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特別展「京都・真如堂の名宝」

 京都・洛東にある天台宗の古刹・真如堂に伝わる国宝の法華経「運慶願経」など名宝の数々や関連する品々が一堂に会する特別展「京都・真如堂の名宝」が2026年8月30日(日)まで三井記念美術館(東京都中央区日本橋室町2-1-1三井本館7F)で開催される。
 初日を翌日に控えた同7月3日(金)に記者説明会/内覧会があった。
 「真如堂の名宝といわれても、特に東日本の人たちにはイメージがなかなかわかないと思いますが、1000年にわたり人々の信仰を集めてきた真如堂は大変興味深く、三井家にとっては菩提寺でもあって江戸時代から深い関わりを持ってきました」と岩佐光晴・館長は語った。

岩佐光晴・館長 
真如堂地図

 真如堂の創建は平安時代。正式名称は真正極楽寺。
 展示解説をした同館の清水眞澄・名誉館長によると、国宝「運慶願経」は仏師・運慶の発願によって書写された法華経で、「運慶の信仰心を知るうえで非常に重要な意味を持っています」。
 「運慶といえば有名な仏師ですが、それが法華経を(本業ではないのに)自分で残したということが大切で、それゆえに国宝になったと思います」。
 その法華経は何度か修復されており、「現在大変きれいな状態でご覧頂けます」と清水名誉館長は述べた。
 運慶願経全8巻のうち真如堂は2~7巻を所蔵し、1巻は失われており、8巻は個人所蔵となっている。

国宝「法華経(運慶願経)巻第二~七のうち巻第三・五・七」須賀筆 平安時代・寿永2年(1183)真正極楽寺・真如堂

 8巻の奥書によれば、運慶はかねてから斎戒沐浴して霊水をくみ、料紙を準備し、寿永2(1183)年4月8日に初めて紙を打ったという。当時、運慶は20~30代半ばだった。
 清水名誉館長はいう。「須賀と栄印の二人の書き手が書写を始めて、毎日書写した行数を数えて、男女に勧めて一行ごとに3度の礼拝をさせ、法華経の宝号と念仏を唱えさせて、書写の終了は6月7日だった。約1か月でした。真如堂本は須賀が書写したものです」。

清水眞澄・名誉館長

 真如堂の本尊阿弥陀如来立像は本堂建立時の正暦5(994)年の作とされており、「現存する阿弥如来立像では最古のものとみられる」と清水名誉館長は話す。そして、「左手の指の形(印相)が大変珍しい。というのは、親指と中指とが接する中品下生印を結んでいるからです。しかし、なぜこういう指をしたのかは聞いたことがありません」。
 この阿弥陀如来立像は、平安時代前期にみられる重厚な作風から穏やかな「和様」へと移行していく時期にあたる。
 この本尊阿弥陀如立像は秘仏なので展示することは叶わず、今展では代わりに写真が飾られている。

真如堂本尊・阿弥陀如来立像の写真

 清水名誉館長は今展の見どころの解説を続けた。
 これまでに紹介されてこなかったが、今回初めて展示されるのは真如堂一山、法輪院と喜運院のそれぞれの本尊像である。
 法輪院の本尊阿弥陀如来立像は像髙が80.9センチで「三尺阿弥陀」とよく言われ、鎌倉時代・建長5(1253)年に造られた。
 作者は院蓮という仏師。昨年、ファイバースコープによって像内に墨書銘が発見されて仏師の名前が分かったと清水名誉館長は話した。
 同じく「願衆唯信(ごんしゅうゆいしん)」とあるのが発見された。清水名誉館長によると、これは「すべての人々よ、ただ一つの真実の信心に寄り添いなさい」という仏教用語。
 おとなしくて、まっすぐに立っている仏像だが、清水名誉館長は「この木像は1本の木を一度割って中を、割れないように中を空洞にして、もう一度くっつけてから造られています」と説明。「割玻造(わりはぎぞう)」だ。
 「着ているもののヒダも10世紀のものと違ってまっすぐに垂れているおり、また、中国宋代の仏教絵画の中の如来像の影響が、額のところなどにうかがうことが出来る」。

「阿弥陀如来立像」院蓮作 鎌倉時代・建長5年(1253) 真如堂一山 法輪院

 今回初めて紹介されるもう一つの仏像は喜運院の木造阿弥陀如来立像。像高82.0センチ、鎌倉時代・13世紀の作で、寄木造、玉眼である。
 「この系統の仏像では独特の面長の顔をしています。口を開いて歯が見えている。こうした仏像は鎌倉時代から南北朝時代までに約50体あります。いわゆる「生身仏」です」と清水名誉館長は述べた。

「阿弥陀如来立像」鎌倉時代・13世紀 真如堂一山 喜運院

 真如堂の本尊と同時代の作例として重要文化財の毘沙門天立像2体などが展示されている。

左から重要文化財「木造 毘沙門天立像」平安時代後期・11世紀 京都・誓願寺、重要文化財「木造 毘沙門天立像」平安時代後期・11世紀 京都・頂法寺

 「真如堂縁起」は、真如堂創建の由来や寺の変遷が描かれた三巻本の絵巻。巻下の裏書によれば、大永4(1524)年8月に完成したことが知られている。本展では、このうち中巻・下巻を展示する。

「真如堂縁起」三巻のうちの二巻 室町・大永4年(1524)真如堂 唐から戻った円仁が阿弥陀如来立像を彫刻する

 円融天皇の皇后で一条天皇の母東三条院(藤原詮子)の願により、比叡山・常行堂の本尊を女院の離宮に遷したのに始まる。正暦5(994)年、本堂を建立し、一条天皇の勅願寺となる。が、真如堂は応仁の乱により応仁2(1468)年焼失し、以後転々とする。元禄6(1693)年、東山天皇の勅願によtって旧地に近い現在地に再建された。

「真如堂縁起」には応仁の乱も描かれている

 真如堂には本尊の脇侍として不動明王が祀られている。これは平安時代の陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)の念仏仏だったと伝えられる。
 ある時、安倍晴明は突然の病で絶命する。閻魔王宮にたどり着いた清明は生き返らせてほしいと懇願すると念仏仏として持っていた不動明王像が表れて閻魔王に清明を生き返らせてほしいと頼む。その結果、清明は現世に戻ることが出来て、85歳の寿命と全うしたという。

平安時代の陰陽師・安倍晴明の逸話も「真如堂縁起」には描かれている

 さらに清水実参与が真如堂と三井家との関わりを説明した。
 真如堂が現在地に再建された元禄6(1693)年、三井高利(たかとし)と妻かねは真如堂を菩提寺にすることを希望したが、真如時には檀家制度がなかったため、子院の東陽房の檀家となった。
 以来、三井家と真如堂との関係は続き、江戸時代には三井家から仏像、仏画、書画などが多く寄進されている。

 木造 三井高利坐像 江戸時代・17世紀 真如堂
 木造 三井かね坐像 江戸時代・17世紀 真如堂
清水実参与

 真如堂に伝わるさまざまな書画も紹介されている。なかでも豊臣秀吉、徳川家康といった歴史上有名な人物の肖像画なども展示されている。

左から「徳川家康像」江戸時代・17世紀 真如堂、「豊臣秀吉像」江戸時代・17世紀 真如堂

 内覧会の途中、本尊阿弥如来立像の写真が展示されている前で真如堂の貫主・執事による法要が行われ、般若心経が唱えられた。

法要を行う真如堂の貫主と執事 
展示室4の展示風景

 開館時間は午前10時から午後5時(入館は午後4時半まで)。休館日は月曜日(ただし7月20日は開館)、7月21日(火)。
 入館料は一般1500円、大学・高校生は1000円、中学生以下無料。
 会期中、展示替えあり。
 問い合わせは℡050-5541-8600(ハローダイヤル)。三井記念美術館の公式ページは https://www.mitsui-museum.jp

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