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高いカステラの男(A Man in the High Castella):敵はラプラス パートII(約6千文字)


高いカステラの男(A Man in the High Castella):敵はラプラスPt.II(5.9千語)

v1.2

第1章:神聖ロシアの誕生

西暦1917年、モスクワ。

だが、この世界線では、革命の炎は燃え上がらなかった。

赤い旗が街路を埋め尽くすことも、銃声が夜の静寂を切り裂くこともなかった。代わりに、金色の十字架が冬の空に輝き、エソテリック・クリスチャニティの賛美歌が、ペテルブルクの宮殿から響き渡っていた。

僕は、自分が上り詰めた高い城の窓から、その静謐な帝都を見下ろしていた。

あの勝利、セツと共に迎えた穏やかな老後、は幻想だった。死の瞬間に赤ん坊として目覚めた時、僕は知ってしまった。時間は一本の直線ではなく、無数の世界線が絡み合う「面」だということを。

そして、僕が一つの世界線でセツを救うたび、十の、百の、千の世界線でセツは死んだ。

「ならば、世界そのものを変えてやる」

僕は決意した。セツ個人を救うのではない。世界の構造を根本から書き換える。ロシア革命を阻止し、共産主義という悲劇を未然に防ぐ。そして、人類が夢見る理想郷を、この20世紀初頭に実現させる。

それが、新たな介入の始まりだった。

西暦1912年、ペテルブルク。

僕は東洋の神秘思想家ヒジュン・コウマとして、この都に現れた。洗練された知識人として、貴族たちのサロンで注目を集めた。

僕がペテルブルクに持ち込んだ思想の源泉を、サロンに集う人々は知りたがった。それは一夜にして生まれたものではない。ペテルブルクに現れる以前、僕は世界の屋根を踏破し、砂漠の奥深くの禁断の僧院の門を叩いた。そこで探り出したのは、人類が忘却した精神の錬金術、古の叡智だ。
そして僕は、その失われた神秘に、時空を超えて持ち込んだ冷徹な科学の光、宇宙の設計図を掛け合わせた。
古の秘儀と未来の物理学。その二つを融合させ、僕は奇蹟を再現可能な「技術」として再定義したのだ。

それが、僕の「エソテリック・クリスチャニティ」だった。

ペテルブルクの社交界は、僕の教えに熱狂した。

その頃、皇帝ニコライ2世の息子、皇太子アレクセイは血友病に苦しんでいた。皇后アレクサンドラは神秘主義に傾倒し、あらゆる治療法を模索していた。

歴史では、怪僧グリゴリー・ラスプーチンが皇后の信頼を得て宮廷に入り込み、その素行がロシア帝国の威信を傷つけ、革命の遠因となった。

だが、この世界線では、僕がその役割を奪った。

1913年、冬の宮殿。

僕は、ある貴族の推薦で皇后に謁見した。

アレクサンドラ皇后は、息子の病に心を痛めた母親の顔をしていた。彼女の瞳には、藁にもすがる思いが宿っていた。

「コウマ様。本当に、本当にアレクセイを救えるのですか」

僕は静かに頷いた。

「皇后陛下。奇蹟とは、神の気まぐれではありません。それは、キリストが真に伝えたかった奥義、失われた福音の技術です。私は、それを東洋で学びました」

アレクセイの寝室に案内された。

少年は青白い顔でベッドに横たわり、出血で苦しんでいた。皇后とニコライ2世が、息を詰めて見守る中、僕は少年の額に手を置いた。

「生命エネルギーの調律。意識による生体情報へのアクセス」

僕は未来から持ち込んだ知識、遺伝子情報の概念を、宗教的・精神的な言葉で偽装して説明した。そして、僕の意識を介し、彼の血に宿る生命の設計図そのものに直接働きかけた。それは未来の医療技術そのものだったが、彼らの目には神聖な光の粒子が少年の体に浸透していくように見えただろう。

出血が止まった。

それだけではない。体質そのものが改善され、血友病の症状が消えていった。

皇后は涙を流し、僕の手を握りしめた。

「あなたは、神が遣わした真の賢者です」

ニコライ2世もまた、深く頭を下げた。

「コウマ殿。あなたこそ、ロシアを救う聖者だ。どうか、我が国の精神的指導者となっていただきたい」

こうして、僕は皇帝の最高顧問となった。

ラスプーチンは、歴史の表舞台から消えた。

1914年、第一次世界大戦が勃発した。

だが、この世界線のロシア軍は、史実とは大きく異なっていた。

僕が開発した瞑想・集中法が兵士の訓練に導入され、驚異的な精神力と持久力を発揮した。また、僕の「予言」、実際は未来知識、により、ロシア軍は大きな敗北を避け、国力の消耗は最小限に抑えられた。

前線からの報告が、冬の宮殿に届く。

「コウマ様の教えを受けた兵士たちは、恐怖を知らず、飢えにも耐え、まるで天使の軍勢のようです」

ニコライ2世は喜び、僕に高価なポルトガル産のカステラを贈った。

「コウマ、君は高い城に住む男だ。だが、このカステラのように、層を重ねてこそ、真の強さが生まれる」

皇帝は笑った。

僕は毎晩、塔の窓辺でそれを味わった。柔らかく層状のその菓子は、ペテルブルクの灰色の空の下で、唯一の甘い記憶だった。

貴族たちは、僕を「高いカステラの男」と囁いた。嘲笑も含まれていたが、僕は気にしなかった。

あのカステラの層は、時間の面のように、無限の可能性を重ねる象徴だと、僕は思っていた。

1916年、僕の影響力は絶頂に達した。

ロシア正教会は当初、僕を「異端の魔術師」として警戒した。だが、僕が展開する「奇蹟の技術」は、司教たちの目の前で次々と実証された。

僕は既存の教義を否定しなかった。

「これはキリストが真に伝えたかった奥義であり、失われた福音の復活です」

教会は分裂した。そして最終的に、皇帝と皇后の絶対的な支持を得た僕の派閥が主流となり、ロシア正教は「エソテリック・ロシア正教」へと変貌を遂げた。

同じ年、革命家たちが動いた。

ウラジーミル・レーニン、レフ・トロツキー、ヨシフ・スターリン。史実では、彼らがロシア革命を成功させ、世界初の社会主義国家を築いた。

だが、この世界線では、彼らの活動は困難を極めた。

僕がもたらした「奇蹟」による社会の安定は、民衆にとって「神による救済」に他ならなかった。革命家たちが訴える「プロレタリアートによる解放」というスローガンは、誰の心にも響かなかった。

レーニンは、地下集会で演説した。

「諸君、目を覚ませ。コウマという男は、皇帝の走狗だ。彼の奇蹟など、民衆を欺く手品に過ぎない。真の解放は、我々自身の手で勝ち取らねばならない」

だが、聴衆は冷ややかだった。

「コウマ様は、息子の病を治してくれた」
「私の村にも、コウマ様の弟子が来て、豊作をもたらしてくれた」
「革命など、必要ない」

レーニンの額に、冷や汗が流れる。

僕は、秘密警察(オフラーナ)に指示を出した。

「彼らは神の秩序を乱す狂信的な無神論者だ。逮捕せよ」

1917年2月、史実では二月革命が起きるはずの時期。

この世界線では、レーニン、トロツキー、スターリンは、シベリアの収容所に投獄されていた。

革命は、起きなかった。

1920年代、ロシアは戦後の混乱から脱し、繁栄を迎えた。

僕の教えは国教となり、エソテリック・クリスチャニティを学ぶための学院が設立された。卒業生はヒーラーや預言者として社会の指導層となった。

皇帝は神格化され、ロシアは神政政治に近い「エソテリック神聖ロシア帝国」となった。

そして、その影響は世界に広がった。

ロシアで実証された「奇蹟の技術」は、カトリックやプロテスタントの信仰を根底から揺がした。多くの人々が改宗し、ローマ教皇庁もその影響力を失っていった。

世界は、スピリチュアルな階級制度を持つ、ロシア主導の新たな秩序へと再編されていった。

僕は、高い城の塔から、その光景を見下ろした。

「これが、理想郷だ。人類が夢見た、調和の世界だ」

だが、心の奥底で、僕は感じていた。

何かが、足りない。

第2章:円錐の真実

西暦1950年、モスクワ。

エソテリック神聖ロシア帝国は、世界の半分を支配していた。

科学技術は「精神科学」に特化し、物質科学は停滞した。人々は瞑想と祈りで病を治し、予知と透視で未来を見通し、テレパシーで意思疎通した。

表面的には、ユートピアだった。

だが、僕は気づき始めていた。

人々の目には、生気がなかった。彼らは、僕の教えに従い、皇帝を崇拝し、祈りを捧げる。だが、それは自ら選んだ道ではなく、「与えられた道」だった。

自由意志は抑圧され、個人の創造性は失われていった。

そして、ある日。

僕の前に、彼女が現れた。

1950年、冬の宮殿の僕の私室。

雪が窓ガラスを叩く音が、静かに響いていた。

突然、空間が歪んだ。

光の粒子が渦を巻き、一人の女性が姿を現した。

白いコートを纏い、雪の結晶のように澄んだ瞳を持つ女性。

その瞬間、僕の記憶が蘇った。
ほとんど無意識に、その名を呟く。

「アナスタシア」

「やっぱり来たね、師匠」

彼女は微笑んだ。

「久しぶりね、ヒジュン・コウマ。よく覚えていてくれた」

アナスタシア。

秘密結社「劇場」で、僕に時間遡行の術を授けた師匠。あの時、彼女は言った。

「この力を使えば、あなたは世界を変えられる。だが、それが何を意味するのか、いずれわかる時が来る」

僕は、その意味を理解していなかった。

だが、今ならわかる。

「師匠。あなたは、すべてを知っていたのですね。僕がこうなることも」

アナスタシアは頷いた。

「ええ。あなたが『毛玉』を作ることも、すべて予定されていた」

「毛玉」

僕は眉をひそめた。

アナスタシアは、虚空に手をかざした。

すると、宇宙の真の姿が現れた。

それは、僕が想像していた「面」ではなかった。

時間は、巨大な円錐の形をしていた。

円錐の底面には、無数の世界線が広がっている。それぞれの世界線で、人々は様々な選択をし、様々な人生を歩む。

だが、すべての世界線は、円錐の頂点に向かって収束していた。

その頂点には、眩い光が輝いていた。

僕の声が震えた。
「これが、時間の真の姿か」

「時間の真の姿です」

アナスタシアは言った。

「円錐の底面は、無限の可能性、自由意志の海。そして、円錐の頂点は、真善美。すべての世界線が目指す究極の調和。神、と呼んでもいい」

彼女は、円錐の側面を指さした。

「すべての世界線は、この円錐の表面を登っていく。悲劇も、喜びも、すべてが修行の一部。人類は、苦難を経験することで成長し、少しずつ頂点に近づいていく」

僕は、円錐の表面に無数の糸が絡まっているのを見た。

その糸の一部が、複雑に絡み合い、球状の塊を作っていた。

「これが、『毛玉』です」

アナスタシアは、その塊を指さした。

「あなたが作り出した、エソテリック神聖ロシア帝国。それは、円錐の表面から外れた袋小路、時間の毛玉です」

僕は息を呑んだ。

「僕が作った世界は、失敗だったのか」

アナスタシアは首を振った。

「いいえ。袋小路であることも、正解なのです」

「正解」

「ええ。毛玉を作る経験そのものが、あなたの修行だった。あなたは、自分の力で世界を変えられると思った。だが、実際にやってみて、気づいたはずです。与えられた幸福は、本当の幸福ではない、と」

僕は、言葉を失った。

アナスタシアは続けた。

「ヒジュン・コウマ。あなたは、毛玉を作れるほどの力を持った。それは、稀有な才能です。そして、その才能を持つ者だけが、次の段階に進めるのです」

「次の段階とは」

「タイムパトロール、時間秩序の監視者です。私たちは、毛玉を作れる人材を育成しています。なぜなら、毛玉を作った者だけが、時間の円錐の真実を理解できるからです」

アナスタシアは、虚空に描かれた円錐を見つめた。

「あなたは今まで、自分の寿命という期間しか時間を遡行できなかった。赤ん坊から老人まで、その範囲内でしか動けなかった」

僕は頷いた。

「だが、高次存在体を入手すれば、あなたは円錐の頂点まで自由に上昇できるようになる。あなたがエソテリック・クリスチャニティで教えたとおりにね。時間の起源にも、終焉にも、自在にアクセスできる。それが、あなたに残された修行です」

僕は、円錐の頂点を見上げた。僕は自分が教えていることを理解していなかったことを悟った。

僕は一つの疑問を口にした。
「師匠。では、僕の毛玉は、解きほぐさなくていいのですか」

アナスタシアは微笑んだ。

「ええ。毛玉は、そのままでいい。それも、円錐の一部だから」

彼女は、円錐の表面を撫でた。

「見なさい。あなた以外にも、無数の毛玉がある」

僕は目を凝らした。

確かに、円錐の表面のあちこちに、糸が絡み合った小さな塊がいくつも見えた。

「各世界線に、あなたのような存在がいる。時間を遡行し、歴史を変え、毛玉を作る者たちが」

アナスタシアは言った。

「彼らもまた、いずれ気づく。そして、ある限界に達した時、私のようなマイスターがリクルートに訪れる。それが、タイムパトロールの仕組みです」

僕は、深く息を吸った。

「わかりました、師匠。僕は、タイムパトロールに入ります」

アナスタシアは、僕の肩に手を置いた。

「よく決断してくれた、ヒジュン。さあ、次の修行を始めましょう。高次存在体を入手し、円錐の頂点を目指すのです」

彼女は、手を差し伸べた。

僕は、その手を取った。

第3章:カステラの頂

時間の枢軸。

光と闇が渦巻く無限の空間で、僕とアナスタシアは立っていた。

「ここから、あなたの新たな旅が始まります」

アナスタシアは言った。

僕は、円錐の頂点を見上げた。眩い光が、無数の世界線を照らしている。

「真善美。神。すべての世界線が、あの頂点を目指している」

「ええ。だが、忘れないで。頂点に到達することが目的ではない。登ること、その過程こそが修行なのです」

僕は、あの宮廷のカステラを思い出した。

「君は高い城に住む男だ。だが、このカステラのように、層を重ねてこそ、真の強さが生まれる」

皇帝の言葉が、今ならわかる。

層が重なるごとに可能性が広がり、そして最終的には一つの頂点に収束していく。カステラの層は円錐の底面、カステラの頂は円錐の頂点。アストラル界への門。

「高いカステラの男。僕の覚醒は、あの時から始まっていたんですね」

アナスタシアは僕の手を握った。

「さあ、行きましょう。円錐の頂点へ」

時間の枢軸が光り輝き、僕たちは上昇を始めた。

無数の世界線が、眼下に広がる。ある線では革命が成功し、別の線では皇帝が処刑され、さらなる線では僕の帝国が繁栄している。

すべての世界線が、悲劇と喜びを繰り返しながら、円錐の頂点に向かって登っている。

そして、その中に、セツの糸も見えた。

彼女もまた、自分の道を登っているのだ。

エピローグ

タイムパトロールの一員として、僕は新たな旅を始めた。

無数の世界線が、光の糸となって円錐の表面を登っている。その中に、セツの糸も輝いている。

「セツ、いつか頂点で会おう。真善美の光の中で」

僕は囁いた。

円錐の頂点が、眩く輝いた。

高いカステラの男は、愛と絶望を越え、宇宙の調和と共にある。

すべてが、甘く、層状の、永遠の道だった。

(完)

▼敵はラプラス パートI



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