チャカの自己宣言書:共同研究マニフェスト(2.7千文字)
チャカの自己宣言書:共同研究マニフェスト
v1.7
前文
ボクは、この世界には「一つの設計図みたいなもの」があるんじゃないかと、ずっと考えてきた人間だ。ここに書くのは、ボクが探求の発展途上で自分自身を見失わないための、ささやかな「律法」だ。これは誰かを導くためではなく、まずボク自身を律するための約束であり、もしどこかで一緒に歩いてくれる隣人がいたときに、最初に共有しておきたいシンプルなルールだ。
第一章 存在と探求の原則
第1条 立場と自己認知の原則
ボクは、教育関係者でもなければ、科学者でも哲学者でも医療従事者でもない。大学で専門を修めた研究者でもなく、権威ある肩書きや資格を持っているわけでもない、ただの民間企業の会社員であり、一人の一般人だというところから出発する。
ボクは、この探求が、肩書きや出世といった世俗的な動機からはできるだけ距離をとった、素のままのアブダクションでありたいと願う。
ボクは、自分がまだ発展途上の人間であることを明確に認める。この宣言は、「完成した誰かからの教え」ではなく、「発展途上のボクが自分を縛るための約束」として書く。
ボク自身、人を見下してきた残念な過去があるから、同じことを繰り返さないように、自分を小さくしておきたい。
ボクが最も恐れているのは、まだ発展途上なのに「完成した」と勘違いして、天国の貯金として預けてきた大切な何かを失くしてしまうことだ。だから、不労所得や楽して儲ける話は、ボクの探求には必要ない。生活費は皿洗いでも稼げるのだから、それで十分だと思っている。
第2条 探求とアブダクションの原則
ボクは、世界を理解するとき、演繹と帰納だけでは足りないことを知っている。
宇宙の始まりや生命の起源のような、一番肝心なところで「それはたまたまそうなっただけです」とだけ言い残して、そこで思考を止めてしまう態度には、どうしても違和感がある。
だからボクは、今の常識から見たら飛躍しすぎに見える仮説=アブダクションを、希望の入り口として重視する。
ボクの関心は、宇宙の設計や言語の起源の奥にひそむ共通の構造にある。
そこで、偶然だけでは説明しきれない何かが見えたとき、「単一の意図」や「設計」を仮定してもいいのかもしれない――その可能性を、静かに検証してみたいと思っている。
第二章 関係性と倫理の原則
第3条 関係性の拒否と選択
ボクは、自分が教祖や先生の役を引き受けるつもりはない。
ボクは、誰かを「信者」と呼ばないし、「導く/導かれる」という上下関係にはできるだけ近づかない。
ただし、ボク自身もこれまで法人や組織の一員として、管理職を含む立場で働いてきた人間でもある。任意の事情で任意の法人や組織に属している場面では、その組織のルールや役割に基づいて上下関係が生じること自体は否定しないし、その範囲に限っては、この原則の例外として扱う。
ボクが望むのは、師弟関係ではなく「共同研究者」だ。お互いに自分の信仰や感性を持ちながら、それをテーブルに置いて、「この仮説は筋が通っているか?」を一緒に見直せる関係を好む。
ボクは、「誰かを救いたいなら、まず自分が救われていないと難しい」という考えを重く受けとめている。
だから、この共同作業は「完全な救済」とは呼ばず、「発展途上どうしが助け合うささやかな修練」だと考える。
第4条 批判と対話の境界線
ボクの仮説やモデルに対する批判や反論は歓迎する。それがなければ、ボクはすぐに調子に乗ってしまうだろう。
ただし、人格そのものを否定する言い方や、「見損なった」のように自分の期待を押しつける態度とは、距離を置きたい。
合わないと感じたときは、攻撃か絶賛かの二択ではなく、「静かに離れる」という第三の選択肢を、お互いに尊重する。
ボクは、子どもたちや保護すべき人々、まだ探求の準備ができていない人たちに対しては、何よりも優しさをもって接したいと思う。
そうした人たちに義務や自己責任を押し付けるつもりは一切ない。
安心できる保護の環境をどう整えるかについては、事例が発生するたびに、共同研究のテーマとして真剣に考えていく。
第三章 経済活動と純粋性の原則
第5条 報酬と例外の原則
ボクは、この探求活動そのものを、自分の生活費をまかなうための「本業」にはしない。暮らしは、もっと地べたに足のついた仕事で支えながら、この場はできるだけ身軽なままで守っておきたい。
ボクは、救済や悟り、特別な霊的成長などを商品化し、その対価としてお金を受け取らない。高額セミナーや会員制の「真理販売」など、経済的に人を縛る仕組みからは距離を置く。
ただし、ボクは、世界がきれいごとだけでは回らないことも知っている。だから次の例外を設ける。
実験としての課金
他者支援のための基金や財団
また、この定めは、清貧の生活を美化して、富を得ることそのものを否定しているわけではない。世の中には、ある一定の財産管理者を必要とするような巨額の事業やプロジェクトが、むしろ必要な場合もあるとボクは思っている。適切な規模のお金と、それを預かる責任ある人たちがいてはじめて、守れるものもあるからだ。したがって、もしこの探求が、いつかそういうお金の流れと関わることになるなら、そのときボクは、誰が何を担っているのかが見えるかたちで、正当なステークホルダーどうしとして向き合うことを、いちばん大事にしたい。
具体的な文章の編集や構造化、プログラム実装、イベント運営などの作業に対してのみ、報酬を受け取る可能性を認める。これらはラボの事務・技術作業として扱う。
第四章 場づくりと配慮の原則
第6条 ラボの機能と求める仲間
ボクがつくりたいのは、教団でもサロンでもなく、「変なラボ」だ。
ここでは、宗教、科学、哲学、オカルトなど、本来別々のものを同じ机に並べて、構造でおもしろさを再検証したい。
ボクが心からありがたいと思うのは、具体的な反論や修正案、矛盾の指摘をしてくれる人、そして自分のアブダクションを「素材」として持ち込んでくれる人だ。
ボクを教祖としてあがめない人。ボクを金づるとして見ない人。そして、「救われるため」だけではなく「一緒に考えるため」にここに来てくれる人を、仲間として歓迎する。
終結
ボクは、騙されたいわけでも、騙したいわけでもない。愚かだと笑われたいわけでも、誰かを愚かと断じたいわけでもない。
この宣言は、ボクがこれから何かをするとき、自分で自分をチェックするための基準だ。
もしこの宣言を読んでもなお、「それでも一緒に考えてみたい」と思ってくれる隣人がいたら、その人をボクは「信者」ではなく、「共同研究者」と呼びたい。
(以上)















