【2025秋アニメ】最終感想②(終末ツーリング/顔に出ない柏田さんと顔に出る太田君)
①終末ツーリング 感想
評価:SS
(キャラクター:28/30 ストーリー:25/30 映像・音楽:15/15 満足度:22/25 合計:90/100)
僕がこれまでに観てきたアニメ作品の中で(とはいえ、そこまで絶対数は多くないのですが)、トップクラスに背景美術が美しい作品だと思いました。『まどマギ』とはまた違った意味で、とにかく芸術的です。
鮮明で美麗な色使いはもちろんのこと、終末を迎えた世界において、現代の都市建築がどのように朽ちていくのかという解釈も非常に秀逸だと感じます。建物本来の機能が失われてしまったにもかかわらず、廃墟となることで、むしろ建築的な美しさが高まるという反転構造は、終末ものの醍醐味なのかもしれません。
ストーリーについては、1話ごとに面白さの濃淡がややあるようにも感じましたが、第2話、第4話、第9話は、単話単位で見たとき、2025年に放送されたアニメの中でも上位に入るほど素晴らしい出来だったと思います。かつての文明の記憶を辿る旅でありながら、そこに暮らしていた人々の思いを引き継ぎ、ヨーコとアイリが終末世界の中でその思いを少しだけ形にする――そんな物語の構造に強い好印象を抱きました。特に、先ほど挙げた三つのエピソードでは、その魅力が全面的に表れていたように思います。
二人の関係性も非常に魅力的でした。野生の危険動物が潜み、異常気象が発生し、インフラも完全に崩壊している危険だらけの外の世界で、頼ることができるのはお互いだけです。二人は互いを深く信頼しており、その強固な絆があるからこそ、終末世界でもツーリング旅を続けることができているのだと思います。第7話では、示し合わせずとも、二人ともこの旅をずっと続けていきたいと願っていることが確認され、二人の関係性はいっそう尊いものになりました。最終回の締め方も、これから先も二人はいつまでも、どこまでも旅を続けていくのだろうと確信させてくれるような終わり方で、とても良かったです。
結局、なぜ世界は破滅に至ったのか、ヨーコの姉はどこにいるのかといった謎は、最後まで明かされませんでした。僕も最初はその点が気になっていましたが、途中から次第に気にならなくなっていきました。それは、おそらく、難しい設定や謎解きを追い求めるよりも、目の前にある一つひとつの旅を、二人と同じ目線でただ楽しむことこそが、この作品を楽しみつくすのにピッタリな向き合い方なのだと感じるようになったからだと思います。
②顔に出ない柏田さんと顔に出る太田君 感想
評価:B
(キャラクター:22/30 ストーリー:17/30 映像・音楽:10/15 満足度:19/25 合計:68/100)
この作品の良さは、柏田さんと太田君の二人だからこそ成り立つ、特別な関係性を描き続けた点にあります。
こちらの記事に書いたように、太田君の柏田さんへのちょっかいは、一見すると乱暴で幼稚にも映りますが、決していじめとして消費されないよう、制作側は随所で配慮を重ねていたと思います。
柏田さんも決して心が死んでいるわけではなく、むしろ情緒は豊かで、状況対応能力も高く、内面の柔軟さが随所に感じられる人物です。柏田さんの魅力が本作の武器と言えるでしょう。
とは言え、太田君が幼稚すぎて、全体的に物語の完成度は低いという指摘も的を射ているでしょう。最終回に近づくにつれ、太田君にも成長の兆しが見えてきたので、もう少し先を描けばこのような評価も覆せるのかもしれません。
もっとも、この「幼稚さ」そのものを欠点と断じてよいのかについては、考え直す余地もあると思います。本作が描いているのはあくまで中学生同士の恋愛であり、大人の視点から見れば稚拙に映る振る舞いも、当事者の年齢を考えれば過度に不自然とは言い切れないのではないでしょうか。視聴者側が無意識に大人のフィルターを通して作品を見てしまっている可能性は、常に意識されるべきだと思います。
キャラクター設定や脚本の工夫には目が行ったのですが、物語としての面白さは最後まで伸び切らなかった、というのが率直な感想です。
ただ、田淵さんがいつまでも報われないのがかわいそうで、いつか誰にも邪魔されずに柏田さんと楽しい時間を過ごせるときがくればいいなぁと、それが作品全体を通して一番強く思ったことでした。
③おまけ 魔女の旅々 劇場版制作決定!
歴代の旅アニメの中でも、最高傑作レベルに素晴らしい『魔女の旅々』が、劇場版という形で帰ってきます。新年早々、これ以上ないほど嬉しいニュースです。
本作は『終末ツーリング』とは対照的に、旅先で起こる出来事に深く介入せず、一歩引いた視点からただ見届ける――そんな「傍観者としての旅」を貫いている点が、大きな魅力だと思っています。物事に安易な善悪の判断を下さず、必要以上に干渉もしない。その一貫した姿勢は、冷淡なのではなく、むしろ誠実です。そして、その態度の背景には、主人公イレイナが母と交わした「自分を特別な人間だと思わないこと」という約束があります。
鬱展開として語られがちな第3話や第9話こそ、本作の本質を最も端的に示しているエピソードでしょう。第3話では、傍観者としての立場を最後まで崩さず、第9話では逆に、他人の人生に深入りし過ぎたことで、その反動を真正面から受ける展開が描かれます。
魔女であっても万能ではなく、下手に希望を与えれば、それが叶わなかったとき、相手に絶望を残してしまうかもしれない。さらに、自身が危険に晒される可能性もある。だからこそイレイナは、力を使えば打開できそうな状況に直面しても、母との約束を守り、傍観者として旅を続けるのです。
しかし、第9話では、その一線を越えてしまったがゆえに、あの悲劇的な結末を迎えることになります。第3話のストーリーではイレイナが干渉しようがしまいが、避けようのなかった悲劇が描かれたのに対し、第9話のストーリーでは干渉してしまったがゆえに引き起こされた悲劇が描かれたわけです。この対比によって、「干渉しないこと」と「干渉してしまうこと」の両方の重さ、特に「干渉してしまうこと」の罪がはっきりと描き出されるのです。
主人公の行動原理が明確で、鬱的な展開さえも物語構造上の必然として組み込まれているからこそ、本作は「友情・努力・勝利」といった分かりやすい文脈とはまったく異なる魅力を放っています。イレイナという人物が、決して理想化されすぎず、非常に現実的な感覚を持った存在として描かれている点も、この作品を特別なものにしている理由の一つでしょう。
劇場版では、この「傍観者としての距離感」が、どのようなスケールで描かれるのかが最大の注目点だと思います。とにかく――あの美しい、美しい、誰よりも美しい(?)イレイナさんが、銀幕でどのように輝くのか。今から心待ちにせずにはいられません。
