働くってなに?
ここ数ヶ月何も予定を入れない休みの日を作るようにして、活動する日を調整していた。
それが功を奏して、ここ1ヶ月寝込む日がなかった。
ついこの間、3年ぶりくらいにシナリオを書き始めた。
大したきっかけも理由もなかった。
書き始めたら、面白くて夢中になって書いた。
謎に早起きができるようになったので作業時間も確保できた。
疲れが出ないように、ちゃんと休む時間も取るように、調整もしていた。
でも今日久しぶりにだめだめだった。
アルバイトを休みにしてもらい、一日中休んだ。
雨続きだった外が晴れたので、すこしだけ散歩に出て、だんだんましになったが、久しぶりに “凌いだ” といった日になった。
分かったことは、やっぱりまだ脳のフル回転はむずかしいということ。
それがたとえおもしろくって、やりたいと思ったことでも。
それが分かったのは、やってみたからなので、大きな収穫だ。
ときどき、新しい仕事を調べては、もう働けるかもしれないと思っていたけれど、まだだと分かった。
もうすぐ27歳になる。
想像していた27歳とは全然違う。
ずっと前から自分で働いて稼いで、一人暮らしの自分の居場所がはやくほしかった。
仕事を労働だとか思ったことがなかった。
何かをすることでお金がもらえるシステムがなければ、ご飯も食べられなければ、自分の家さえも借りられない。木材を買って、のこぎりで切って、土地の権利をもらい、新たに家を作るのは私には難しいし、仕事をしていればそれで自分のできることが増えるのだから、働くことはいいことだと思っていた。
それは高校生の時にタリーズのアルバイトを始めた頃、エリアマネージャーだった女性の社員さんがいっていた言葉が根を張っていると思う。
「たかがバイトだと思って適当にやるのもいいけど、されどバイトで、自分の貴重な時間を使っているとも言える。同じお給料でも自分がどういう目線をもって、どう働くかで、自分の人生の時間が変わるんだよ」みたいなこと。
そこのタリーズのアルバイトは、だからといって厳しくて窮屈とでははないけれど、基本的にちゃんとやろうとする人しか残っていかなかった。
アルバイトのほとんどが学生だったが、終わった後に飲みに行くというので、誘ってくれる同期もいたが、だいたい断っていた。それでも「来ない人」とカテゴライズせずに、タイミングがあれば誘ってくれた。気が向いたら、ご飯も一緒に食べに行ったし、業務時間は楽しく話をしていた。
忙しくなれば協力して、戦友的な感覚で乗り切った。みんなに助けてもらうことばかりだったので、まわりはどう思っていたか分からないが、いい人たちに恵まれ、居心地が良かった。
採用してくれた店長も、エリアマネージャーになってから全然会わなくなったが、いつの日か「見てくれている人は必ずいる」と言ってくれたその言葉を、私は忘れなかったし、だから学生生活で踏ん張れた瞬間もたくさんあった。
学生生活をしながら、課題の映画制作をして、自主制作もして、恋愛もし、友達とも遊んで、そうやってアルバイトもしていた。そこそこ忙しく暮らしていた。
だから社会でもやっていけると思っていたんだけど、そう簡単にはいかなかった。
判断がいつだって遅い、何事に対しても、やめるのが遅い。
やめるときゃすぱっと諦めたほうががいいときもある。でもその諦めの悪さが、いまの私を生かしてもいる。
生きていれば、なんでもいい。
どうせいつか、大丈夫になって、なんとかなんとなく生きていけるから。
だれかが「世間はそんなに甘くない」とか「甘えている」とか言うかもしれない。そういう幻聴が、聞こえてきてしまうかもしれない。
自分でもそれに対する言い訳を、自分の中で反芻させ、ずっと過去にしがみついてしまうかもしれない。
でもそれもいつか飽きてくる。
いつかその言葉が本当にあるものか、自分の中にあるものかが分かる時がくるだろうと思う。
自分の中にあるものなら、なくせる方向へいけたらいい。
本当にそんなことを言ってくる人がいたらそれは、私の人生など本当の意味で気にも留めない人たちだ。
大切な人のことばに耳を傾けることで、精一杯でいい。
まだまだ分からないことばかりだ。
今は、全然働きたくないと思っている。
あんなに働いて自分の家がほしかったのに。
働きたくないから、働かないで働く方法を見つけたいと思っている。
結局それで「働くってどういうこと?」という問いが生まれる。
働くってなんだろう。
休むってなんだろう。
過ごすって、しのぐって、生きるってなんだろう。
何も考えたくないのに、疑問ばかりが頭に浮かぶ。
分からないことだらけなので、また散歩に行く。
クリアな未来はまだ見えなくても、歩いてきた道は分かる。
これがいまの私のしごとだと思う。
