見出し画像

本多康宏が語るジョン

 「「ビートルズは永遠だ」ってよく言われます。でもビートルズが永遠なのではありません。ビートルズを好きなみなさんが永遠なのです。だからビートルズは永遠となるのです」。
 ビートルズ関係の鑑定では世界でも指折りの、ビートルズ研究所所長の本多康宏さんのコメントである。
 日々、ビートルズ関係のモノを相手に格闘している本多さんを「material world」の人だと思う人が多いかもしれないが、むしろ「spiritual world」の人であることが分かるだろう。
 2025年12月8日、ジョンが亡くなって45年目となるこの日、池袋シネマロサで映画「夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩」(2025年/イギリス/127分/監督:アラン・J・パーカー/原題:Borrowed Time: Lennon's Last Decade)の上映後に本多さんのトークがあった。

 進行役は汐月しゅうさんが務めた。

汐月しゅうさん

 本多さんは45年前、ジョンが亡くなったのをどのようにして知ったのか。12月9日の夕方にラジオで一報が入って来て、本多さんは「びっくりした」という。本多さんは当時まだ学生だった。
 テレビ局は夕方、どこもジョンの死をニュースで取り上げていた。FM放送ではDJの渋谷陽一さんがビートルズやジョンの曲を繰り返しかけていたのを覚えているという。そしてバンドの仲間と語り合ったそうだ。
 翌朝の新聞各紙はやはりジョンが亡くなったことに大きく紙面を割いていた。本多さんは「なかなか本当のことだとは思えなかった」と話す。
 この映画には新しい「ネタ」がいろいろとあったという。一つは、ヨーコが60年代後半、パトロンを探していて、最初、ポールにアタックしたが、うまくいかず、ターゲットをジョンに変えたという話だ。
 本多さんはつきあいのあったジョンの先妻シンシアからその話を聞いていた。ヨーコがパトロン捜しをしていた66年頃、ジョンとシンシアはまだ離婚しておらず、ジョンのヨーコとの結婚は69年のことだった。

シンシアから数々の話を聞いた本多さん
 本多さんは94年に縁があって、イギリスにいたシンシアと初めて会った。翌年、テレビ番組でビートルズが来日した時に着た法被を探してイギリスを回ったことがあったが、その時にシンシアと2回目の対面をした。
 ジョンはサリー州ケンウッドの邸宅に多くのものを残していったと聞いて、本多さんはそれらを見せてもらうために行ったのだ。
 そうした時にシンシアは「今まであまり人に話したことがなかったけれど」と前置きして話してくれたのは、ジョンとヨーコがどのようにして接近していったのかという「定説」とは異なる話だった。
 本多さんがシンシアから聞いたところ、ジョンがヨーコの個展を訪ねる前、66年初めにはヨーコはパトロン捜しでポールに「ふられて」、ターゲットをジョンに変えていたのだという。
 ヨーコは個展をやっているロンドンのインディカ・ギャラリーにジョンが来るように仕向けたらしいと本多さんは「シンシアさんの言葉だ」と断りつつ話した。それと今や「伝説」となっているジョンとヨーコが互いに惹かれ合うきっかけになったという「天井のyes」についても、「最初、ジョンはピンとこなかったらしい」そうだ。

毎週のように届いたヨーコの手紙
 シンシアによると、「それから毎週のようにサリー州の家にジョン宛ての手紙が来るようになったそう」で、内容は〇〇しなさいというヨーコ得意のインストラクション・アートの指示の言葉だったという。
 「ジョンはそうした手紙を相手にしないで、「ああいうのって理解出来ない」と言っていたとシンシアさんから聞きました」。
 本多さんは「最近こういう話が出来るようになりました。今までは厳しい統制があったというか」と述べて次のエピソードに移った。
 68年初め、シンシアはリンゴの妻モ―リーンとスペイン旅行に行き、帰国して家に荷物を運びこもうとすると、玄関で見たことのない女性が煙草を吸っていたという。シンシアは「あなた誰?」と聞くと、その女性つまりヨーコだが、シンシアに「あなた誰?」と言ったのだそうだ。
 シンシアのいない時に、ジョンはヨーコを連れ込んでいたのだった。
 「証言というのは一つや二つではわからないものですが、人が話してくれたいくつものことの最大公約数には真理があると思うんです。そこに手紙などが出てくると裏付けが取れると思うんです」と本多さん。

作られた美談が伝説化
 また「失われた週末」についても、ジョンがメイ・パンと一緒だったおよそ18か月間、ジョンはヨーコと会っていなかったという「定説」がある。しかし、これは嘘で物証もあると本多さんはいう。
 本多さんは「ヨーコさんはジョンを追いかけてロサンゼルスに行っている証拠を私は持っています」と話す。
 「74年にロサンゼルスのレストランで目撃されており、ヨーコ一行は8人くらいいて、ジョンとヨーコはサインを求められて、ヨーコは断ったけれど、ジョンはサインしているんです。それが74年となっているんです」。
 74年秋のエルトン・ジョンのマディソン・スクエア・ガーデンのライブの後、ジョンとヨーコは初めて再会したといわれてきましたが、その前に二人は何度か会っているんですと本多さんはいう。
 「ヨーコがメイ・パンをジョンにあてがってロサンゼルスに行かせたとか、音楽活動を一時止めた後、パンを焼いていたとか、そうした美談は後から作られたんじゃないか、検証するんです。こういうドキュメンタリーと照合してゆく必要があるんじゃないかと思うんです」。
 この日、本多さんはビートルズ研究所用に作ったジョンのイラストのレプリカを持参していた。本多さんによると、そのオリジナルのイラストはジョンとヨーコが「War is over」のキャンペーンでベッドインピースを行った時にジョンが描いたもので同研究所が所有している。
 (冒頭の写真の右側がそのイラストのレプリカ)
 最後に本多さんがジョンの曲のイントロを触りを歌って、会場の人たちに当ててもらって、勝者にそのレプリカをプレゼントした。

本多康宏さん


いいなと思ったら応援しよう!