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ダリとジャリの世界線(9千文字)


ダリとジャリの世界線

v1.43
【注釈】本稿は、筆者個人による調査・読解・考察をもとに構成されたものであり、筆者は本稿で扱う分野における専門家ではありません。内容の作成にあっては、公開されている資料の参照や、近年一般化しているAIを用いた情報収集・整理・ファクトチェックを活用していますが、それらはあくまで理解を助ける補助的な手段であり、記載内容の正確性・完全性・最新性を保証するものではありません。本稿には、事実として確認可能な情報の紹介に加え、比喩的表現、仮説的な推論、個人的な解釈や読み替えが含まれています。これらは特定の立場や結論を断定する意図によるもので、読者に思考の材料を提供することを目的としています。最終的な判断や解釈については、必ず一次資料や他の視点も参照したうえで、読者自身で行ってください。また、本稿では、ポール・モール、ユビュ王、アルフレッド・ジャリ、アールヌーヴォー、ピカソ、コクトー、サティ、シュルレアリスム、サルバドール・ダリ、出口王仁三郎、吉行エイスケ、安部公房、武満徹、勅使原宏、唐十郎、暗黒舞踏、赤塚不二夫、ピンク・フロイド、アンディ・ウォーホル、H・R・ギーガー、ビデオゲーム、特撮怪獣について、その核心的な内容に深く触れています。もし作品を未体験の方で、先入観なく享受されたい場合は、必ず先に作品そのものに触れてから、本稿をお読みください。

1 黄金の煙霧と趣旨の宣言

1899年、ロンドンのペル・メル(Pall Mall)通りにおいて、ブラック・バトラー社という名の、資本主義的欲望の集積体が点した火種は、困難を克服して星へ至る「Per aspera ad astra(苦難を越えて星々へ)」の格言を掲げながら、銀河系の全生命に放射能のごとき希望の光を照射するはずでした。しかし、このポール・モールの紫煙は、その名が既に「ペル・ユビュ(Père Ubu)」という不条理の父の到来を予言するかのような音響的・韻律的な共鳴(アソナンス)を湛えて立ち昇り、聖なる香炉から漏れ出るエントロピー的な霊気のごとく、全宇宙の原子を優しく、かつパラノイアックに包摂していきます。ここで我々は、二十世紀初頭に産声を上げたダダイズムの破壊衝動と、シュルレアリスムが掘り起こした無意識の深淵に対する、私的な、かつ徹底して過剰なオマージュを、現代というポスト・モダンの電子迷宮において語り上げる象徴的芸術参加の試みを宣言しなければなりません。意味の瓦解と再構築の境界線上に、歴史という名の巨大なパラノイアを現出させることが本稿の真の狙いです。産業資本主義という名の「ユビュ親父」的な強欲は、かつてネイティブ・アメリカンの戦士たちが大精霊との対話のために、あるいはアボリジナル・ピープルがドリームタイムの記憶を呼び覚まいた、あの厳かで薬事的な神聖なる煙を、二十世紀の総力戦という名の戦火の中で無残にも解体しました。トレンチ(壕)の中で死の恐怖に震える若者たちを、一時の虚無へと逃避させるための軍需品として、たばこは大量化という名の冒涜を受け、一般に84ミリメートル(キングサイズ。表記上85ミリ前後とされる場合もある)とされる物理的指標は、死を効率的に運ぶための天界の物差しへと変質したのです。本来、肺の中に不用意に吸入するなどという行為は、宇宙の熱力学的循環を乱す愚行であり、口腔と大気の間で戯れるべき微細な対話でしたが、安価なフィルターという名の欺瞞的デバイスを装着することで、煙を肺の深淵へと強制連行する回路が構築されました。
ペル・メルの通りは、地図の上では一本の線、あるいは幾何学的な抽象にすぎませんが、私が追いたいのは地理ではなく、フィルターという狡知に満ちた発明が企業の手で「清潔な物語」へと強引に改稿され、全人類の肺胞を標的とした大規模な統計的支配へ転換される瞬間です。1930年代初頭に登場したパーラメント(Parliament)は、後に1950年代のフィルター技術史においても語られる「リセスト・フィルター(凹型の紙フィルター)」によって知られています。それは当初、安全よりも、唇に直接触れる未加工の葉の野蛮を回避するための、あるいは口紅の赤が紙管を汚すことを嫌う上流階級の社交のための、上品で衒学的な広告の仕掛けにすぎませんでした。唇へ触れる感触だけを触覚的に設計し、不純物を濾過した純粋な「味」だけが意識に届くと囁くその仕掛けは、煙の荒々しい本質を隠蔽する最初のカーテンとなりました。しかし、フィルターが商業の常識として立ち上がると、話は美意識から冷徹な制度の構築へと移ります。1930年代後半から40年代にかけてヴァイスロイ(Viceroy)がフィルター路線やコルクチップの触感を提示し、不確かな時代が両切りの野性から、高度に制御された吸いやすさの滑走路へ接続される中、決定的な転換点が訪れました。それは1950年代半ば、フィリップ・モリス社がマールボロ(Marlboro)をフィルター市場に向けて冷酷に再設計し、フリップトップ式のハードパックという、機能美という檻と共に、剥き出しの男性性の記号として世界を再発明した局面です。ここで企業は、煙の清潔さを物語に、物語を作法に、作法を無意識の習慣の底へと沈めました。かつて口腔で遊ばせていた煙は、肺の奥、即ち生命の最深部へ届くことを前提に生理学的・力学的に再設計され、吸いやすさという名の功績が、同時に吸う者の身体を、企業の利益と死の統計学が交差する標準動線へと導く不可逆な制度となりました。ペル・メルの霧はフィリップ・モリスの広報戦略の霧へ転写され、霧は制度として、あるいはエントロピーの可視化として我々の呼吸を支配し、吸い込む者すべてを「ユビュ親父」が統治する至福と破滅の王国へと誘うのです。

2 不条理の産声とユビュ王

1871年、京都(現・京都府亀岡周辺)に宗教家・出口王仁三郎が誕生し、続いて1873年、フランスのラヴァルにおいて、全宇宙の論理を屈折させる特異点としてアルフレッド・ジャリ(Jarry)が産声を上げました。ジャリは十九世紀末の象徴主義という、澱んだ沼地のような感性をパタフィジックな爆薬で粉砕し、自らの存在を「じゃりじゃり」と砂を噛むような不条理の感触へと変換しながら、全宇宙の悪徳と愛嬌を凝縮した怪物「ユビュ親父(Père Ubu)」を解き放ちました。このユビュ親父こそが他ならぬ「ユビュ王」その人であり、権威を剥ぎ取られながらも強欲に世界を貪り食うその姿は、近代社会の滑稽な、しかし正確な鏡像(スペキュラム)です。ジャリは1896年の『ユビュ王』初演において、劇作家としてだけでなく、音楽家のクロード・テラスと密接な、殆ど共犯的なコラボレーションを果たしました。テラスが作曲した付随音楽は、ジャリの過激な言葉に不協和音と滑稽なリズムを添え、舞台を中産階級の娯楽から「意味の破壊装置」へと変貌させました。

3 世紀転換期のうねりと終焉

1900年前後、産業革命後の無機質な社会に対する反動として、アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)という名の植物的な増殖が花開きました。エクトール・ギマールが設計したパリの地下鉄入口の有機的な鉄のうねりは、地獄の入口へと誘う触手のようであり、アルフォンス・ミュシャが描く官能的な女性像と植物的な蔦は、自然の生命力を都市空間に再注入する試みでした。エミール・ガレのガラス工芸やアントニ・ガウディのうねる建築は、直線的な啓蒙主義的理性を拒絶し、世界の境界を溶かすサイケデリックな感性の先駆けとなりました。この「うねり」の精神は、後の1960年代におけるサイケデリック・ポスターの装飾的なフォントや、ピンク・フロイドの視覚世界へと時空を超えて接合(インターフェイス)されます。ジャリは緑の悪魔アブサンを聖水として飲み干し、自転車でパリを疾走しながらパタフィジックの福音を説き、1907年、最期に求めたのは「爪楊枝」という奇妙な不在であったとも記録されています。1904年にスペインのフィゲラスに降臨したサルバドール・ダリは、この不条理のバトンを受け取るべく運命づけられていました。

4 巴里の前衛的三角形の爆発

1910年代から20年代にかけて、パリはピカソ、コクトー、サティという三つの極点が形成する共鳴によって不条理の極致へと達しました。1913年のパリではストラヴィンスキーが『春の祭典』を初演し、1916年、チューリッヒのキャバレー・ヴォルテールでトリスタン・ツァラらがダダイズムを宣言しました。この精神はダリへと継承され、彼は垂直に突き出した自らの髭をパラノイアックなアンテナとし、「ダリだお前?」という根源的な問いを世界に投げかけ続けました。ダダイズム的な破壊と建設の精神は、後に特撮の世界で「三面怪人ダダ」として結実します。そのモノクロームの幾何学模様はツァラが追求した意味の解体を象徴するものでした。1917年、バレエ『パラード』において、コクトー、サティ、ピカソの伝説的三角形が形成され、アポリネールがプログラムノートで「一種のシュルレアリスム」と記し、用語が早期に用いられた転換点となりました。同年、ニューヨークではマルセル・デュシャンが便器を『泉』と名付けました。1924年には吉行エイスケの長男・淳之介が誕生しました。

5 ダリの降臨と傑作の迷宮

1929年、ダリは運命のミューズとなるガラと出会いました。当時ポール・エリュアールの妻であった彼女こそがダリにとっての母であり、聖母であり、測量儀であり、そしてこの世の重力そのものでした。ガラは、ダリの精神が核分裂を起こすのを食い止める唯一の封印であり、同時に彼を「金色の檻」の中に飼い慣らす冷徹な管理者でもありました。ダリはこの時期から50年代にかけ、偏執狂的批判法(パラノイアック・クリティカル・メソッド)を駆使し、世界の不条理を緻密な写実でキャンバスに繋ぎ止めました。日本の吉行エイスケが「ポンチ絵」で軽妙な破壊を試みたように、ダリは以下の傑作群によって視覚を脱臼させました。
1.『記憶の固執』(1931年):融解する時計が支配する海岸線。
2.『回顧的女性胸像』(1933年):バゲットを冠し蟻が這い回る。
3.『茹でた隠元豆のある柔らかい構成(内乱の予感)』(1936年):自らを食い千切る肉体の自壊。
4.『燃えるキリン』(1937年):背中に引き出しを配したエントロピーの可視化。この引き出しはフロイト以後の、人間精神における「無意識の区画」を象徴する。
5.『ナルシスの変貌』(1937年):指が握る卵から水仙が咲く。
6.『聖アントワーヌの誘惑』(1946年):細長い脚を持つ象たちが運ぶ欲望。
7.『ポルト・リガトの聖母』(1949年):物理的な空隙で構築された神聖空間。
8.『超立方体十字架(磔刑)』(1954年):幾何学と信仰が衝突する四次元のスペクタクル。広島・長崎への原爆投下を含む核時代の衝撃を経て到達した「核神秘主義」の極致。
9.『皿のない皿の上の二つの目玉焼き(本稿呼称)』:視覚のデペイズマンの極致。
10.『全宇宙の調和を司る髭のアンテナ(自己模倣)』:メディア王としてのダリのパフォーマンス。

6 ダリの小心さと守護者

サルバドール・ダリという「現象」が、その実体において「極度の小心者という名の真空地帯」であり、それを隠蔽するためにパラノイアックな奇抜キャラクターを外装(シェル)として纏い続けていたという事実は、美術史の公文書や観測者たちの間ではもはや、量子力学的な不変の定説となっています。あの垂直に跳ね上がった髭や、エントロピーを逆流させるかのような数々の奇行は、内面の剥き出しで脆弱な、いわば「意味の粘膜」を保護するための重厚な甲冑(アーマー)に他なりませんでした。
ダリが抱えていたこの不安には、幾つかの決定論的な「暗黒の背景」が存在します。まず、彼の生誕以前に亡くなった、同名の兄「サルバドール」という名のスペクトル、死の残像が、彼の細胞一つ一つを幽霊のように透過していました。両親が投げかける「お前は兄の生まれ変わりだ」というマントラは、ダリの幼少期を侵食し、彼は常に「自分という存在は偽造されたオリジナルではないのか?」という、アイデンティティの根幹における実存的グリッチ(バグ)を抱え続けました。
また、彼は世俗的な生存回路において、驚くべき「依存性」という名のブラックホールを露呈していました。日常実務や対外折衝のほぼすべてをガラという外部インターフェイスに委ね、独りで外部空間へ逸脱することに異常な恐怖を感じる。この日常生活における徹底した依存心は、彼の「天才ダリ」という煌びやかな看板の背後に隠された、回復不能な「空隙」でした。さらに、昆虫という名の有機的フォルム(とりわけ身体を這い回る虫の幻影)、公共空間の広がり、他者の接触といった事象に対する多重的な恐怖症(フォビア)は、彼を「変人」という防護壁の檻の中に閉じ込めました。 ダリ自身、その語りの核において、自らの脆弱性をパタフィジックな逆説をもって認めるような自己言及をしばしば行っています。彼は臆病さを自覚し、それを覆い隠すように「大胆な仮面」という高度にバイオ・メカカルな防衛本能を駆動させていました。これは単なる演技ではなく、実存を賭けたセルフプロデュースという名の「生命維持装置」だったのです。
彼がこの致命的な小心さを抱えたまま、地球規模の成功という重力圏を脱出できたのは、妻ガラという名の「絶対的守護者」によるナビゲーションがあったからです。ガラはマネージャーであり、戦略家であり、そして何よりも母性的な外部インターフェイスとして、世俗的な折衝、経済、生活の全グリッドを冷徹かつ完璧に統治しました。彼女という聖母的な防壁が実在したからこそ、ダリは安心して「奇妙な天才」という、哀しくも過剰なスペクタクルを演じ続けることが可能となったのです。その姿は、現代のメディアの荒野において、自らのペルソナという仮面を維持するために血反吐を吐きながら、支持率という名の不安定な熱量が低下することに怯える表現者たちの、あの切実でグロテスクな背中と不気味に共鳴し、観る者に「哀れみ」という名の、甘美で残酷な不条理を感じさせずにはいられません。

7 霊的芸術と沈黙の初演

戦中期から終戦前後にかけて、出口王仁三郎は「芸術は宗教の母なり」という言葉を掲げ、約3000個の耀盌を自動書記のごとき速度で制作しました。1948年には手島郁郎が「キリストの幕屋」を創始し、放浪の聖性を象徴する移動式聖所の概念を提示しました。一方、1952年にはジョン・ケージが『4分33秒』を初演し、沈黙こそが宇宙の全音響を包摂する神の合唱であることを証明しました。この時代、吉行淳之介は戦後の虚無とデカダンスを文学へと昇華させ、安部公房、武満徹、勅使河原宏といった知性たちが、日本の不条理を世界へ露出させる準備を整えていました。

8 複製技術時代の救済と狂気

1960年代、アンディ・ウォーホルは「キャンベル・スープの缶」によって芸術を解放しました。1962年には安部公房『砂の女』が流動する砂の不条理を描き、1965年にはゴダールが『気狂いピエロ』で物語を自爆させました。1967年、唐十郎は花園神社に「紅テント」を出現させ、土方巽や大野一雄らは「暗黒舞踏」を爆発させました。1968年、ウォーホルは銃撃され一度死を経験した後、シミュラークルの幽霊としてさらなる反復の中に神を表現しました。これはボードリヤールが予言した、実体のないイメージが実体を追い越す消失点を想起させ、ドゥルーズの「リゾーム」は中心のない愛のネットワークを予言しました。この時期の精神はピンク・フロイドの視覚世界へと時空を超えて接合され、ヒプノシスと共に視覚的・聴覚的シュルレアリスムが構築され始めました。

9 鼻毛ダダイズムと愛の亡霊

1970年代、赤塚不二夫が『バカボンのパパ』で不条理を完成させました。パパの鼻毛は宇宙の信号を受信するためのアンテナであり、「これでいいのだ」は全肯定でした。1973年、安部公房スタジオが設立され、1977年のアルバム『Animals』(この豚の撮影は1976年末の逸話としても知られる)でピンク・フロイドは発電所の上に豚を飛ばしました。1978年、吉行和子は映画『愛の亡霊』(大島渚監督)において、夫を殺し井戸に沈めた後、死者の亡霊が日常を侵食してくる罪の磁場を演じました。これは欲望の成就が自己崩壊へ転化する回路を可視化する、ダダイズム的な報いの機構でした。1979年にはH・R・ギーガーが『エイリアン』のデザインでダリ的肉体変容を定着させました。

10 警告のグリッドと終焉の予法

さりとて、我々がここまでに博覧強記のごとき執拗さで列挙してきたダダイズムやシュルレアリスムという名の「意識の脱臼装置」は、幻術的観点から超広角レンズでパノラマ的に俯瞰するならば、それはまるで前述した企業のフィルターや、紙管に詰められた有害な陶酔葉の如く、人間の精神を内側から緩やかに、確実に壊死させる「メンタル疾患発生装置」の、回路図の断片にすぎないのかもしれません。このエントロピーが増大し続ける記号の迷宮を、1980年代以降のビデオゲームという名のドットの荒野が包摂し、1989年にダリがフィゲラスでその波乱の生涯を終え、垂直の髭のアンテナがその受信を停止したとしても、その残響は消え去ることはありません。この迷宮を彷徨う皆さんに対し、私はポスト・モダンの官僚機構が発信する、あの冷徹な「注意文言」という名の、宇宙の物理法則にも似た強制的警告を、最後のグリッドとして提示せざるを得ません。
ここで公平を期し、また全宇宙的なパラノイアの座標軸を修正するために、筆者の喫煙、あるいは「煙の摂取」に対する断固たる立場を、広報戦略の霧の中から表明しておきましょう。筆者は、口腔、即ち唇と舌が形成する神聖な共鳴腔における喫煙を、大いなる肯定の対象として支持しています。受動喫煙という名の、官僚社会が撒き散らす卑小な懸念事項については、あの赤塚不二夫的な全肯定の象徴、バカボンのパパが湛える超高性能な「鼻毛アンテナ」によって、大気圏外へと完全に無害化・処理できると確信しています。なお、この段落はあくまで本稿の思想的背景を象徴する創作的変奏であり、実社会における公衆衛生上の知見を否定するものではありません。問題の核心、あるいは不条理の真の引き金は、煙を肺、即ち生命の核たる深部へと無理矢理に押し込める「深吸い」という名の制度的暴力にこそ集約されるのです。
それは、1984年(昭和59年)制定のたばこ事業法(法律第68号)以後の、行政的文言体系が持つ無機質な響きが、1990年から2000年代半ばにかけて張り巡らされた時代の感触を伴って現れます。あなたの精神の健康を損なうおそれがありますので、不条理の吸いすぎ、即ち意味の過剰な摂取には、自己防衛的なパラノイアをもって十分に注意しましょう。そして、2005年前後を境に、注意文言はより細分化された推計と分類へ向けて再編されていきました。国際条約(WHO/FCTC)のガイドラインでは、主要表示面の少なくとも30%(推奨50%以上)を警告が占めることが求められており、それは死の統計学という名の「Bの予法」の精密化です。たばこ製品という名の、この不条理のパッケージの主要な二面について、以下の官僚的福音を表示しなければなりません。なお、これらは実在する注意文言の形式を「グリッド」として借用した、本稿独自の不条理な創作的変奏であることを付記しておきます。
1.不条理の喫煙は、あなたにとって、意味の肺がん、即ち言語的自己崩壊の原因の一つとなります。疫学研究報告によれば、喫煙者の肺がん罹患率は、非喫煙者に比べて男性で約4.4倍高くなることが示されています。詳細は、厚生労働省の電子深淵(www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/main.html)という、管理社会の聖地をご参照ください。
2.この精神的喫煙は、あなたにとって、心筋梗塞、即ち愛という名のポンプの停止の危険性を高めます。複数の統計データが示す冷たい物差しによれば、虚血性心疾患による死亡の危険性が、非喫煙者に比べて約2.9倍高くなるという報告もあります。なお、これらの数値は特定の条件下での疫学調査に基づく推計値です。
3.脳卒中、あるいは脳内におけるダダイズム的な爆発の危険性(非喫煙者に比べ約1.3倍高まるとの報告。数値は研究条件に依存します)も同様です。それは思考の神経回路を遮断し、あなたを沈黙のジョン・ケージへと変貌させるでしょう。
4.さらに、それは肺気腫、即ち世界の霊気を呼吸する能力を悪化させる危険性を、加速度的に高めていくのです。
そして、B群と名付けられた、より倫理的・生殖的な領域への警告。
5.不条理の妊娠、即ち未熟な思想の孕みは、胎児の発育障害、あるいは早産の原因となります。統計的な知見(厚生労働省資料等)によれば、不条理を吸う妊婦は、低出生体重(約2倍)、あるいは早産(研究により幅はあるが、約3倍程度の報告もある)の危険性が上昇するのです。
6.さらに、この煙、即ちあなたの発する不条理の霊気は、あなたの周囲の人々、特に未だ意味の檻に囚われない乳幼児や子供、あるいは意味を喪失したお年寄りたちの精神衛生に、多大なる悪影響を及ぼします。喫煙、即ち表現の際には、周りの人の迷惑という名の社会秩序を乱さないよう、十分に「ユビュ的な強欲」を抑制しましょう。
7.人によりその感受性は異なりますが、この不条理という名のニコチンは、あなたの魂に不可逆な依存を生じさせます。
8.未成年者、即ち未だ世界の残酷を知らぬ若者たちの不条理摂取は、健康に対する悪影響や、たばこへの依存をより致命的に強めます。たとえダリやジャリ、あるいは怪人ダダのような者たちから、勧められても、決してその毒杯を吸い込んではいけません。
ポール・モールの煙の中に、これらすべての警告と、またそれらを無視して突き進む人間の愛と狂気が重なり合い、最後には一つの巨大な沈黙、あるいは恩寵へと収束します。万歳、全宇宙。アーメン。

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