ペトラとカッパドキア:沢田研二主演ドキュメンタリー『疾風のアラビア』(6千文字)
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ペトラとカッパドキア:沢田研二主演ドキュメンタリー『疾風のアラビア』
v2.6
1 序文:1988年、あの日の砂漠が僕らの「開始点」だった
この記事には、単なる番組の記録を超えた、筆者自身の私的な原体験が深く刻まれています。
1988年5月、私は25歳でした。アマチュアバンドでプログレッシブ・ロックに没頭し、同時に神秘思想への強い関心を抱いていた時期です。イスラエル、アラビア、中東。その響きだけで胸が躍るような興味の対象が、テレビ画面の中に現れました。それがこの番組であり、私は「カッパドキア」という不思議な響きを持つ地名を、この時初めて知ることになります。
視聴したのは、バンドのドラマー夫妻の部屋でした。当時は『インディ・ジョーンズ』でペトラが世界的に有名になる直前であり、映像に映し出されたマーブル色の洞窟の印象はあまりに強烈でした。SFを愛好していた私にとって、それはロジャー・ディーンが描くイエスやオシビサのアルバムジャケットそのもの、今風に言えば映画『アバター』のパンドラのような世界でした。そこに行ってみたいという切実な願いが、若き日の私の中に芽生えました。
「カッパドキア」という地名の響きは、当時の私たちの間でも格好のネタになりました。「カッパがいっぱいいて、どきや、どきや、と言わないと通れないらしいぜ」といったくだらない冗談を言い合っていたのを覚えています。しかし、当然ながら現地にカッパなど一匹もいません。ある有名な作家が、「ギョレメのカッパドキア」を「ぎょろめの河童」のことだと思い込んでいたという微笑ましいエピソードもありますが、そんなおやじギャグ的な勘違いや世評をよそに、画面に映るパンドラの森のようなキノコ塔のムードに、私たちは圧倒されていたのです。
特に記憶に強く刻まれているのは、ベドウィンの家族がジュリー(沢田研二)を羊の肉でもてなすシーンです。確証はありませんが、今でも鮮明に蘇る記憶があります。おじいさんが羊の群れに向かって大きく手を振り上げ、歌舞伎のような、あるいは獣のような姿勢で「ガオーっ」と叫びながら迫ります。群れが一斉に逃げ出しますが、その姿勢でゆっくりと追い詰め、逃げ遅れた一頭を食用の、あるいは燔祭(はんさい)の対象として選別するのです。それは残酷な狩りではなく、自然の摂理に則り、最大の敬意を持って群れの持続性を担保する古代からの知恵であり、畏怖の儀式なのだと感じました。生を繋ぐための「スローター(屠殺)」に対する深い敬意と賛美。それを受け入れるジュリーの沈黙。そこには言葉を超えた、根源的な命の交換がありました。
番組の中のジュリーは、本当に疲れ切っているように見え、不憫にすら思えました。ここまでの過酷なロケ、ここまでの覚悟を求められる企画だとは予想していなかったのではないでしょうか。しかし、番組終盤で見せた彼の表情は、明らかに現地の文化に馴染み、内面的な変化を遂げていました。その姿に、私は深い尊敬の念を抱きました。
その後、私の人生は激変します。ペトラ(岩)が使徒ペテロと同じ語源であることを知り、オリゲネスの思想に惹かれ、カッパドキアの教父たちへと関心がつながっていきました。それと同時に、あのドラマー夫妻はある新興宗教に入信し、私は私で「イメージは現実化する」という確信のもと、離婚、社会復帰、サラリーマンへの転職、運転免許の再取得、長子の誕生と、怒涛のような生活環境の変化を選び取っていきました。あえてここではその新興宗教の是非は問いませんが、あの番組を見た夜、私たちはそれぞれの運命の分岐点に立っていたのです。あの番組との出会いが、現在の私の活動における「開始点」であったことは疑いようのない事実です。
2 番組概要:1988年・春の伝説的特番
本作は、1988年(昭和63年)5月9日にテレビ朝日系列で放送された大型ドキュメンタリー番組です。ミュージシャン・沢田研二が「歌人(うたびと)」として、中東からトルコに至る天地創造の舞台を旅しました。過酷な自然と人々の営みに触れ、一人の表現者として化学反応を起こしていく様を捉えた貴重な映像記録です。
番組の基本データ
番組タイトル:ネイチャリング・スペシャル『疾風(かぜ)のアラビア 天地創造の大地をゆく』
放送日:1988年5月9日(月曜日)
出演:沢田研二
ナレーター:草野大悟
音楽:出口博(当時の沢田研二の音楽性である大人のロック・サウンドが全編に使用されています)
制作スタッフの詳細
※本クレジットは番組エンドロールおよび当時の放送資料に基づきます。
構成:出倉宏
撮影:中島光男、及田龍一
VE:小宮一浩、土橋博昭
音効:田中稔
MA:内海克己
編集:石井和男
技術協力:ビジョンユニバース
通訳:平田伊都子、シャー フ・アハマド、ナディム・カラム、石松正幸、谷水純
演出:渡辺正悟、佐藤謙治
プロデューサー:竹下修、斉藤裕彦(テレビ朝日)、石畑俊三郎(日本記録センター)
制作:オフィストゥーワン、日本記録センター
制作著作:テレビ朝日
当時の提供スポンサー
キヤノン、日産自動車、カルピス、出光興産、大正製薬、KDD、日本たばこ産業株式会社
3 当時の沢田研二のコンディションとビジュアル
バックバンド「CO-CoLO」期から、音楽劇「ACT」シリーズへと向かう重要な過渡期にありました。コンサートツアー『架空のオペラ』やアルバム制作で多忙を極め、表現者として脂の乗り切っていた時期のロケです。
歌人としてのスタイル
衣装はエスニックかつエレガントで、現地の風土に馴染むモードを取り入れていました。
砂よけのストールやターバンを使いこなし、アラビアのロレンスを彷彿とさせつつも、独自の沢田研二の世界を構築していました。
強い日差しの中でかけるサングラスと、過酷な旅路で伸びた無精髭が、ステージとは異なる男の色気を醸し出しています。
風に吹かれて佇む姿そのものが、長編のミュージックビデオのような芸術性を帯びていました。
ナレーションでは、都会の孤独に慣れた男が、原初の大地に放り出された際の戸惑いと発見が強調されています。
4 旅の始まり:メソポタミアからベドウィンの地へ
旅は旧約聖書・創世記の「はじめに神は天と地とを創造された」という一節とともに、地球の原風景から幕を開けます。
メソポタミアの湿地帯と文明の跡
イラク南部、ノアの方舟伝説を含む洪水神話圏に属するとされるマーシュランドを小舟(タラーダ)で進みます。
葦で作られた家(ムディフ)での生活や、紀元前3000年のシュメール文明の遺跡であるウルクの聖塔(ジッグラト)を訪問しました。
広大な砂漠の真ん中に残るレンガの山を見上げ、かつての巨大都市と文明の栄枯盛衰に静かに思いを馳せます。
ベドウィン部隊への入隊と洗礼
ヨルダンの砂漠地帯で、国境警備を担う遊牧民ベドウィン部隊を訪問しました。
沢田は現地の砂漠迷彩の軍服に着替え、頭には赤と白の格子模様のクーフィーヤを巻いて体験入隊します。
若者たちに混じっての整列や行進の訓練では、言葉の壁や慣れない動作に戸惑い、列を乱して照れ笑いを浮かべる人間味あふれる姿が見られました。
ワディ・ラムとペトラの幻想的な造形
ヨルダンのワディ・ラムでは、見渡す限りの赤い砂漠と巨岩がそびえる圧倒的な景観の中を旅します。
紀元前後に都市国家を築いたナバテア人の遺跡であり、映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の舞台としても名高いペトラ遺跡が登場します。
断崖の岩肌を精緻にくりぬいて作られた巨大な「エル・カズネ(宝物殿)」の姿は圧巻です。
日光によって色彩を変えるキャンディのような岩肌の美しさは、プログレッシブ・ロックの巨匠ロジャー・ディーンが描くアルバムジャケットの風景を彷彿とさせ、現実を忘れるような幻想性に満ちていました。
自然の驚異と人類の執念が融合したその光景は、天地創造の旅を象徴する重要な一場面となりました。
羊の屠殺と砂漠の晩餐
夜、ベドウィンの人々は来客への最大級の敬意として、羊を一頭屠(ほフ)ります。
テントの脇で、彼らの貴重な財産である羊が生きたまま吊るされ、その場で喉を切り、皮を剥いで解体される様子が、隠すことなくドキュメンタリーとして映し出されます。
これは残酷さではなく、生命を捧げて客をもてなすという彼らの神聖な流儀です。
その後、大鍋で豪快に煮込まれた羊肉が、山盛りのご飯(マンサフ)の上に載せられて運ばれてきます。
沢田は車座になり、彼らに倣って右手だけで肉をちぎり、ご飯を丸めて口に運びます。後にコンサートのMCなどで「匂いがすごかった」と回想されることもありましたが、番組内では異文化の洗礼を全身で受け止める姿が描かれました。
砂漠の哲学とラクダとの格闘
テント内での語らいで、隊員たちは「砂漠には何もないが、自由がある」「祖先から受け継いだ誇りがある」といった趣旨の言葉を語ります。
ラクダの騎乗訓練にも挑戦します。ラクダが立ち上がる際の激しい前後動に振り落とされそうになり、「怖い」と声を上げながらも必死にしがみつく様子が描かれます。隊員たちはその姿を笑いながらも温かく見守り、ラクダを操るための言葉やコツを伝授します。
5 カッパドキア:奇岩と地下都市の信仰
トルコの雪深いカッパドキアでは、自然の造形とそこに刻まれた信仰の歴史を紐解きます。
妖精の煙突と岩窟住居
火山活動が生んだキノコ型の奇岩群「妖精の煙突」を雪原の中から見上げ、自然の彫刻の不思議さに驚嘆します。
岩に穿たれた無数の穴に入り、かつてのキリスト教修道士たちが世俗を断って修行した場所を巡りました。
岩肌に残されたフレスコ画の聖人の顔が削り取られている様子を目の当たりにし、当時の宗教対立や偶像崇拝禁止の影響とも解釈される痕跡を直視します。
巨大地下都市の探検
デリンクユやカイマクルなどの巨大な地下都市へ潜入しました。
狭く低い通路を身を屈めて進み、地下深くに作られた教会や神学校、家畜の飼育場まで完備された空間に驚きます。
通路を塞ぐ巨大な円形の石扉(石臼状)を実際に触り、敵の侵入を防ぐ知恵を体験しました。
信仰を守るために一生を地下で過ごした人々の執念に、深い畏敬の念を抱きました。
沢田は「忍者屋敷のようだ」と漏らしながらも、最下層から通気孔を見上げ、その環境の過酷さに思いを馳せます。
メブラーナ教団の旋回舞踊:セマー
カッパドキアに近い宗教都市コンヤでは、イスラム神秘主義(スーフィズム)の一派であるメブラーナ教団の神秘儀式、旋回舞踊(セマー)を見学しました。
墓石を象徴する背の高い円錐形の帽子(シッケ)を被り、死装束を意味する純白の裾広がりな衣装(テンヌーレ)を纏った信者たちが、単調な旋律の中で回転を始めます。
やがて彼らは、右の手のひらを天に向け、左の手のひらを地に向ける独特の所作をとりながら、一心不乱に回り続けます。右の手は天(神)からの恵みを受け取り、左の手はそれを地上(人々)へと分け与えるという意味があります。
自身が宇宙の回転の一部となり、神と一体化しようとするその忘我のダンスを、沢田は息を呑んで見つめていました。その静謐かつ情熱的な空気は、これまでの旅で触れた土俗的な生命力とは異なる、高度に精神化された法悦(エクスタシー)の世界でした。
エルズルムの騎馬競技(ジリット)
東部アナトリアの雪深い町エルズルムでは、中央アジアの騎馬民族の伝統を受け継ぐスポーツ「ジリット(ジェリード)」を観戦します。
雪原の上を馬で疾走しながら、木の棒(槍に見立てたもの)を相手に投げつける勇壮で危険な競技です。
沢田は地元の長老や若者たちと交流し、厳しい冬を乗り越える男たちの熱気を感じ取ります。
6 旅の終着:エルサレムの笑顔とイスタンブール
旅のクライマックスは、聖地エルサレムでの体験です。
聖墳墓教会での「笑顔」
エルサレムの旧市街に入り、キリストが十字架にかけられたとされる聖墳墓教会を訪れます。
沢田は靴を脱ぎ、裸足になって祭壇へと進みました。
祭壇の下の狭い空間に潜り込み、十字架の穴に指を差し入れます。
その神聖な場から顔を上げた沢田は、静かに笑みを浮かべていました。それは感傷を超えた、何か吹っ切れたような、不可思議な安堵に満ちた笑顔に見えました。
ナレーションでは「砂漠のような確たるものがない世界では、人は何かにすがりたくなる」と語られ、沢田の笑顔は、過酷な旅の果てにたどり着いた一つの境地を象徴しているかのようでした。
イスタンブールへの帰還
ボスポラス海峡を渡る船の上で「異国の街なのに、なぜか帰ってきた気がする」と安堵の表情を見せました。
ガラタ橋のたもとで名物のサバサンドを頬張り、日常への帰還を実感します。
旅の総括
エンディングでは、自然に自分を預けて生きる人々のすごさが心に残ったと総括しました。
夕暮れに染まるイスタンブールの風景とともに、ジュリーの思索に満ちた旅は幕を閉じました。
7 補遺:カッパドキアの教父たちとオリゲネスの系譜
本記事で触れたカッパドキアの地には、キリスト教史上きわめて重要な「カッパドキアの三教父」が存在した。当時の私は知る由もなかったが、後の研究でその重要性を知ることになる。
カッパドキアの三教父
大バシレイオス(330–379):カイサリアの司教であり「修道生活の父」。
ナジアンゾスのグレゴリオス(329–390):バシレイオスの親友であり、卓越した「神学者」。
ニュッサのグレゴリオス(335–395):バシレイオスの実弟であり、神秘主義的な教義の支柱。
彼らの姉である聖マクリナも、彼らの信仰に多大な影響を与えた重要な存在である。
オリゲネスとの魂の師弟関係
彼らにとって、3世紀の神学者オリゲネスは「直接の面識はないが、神学的な師匠」というべき距離感にいた。時代的には100年ほど離れているが、三教父はオリゲネスの優れた神学を擁護しつつも、行き過ぎた理論については距離を置くという慎重な立場をとり、正統的なキリスト教教義を確立した。
8 結びに代えて:現代のカッパドキアで「異世界体験」を
1988年に沢田研二が辿ったあの過酷な旅路から数十年。現在、カッパドキアは世界中の旅人を惹きつけてやまない、比類なき「異世界体験」の聖地として君臨している。
かつて修道士たちが隠れ住んだ奇岩の洞窟は、今やラグジュアリーな「洞窟ホテル」へと姿を変えた。岩肌の温度を感じながら眠りにつく体験は、ここ以外では決して味わえないだろう。そして、夜明けとともに何百もの色鮮やかな気球が空を埋め尽くす光景は、まさにロジャー・ディーンが描いた幻想絵画そのものだ。
もしあなたが、日常の喧騒を離れ、人類の悠久の歴史と大自然の驚異に触れたいと願うなら、一度カッパドキアを訪れてみてはいかがだろうか。そこには、1988年のあの日、テレビ画面越しに私たちを震わせた「原初のパルス」が今も脈動している。
カッパドキアの旅を検討される方へ(参考リンク):
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