ち帰られ、記憶と想像力の融合によって絵画へと仕上げられた。
この章では、ターナーとリチャード・ロング(1945-)がそれぞれにダートムーアを歩くことで生んだ作品を展示する。
ターナーは自然のなかで得た経験を記憶と想像力によって絵画へと昇華させていったのに対し、ロングはもっとありのままに、たいていは最小限のものしか介在させずに呈示している。

第2章「山々の内部へ」
ターナーは1802年、20代後半のときに初めて英国の外へと旅に出た。スイスに足を延ばす過程で、険しくも悠然とそびえるアルプスの山々と遭遇した。ターナーは生涯を通じて6度アルプスを訪れ、1841-44年のスイスへの旅がその最後となった。
本章では1802年から1840年代までターナーが描いた、アルプスを中心とする英国外のさまざまな風景を紹介する。
この章では、ターナーがさまざまな時期に描いたメール・ド・ブラス氷河の素描と、現代アーティストのオラファー・エリアソン(1967-)によって同じ氷河を題材とした写真シリーズを併せて紹介する。エリアソンは同じ氷河を1999年と2019年に一群の写真で記録した。

第3章「歴史的崇高」
ターナーが生きた時代でもっとも権威があった絵画のジャンルは歴史画だった。ターナーの歴史画には、先行する偉大な画家たち―ティツィアーノ、クロード・ロラン、リチャード・ウィルソンなど―の絵画の記憶が息づく。
ターナーは歴史的主題を巧みに扱う力量が高く評価されたが、古典的なモチーフを採り上げつつも実験的手法を用い、見る者により強く訴える作品を生み出した。
ターナーの歴史画の傍らには、ひとつの小部屋が設けられ、そこでは現代アーティストのコーネリア・パーカー(1956-)による《余白のための部屋》と題されたインスタレーションが配されている。
このインスタレーションは、ターナーの絵画から取り外された、カンヴァスの裏打ち布や余白部分といった断片によって構成されている。

第4章「崇高の都市、ヴェネツィア」
ヴェネツィアは人間の手によって築かれた都市であるゆえ、自然の「崇高」たる美とはいえないのかもしれない。しかし、ターナーの芸術の理解者だった批評家ジョン・ラスキンにとっては、「もっとも澄みわたる」ところと呼ばれてきたヴェネツィアは「崇高」を想起させられる場であった。
陸と水の交わり、広大な空と壮麗な建築をもつヴェネツィアは歴史上、数えきれないほど多くの芸術家たちをひきつけてきた。が、ターナーほど、その都市のあり方と深く響き合う作品を生み出した画家はいなかっただろう。
ターナーは1819年、1833年、1840年と生涯で3度、ヴェネツィアを訪れた。本章の中核をなすのは、最後の滞在中に手がけた水彩画と、その後に発表された油彩画である。
英国の現代アーティスト、ハワード・ホジキン(1932-2017)は、ヴェネツィアを主題とした4点の版画連作を1995年に残した。そのうちの1点をターナーの絵画や水彩画と併置する。

第5章「荒れた海」
ターナーが残した作品群の半数以上は海景画だ。そこには外洋、捕鯨船、漁船、難破船、海戦を描いた絵画が含まれる。そして海は人間の営みと自然のちからとがしばしば衝突する場として描かれている。晩年のターナーは捕鯨産業の光景を描いた4点の絵画を残している。
また、ボストン美術館所蔵の通称《奴隷船》の版画も展示する。この作品はターナーが同時代の重要な政治的問題に応答していたことを示している。
1781年のゾング号事件(英国の奴隷船から100人以上ものアフリカ人奴隷を投げ捨て殺した事件)の記憶をあつかったこの作品は2002年の結成以降、高度な芸術活動を繰り広げて来たアート・コレクティヴであるオトリス・グループが《Hydra Decapita(ヒュドラの斬首)》という映像作品を生む契機となった。

第6章「黙想、海と空を見つめつつ」
ターナーは海の激しいちからを捉えただけでなく、油彩画に加えて、薄くたなびく雲、海しぶき、波頭などの細部を描写した数百点にもおよぶスケッチを残している。
微細な変化を丹念に見つめるターナーのまなざしは、海を固定したひとつの表面としてではなく、たえず移ろい、複雑に変化し続けるものとして、鑑賞者に受け取られるであろうかたちとして提示している。
ヴォルフガング・ティルマンス(1968-)は海を広大なものとして示すとともに、ターナーのように細部までを呈示することによって、近づいてじっくり水面を見つめることを促している。画面の大半を占めるのは、雲がかった空の下に広がる無人の海である。

第7章「根源的崇高 後期ターナーという問題」
健康が悪化し、同業者らから批判を浴びながらも、晩年のターナーはきわめて旺盛な制作を行った。技法や素材においていっそう大胆な実験を重ねつつ、こんにちとりわけ高く評価される挑戦的な作品を数多く生み出した。
この時期のターナーの芸術は、しばしば伝統からの離脱によって特徴づけられる。晩年に近づくにつれてターナーは、ほとんど光と大気のみに焦点をしぼった絵画や習作を多く制作した。
ターナーをはじめとするアーティストたちが風景を再現的に描き出すことから離れ、光や色彩そのものの経験の抽出に向かったことは、後世の美術のあり方とも無関係ではない。

本展の終りでは、アメリカの抽象表現主義の画家マーク・ロスコ(1903-1970)とバーネット・ニューマン(1905-1970)の作品を展示し、ターナーの絵画との関係を探る。
