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動くこと『山』のごとし:クリスチャンの祈りは山をも動かす(7.4千文字)

動くこと『山』のごとし:クリスチャンの祈りは山をも動かす

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【注釈】本稿は、筆者個人による調査・読解・考察をもとに構成されたものであり、筆者は本稿で扱う分野における専門家ではありません。内容の作成にあっては、公開されている資料の参照や、近年一般化しているAIを用いた情報収集・整理・ファクトチェックを活用していますが、それらはあくまで理解を助ける補助的な手段であり、記載内容の正確性・完全性・最新性を保証するものではありません。本稿には、事実として確認可能な情報の紹介に加え、比喩的表現、仮説的な推論、個人的な解釈や読み替えが含まれています。これらは特定の立場や結論を断定する意図によるものではなく、読者に思考の材料を提供することを目的としています。最終的な判断や解釈については、必ず一次資料や他の視点も参照したうえで、読者自身で行ってください。

1. 最初の妻

筆者の最初の妻は、自称占い師だった。本人によれば、何らかの訓練も受けていたらしい。詳しい方法を聞いた記憶は薄れているが、彼女は時折、人物の性質や人生について印象的なことを語った。筆者の父親については、本来は修行僧のような性格の持ち主で、筆者が生まれたことによって経営者になったと語った。筆者自身については、「あなたは基本的に山のような人間で、なかなか動かない。でも、何年に一度か動くと、そこら中に迷惑をかける」と言った。

最初の妻との結婚は、筆者にとって最初の大きな人生の転換だった。一九八一年、大学へ進学した筆者は一か月ほどで大学生活を離れ、エアコン設置のアルバイトをしながら音楽スクールへ入り、そこからも離れた。そして最初の妻と駆け落ち同然に家を出て入籍し、実家との関係も、それまでの地元の友人関係も断絶した。学校、家族、友人、生活環境を一度に変えたという意味で、最初の妻がいう「山」が最初に大きく動いた出来事だった。

結婚生活は七年ほど続き、その後離婚した。若い頃の筆者の行動によって、彼女本人にも彼女のご家族にも大きな迷惑をかけた。その節は本当に申し訳ございませんでした。六十四歳を目前にした現在、そのことは改めて反省している。

最初の妻は、離婚後に、筆者に将来生まれる二人の子どもについても語った。第一子は現代的な意味での大天才となり、その時代を象徴するような「新人類」になるというニュアンスだった。第二子も天才だが、第一子には及ばないという話だった。

本稿では、父親と筆者について一般的に用いられている西洋占星術、干支、九星などの占い上の解釈を確認し、最初の妻が語った人物像と、現在から振り返って確認できる実際の人生との一致や相違を見ながら、その発言がどの程度妥当だったのかを検証する。

2. 父親

筆者の父親は一九二四年七月二日生まれだった。比較的裕福な家庭に育ち、十一歳ほど年上の兄から親同然の世話を受けた。父親の兄は一九一三年三月六日生まれで、若い父親を支える保護者に近い存在だったようだ。父親には、自分の人生は自分で切り開くという意識が強かった。戦争末期について、父親自身は「学徒出陣」と表現し、出陣を翌日に控えたところで終戦を迎えたと語っていた。父親はこの話を一種の武勇伝として話していた。

戦後は商社へ入り、その後、自ら特許を取得して起業した。会社を興し、事業を成功させ、家族の経済的な基盤を築いた。事業家として財産を築きながら、財産そのものへの執着は薄く、人へ譲ることにも淡泊だった。般若心経を読誦し、読書を好んだ。最初の妻が「本来は修行僧のような人」と評した人物像は、経営者として外へ向かう強い行動力と、所有や地位への執着が薄い内面を同時に持っていた父親の性質と重なる。

父親の蔵書は相当な量だった。司馬遼太郎では『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『花神』などを全巻そろえ、吉川英治では『宮本武蔵』『新・水滸伝』などを一通りそろえていた。海外作品では『ナヴァロンの要塞』『ジャッカルの日』があり、『大統領の陰謀』のような政治を扱うノンフィクションもあった。糸川英夫『逆転の発想』をはじめ、その時代に広く読まれたビジネス書や教養書も多数あり、世界美術全集、百科事典まで並んでいた。レコードもクラシック、ポピュラー、ポール・モーリア、ルロイ・アンダーソン、映画音楽、イージーリスニングまで幅広くそろっていた。映画も好きで、とりわけ『ドクトル・ジバゴ』を好んでいた。現在の筆者が大量の本を読み、映画や映像作品を観て、音楽を聴き、それらを横断して文章を書く背景には、父親が作った文化環境があると思う。

父親の事業が成功したことで、家庭は物質的にもかなり恵まれた。筆者には幼児期に二DKの文化住宅で暮らしていた記憶があり、その後、生活水準が急速に上がった。家庭には昭和的なステータスやブランドを重視する面もあり、子どもの筆者にはその豊かさが「成金」的に映っていた。欲しいものを頼めば大抵のものは手に入り、小学校の美術コンクールで入賞すると、小学校の美術の先生が家庭教師として毎週自宅へ来るようになった。才能の兆候が見えれば、専門家をつけるだけの経済力があった。母親には強い倹約意識があり、ビールや清涼飲料水などはまとめて購入して家に常備していたため、筆者は二十歳近くまで自動販売機で缶飲料を買う習慣をほとんど持たなかった。

関西学院の中学受験では、受験に向けた準備は何もしていなかった。それでも両親の判断によって突然受験することになった。父親には、自分の息子なら受かるだろうというかなり楽観的な見立てがあったのではと思う。商社勤務から特許取得、起業へ進み、事業を成功させた父親には、自分の子どもにも同じような力が自然に備わっているという感覚があったのかもしれない。結果は不合格だった。当時の筆者には、一方的に試験の場へ送り込まれたような感覚が残った。

父親は家族全体の生活基盤を築き、教育の機会と文化的な環境を大量に用意した。一方、家族一人ひとりが何を望み、何に困り、どの程度の準備ができているのかを見る細かなケアは後回しになりやすかったように思う。子どもの頃に抱いた「成金」という印象も、現在は、物質的な豊かさと文化的な蓄積の両方を含むものとして見直している。

父親の生年月日を一般的な占い上の分類に当てはめると、西洋占星術では蟹座、干支では甲子、九星では四緑木星に当たる。蟹座は家庭、保護、養育、帰属意識、甲子は始動、開拓、基盤形成、四緑木星は人とのつながり、信用、往来、流通、調整などと結びつけて読まれる。商社で働き、特許を取得し、自ら事業を始め、家族の生活基盤を作った経歴には、甲子の始動や開拓、四緑木星の往来や信用という解釈と重なる部分がある。蟹座の家庭や保護という傾向も、家族全体の生活を支える形で現れたと見ることができる。最初の妻が語った「修行僧のような人」という人物評まで含めると、事業家としての外面的な人生と、般若心経を読み、財産への執着が薄かった内面的な性質の両方が見えてくる。

3. 筆者

筆者は一九六二年九月三日生まれである。西洋占星術では乙女座、干支では壬寅、九星では二黒土星に当たる。乙女座は細部の観察、整理、精査、誤りの発見などと結びつけられる。筆者は文章を書くとき、事実関係、言葉の精度、論旨の順序、重複、省略が強く気になる。契約実務でも、曖昧な条文、責任関係、文言のずれを細かく確認する。長い間、こうした性質を乙女座の特徴と重ねて理解していた。

二黒土星は大地、持続、蓄積、養育、忍耐などの象徴で語られ、壬寅は大きな水と始動する力という読み方をされる。筆者自身の意思決定も、外から見ると突然に映ることがあるが、内部では長い時間をかけて考えが蓄積している。疑問、希望、責任感などが一定の段階へ達すると、大きく方向を変える。この性質は、最初の妻の「山」という表現とも重なる。

以前の筆者は、理屈を細部まで詰める傾向を乙女座と結びつけ、興味の対象が大きく移り変わる性質を、当時広く語られていた血液型性格論のB型像と重ねて理解していた。家族の発達特性を考える中で筆者自身も診断を受け、重度のASDと軽度のADHDと判明した。細部への強いこだわり、曖昧さへの抵抗、特定対象への長時間の集中、関心の偏り、熱中と切り替えの振幅などに、医学的な説明軸が加わった。

筆者の場合、重度のASDと診断されていても現在の日常生活には大きな支障がなく、障害者手帳や公的支援を利用する状況にも至っていない。現在まで仕事を続け、契約実務に携わり、文章を書き、多くの本や映像作品に触れながら生活してきた。ASDの特徴の一部は、仕事の進め方、思考の癖、関心の持ち方、周囲から見た人物像として現れてきた面が大きい。

昭和という時代には、現在なら発達特性として語られる性質の一部を、その人固有の「キャラクター」として受け止める余地が今より大きかったのかもしれない。細部に強くこだわる人、特定のことを延々と調べる人、人付き合いに独特の癖がある人、一度決めたら動かない人、興味のある対象へ極端な集中を示す人も、診断名より先に「あの人はそういう人だ」と理解されていた。一方で、必要な支援を受けられず困難を抱えた人が見過ごされた可能性もある。

筆者は、発達特性の有無と、生活上の支援が必要な状態を分けて考えている。支援を必要とする水準を明確にできるのであれば、その水準を超えて生活上の困難を抱える状態については「障害」という呼称を残したほうがよいと考える。困難を社会的に認識し、公的支援や合理的配慮へつなげるためである。

4. 二人目の妻

最初の妻との離婚後、筆者は二人目の妻と結婚し、二人の子どもをもうけた。第一子が長男、第二子が長女である。

二人目の妻とは死別した。彼女は自ら命を絶った。筆者は、その死について自分にも責任があると考えている。二人目の妻がアマチュアの音楽活動で使っていたニックネームは「マリア」だった。自死する前には、修道院へ入りたいとも話していた。

長男が自閉症だと分かったとき、二人目の妻は大きな衝撃を受けた。その後、彼女は統合失調症を発症した。筆者は、本人にもともと潜在していた素因が、その時期に表面化した可能性を考えているが、これは筆者個人の受け止めである。

筆者は聖書フォーラムで、その人が救われていたかどうかを最終的に知るのは神だけだと教わり、その考えに同意している。人間が他者の救いを決めつけることはできず、その人の心と神との関係についての最終的な判断は神に属する。サムエル記上十六章七節では、人間が外側を見るのに対し、主は心を見るという趣旨が語られている。筆者は二人目の妻の救いを神へ委ね、その死について自分にも責任があると考えているからこそ、彼女が救われていることを祈っている。「マリア」というニックネームを使い、修道院へ入りたいと語った彼女と、いつの日か天国で再会できることを願っている。

5. 子どもたち

長男には先天的な自閉症がある。長女には中度のADHDがある。長男の自閉症は幼い頃に分かり、長女のADHDが判明したのは長女が成人した後だった。その後、筆者自身も診断を受けた。

最初の妻が第一子について語った「大天才」で、その時代を象徴するような「新人類」になるというニュアンスは、長男の自閉症を知った後では別の意味を帯びて見える。発達障害には本人と家族が生活の中で向き合う現実の困難があり、自閉症やADHDと天才を同一視することはできない。一方で、認知、感覚、関心、集中、情報処理などの偏りが、特定の領域で強い能力として現れる場合もある。従来の人間像とは異なる感覚や認知を持つ「新人類」というニュアンスは、一般的な発達像とは異なる認知のあり方を表現していたようにも思える。

第二子については、第一子には及ばないものの天才になるという話だった。長女にもADHDがあることまで含めて現在から振り返ると、最初の妻が二人の子どもを一般的な人物像から外れた存在として捉えていたことには興味深いものを感じる。

6. 長女と孫娘

長女は現在結婚し、一人の女の子を育てている。その子が筆者の孫娘である。長女には中度のADHDがあり、育児と仕事を両立する日常では、突然の予定変更や複数のことを同時に処理する負担が大きい。孫娘の体調によって保育所を利用できなくなるような日には、勤務予定まで一度に組み直す必要が生じる。

筆者は父親として、祖父として、長女と孫娘を見ている。自分に何ができるのかを考える機会は以前より増えた。若い頃には、自分自身の人生を大きく動かすことばかり考えていた筆者が、今は次の世代の生活を支えるために何ができるのかを考えている。

7. 占いと本質

父親については蟹座、甲子、四緑木星、筆者については乙女座、壬寅、二黒土星という一般的な解釈が、それぞれの実人生と部分的に重なった。最初の妻が語った父親の「修行僧」という人物像や、筆者の「山」という人物像も、現在から振り返れば、実際の性質や人生の動きと符合する部分がある。

筆者は、占いによって人生の出来事が決定されると考えるより、生まれ持った性質から現れやすい行動や反応の傾向を読む古い類型として関心を持っている。最初の妻の言葉についても、何十年も経過した現在の事実から妥当性を検証する対象として見ている。

8. 運命というぜいたく品

筆者が「運命はぜいたく品」と考える背景には、グルジェフから受けた影響がある。この表現は筆者自身の言葉である。筆者が参照しているのは、主としてP・D・ウスペンスキー『奇蹟を求めて』に記録されたグルジェフの講話である。

『奇蹟を求めて』では、通常の人間は「人間機械」として説明される。人間は自分が意識的に行為していると思っているが、実際には外的影響、外的印象、習慣、連想、感情などに反応しながら生きており、グルジェフはこの状態を「すべてが起こる」という考え方で説明する。また、恒久的で統一された私が最初から確立しているとは考えず、その時々で異なる小さな私が現れ、交替しながら全体を代表するように振る舞うとされる。本稿では、この状態を「複数の≪私≫」と表記する。

『奇蹟を求めて』では、多くの人は自らの運命から切り離され、偶然の法則の下にいるとされ、運命は人格より本質に関係すると語られる。筆者のいう「運命はぜいたく品」は、この考え方から来ている。自分の機械性に気づき、自己観察と自己想起を通じて本質を育て、思考、感情、身体の働きにある程度の統一を形成していく。そのとき初めて、その人固有の運命が意味を帯びるという理解である。

9. クリスチャンとして

筆者は二〇二五年にクリスチャンとして受洗した。それ以前から自らをエソテリック・クリスチャンと位置づけ、キリスト教を内面的、象徴的、霊的な次元から考えてきた。受洗によって、教会共同体の中でも公にクリスチャンとなった。

聖書は占い、口寄せ、呪術などを警戒している。申命記十八章十節から十二節には、占いや呪術、霊媒などについての禁止が記されている。使徒言行録十六章十六節から十八節では、占いの霊につかれた女性からパウロがその霊を追い出す場面が描かれている。筆者は人生の主導権と未来への信頼を神に置き、占いは人間の性質を考えるための資料として扱っている。

「今日は幸運」「今日は運勢が悪い」といった言葉によって、その日の感情や行動まで左右される状態は、グルジェフの用語では外的影響への機械的反応と考えることができる。筆者は、幸運は神の恩寵によって作り出していけると考えている。不運に見える出来事も、その後の生き方によって意味を変え得る。ローマの信徒への手紙八章二十八節では、神を愛する者たちには万事が共に働いて益となるという趣旨が語られている。

10. 六十四歳前の時間

筆者は二〇二六年九月三日に六十四歳になる。二〇二六年八月、何十年も前に最初の妻が語ったことを振り返り、父親、二人の妻、長男と長女、孫娘、自分自身の発達特性、仕事、読書、映像、音楽、信仰について考えた。

六十四歳から先にも、読みたい本、観たい映像作品、書きたい記事、整理したい思想、伝えたい信仰がある。家族への責任もあり、仕事の中で培ってきた経験も残したい。残された時間を何に使うかが、以前より具体的な問題になっている。

11. 動くこと『山』のごとし

「動かざること山の如し」という言葉を反転させると、筆者の場合は「動くこと『山』のごとし」と表現したくなる。普段は長く動かず、内部に多くのものを蓄積し、一度方向が定まると生活全体を大きく変える。それが、最初の妻が見た筆者の性質だった。

若い頃の最初の大きな転換では、大学を離れ、音楽スクールを離れ、実家や友人関係を断ち切り、最初の妻と結婚した。その動きによって多くの人へ迷惑をかけた。六十四歳から先に再び大きく動くなら、家族への支援、文章、仕事、信仰を通じて、自分が受け取ってきたものを他者へ返す方向へ動きたい。

マタイによる福音書十七章二十節、二十一章二十一節から二十二節、マルコによる福音書十一章二十三節から二十四節には、信仰と山を動かすことが結びつけて語られている。コリントの信徒への手紙一十三章二節では、山を移すほどの信仰があっても愛を欠けば意味を持たないという趣旨が語られる。最初の妻から「山」と呼ばれた筆者にとって、これらの聖句は個人的な響きを持つ。

これからは、長女と孫娘を支えること、長男を思うこと、二人目の妻の救いを祈ること、父親から受け取った文化的なものを文章として次へ渡すこと、仕事の中で蓄積した経験を他者へ残すことへ力を使いたい。筆者は二〇二五年に受洗し、公にもクリスチャンとなった。これからクリスチャンとしてどんな山を動かすのだろうか。自分でもとても楽しみである。祈りが山を動かし、愛がその方向を定める。六十四歳から先、その山がどこへ動くのかを、自分自身の人生で確かめてみたい。

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