声の届く先

 五、六年ほど前の今ごろか、我が家で命の炎が一つ消えようとしていた。

 バーニーズマウンテンドッグのドンは、ほんの数ヶ月前まであんなに大騒ぎしていたのに、急激にものが食べられなくなり、自分で立つこともままならず、臭い息を吐くようになった。胃捻転だと医者は言った。もってあと一週間ほどだと。

 俺は慌てて帰省した。ちょうど生まれて間もない次男の育児で姉も帰省中であり、家族みんなでドンを看取ることになった。みんなでドンの体をさすった。あんなに大きくたくましかったのに、どこを撫でてもなんだかごつごつしている。鮮やかな三色の毛並みは依然として滑らかな手触りで、それがいっそう悲しかった。ひゅうひゅうと臭い息が漏れる。

 何度嗅いでも慣れることはない、死の臭いが漂っていた。

 夜は深更に入っていたが、俺たち家族は、ひっそりとしてそのときを待った。頑張れ、いかないで、みんなそう言いたいのを呑み込んでいた。七歳くらいだったろうか。超大型犬としては早死にというとしではない。数日前までの地獄のようなドンの苦しみを俺たちは見ていた。やっと安らかに眠れそうなドンに、そういう言葉はかけられなかった。大人はみな覚悟して、ドンもそれに応えるように目を瞑っていた。息はだんだん小さくなった。




 オギャアオギャア




 赤子の泣き声が、夜の静寂しじまを切り裂いた。その瞬間、俺たちは姉の次男の方ではなく、ドンの顔に釘付けになった。

 パチっと目を開き耳をピクリと動かして首を大きくもたげている。何かに気づいたときに見せる、健康な犬のする仕草である。永遠の眠りから覚まされたかのように、彼は唐突に犬の顔を取り戻した。

 俺と父は驚異と期待の思いで翌朝すぐに病院に向かった。ドンは自力で車に乗り込んだ。レントゲンを撮ると捻れたはずの胃は元の向きにあり、心音は力強い動きを見せていた。

 奇跡です、と医者は興奮を抑えて言った。

 赤子の純粋な泣き声が、逝こうとするドンの魂を引き止めたのだと、俺たち家族は大いに喜び、無垢な命に畏敬の念を抱いた。


 

 ドンはそれから一年ほど生きた。

 延ばされたドンの最期は、劇的なものだった。魂を引き留められた彼はしばらく全盛期の活力を取り戻していたが、やはり次第に衰えていった。動きは徐々に鈍くなり、散歩に自力で行けなくなり、一日の大半を寝転んで過ごすようになった。寝返りすら自分で打てなくなった。それでもまだ臭い息を吐いてはいなかったから、家族はみんな油断していた。

 ある平日の朝に、それは突然やってきた。寝転んでいたドンの体はにわかに激しく痙攣し、虚空を泳ぐように足をかき回して、ウォンと高らかに一声吠えたかと思うと、大きくのけぞってそのまま逝ってしまった。繋ぎ止められた魂の最期の咆哮ほうこうであった。

 その場に居合わせてしまった俺と母は、いかないでくれ、帰ってきてくれ、とあらん限りの声で叫び、幼児のようにわんわんと泣いた。何度も何度もドンの体をゆすったが、ドンが再び体を動かすことはなかった。ドンの体が少しずつ固まっていくのに合わせて、俺たちの号哭の声も次第に歔欷きょきの声に変わっていった。

 俺も母も涙もすっかり涸れ果てて放心状態になった。そして、どちらからともなく、訥々とつとつと語りはじめた。


 ドンには最後まで振り回されたね。
 そうだね、ずっとやかましくて、バカで、家も散々荒れ果てたね。
 やっと静かになったと思ったら逝っちゃったな。
 でも、この一年は本当に元気でよかったよね。
 赤ちゃんのおかげだね。
 うん、そうだね。
 ドンは幸せだったかな。
 僕らが幸せだったからね。
 そうだね、そうだといいな。
 きっと、そうだよ。

 もう、何度目?
 いなくなっちゃったのもいるけど、シーザー、アビー、しっぽ、リキ、テツ、に続いてだから、六匹目かな。何度経験しても悲しいね。
 そうね、これだけは慣れないね。
 慣れないのに、飼い続けちゃうんだからなあ。
 この悲しさと寂しさよりも、もっとたくさんのことをくれるから。
 うん。
 ああ、そう、アビーといえば、アビーが死んじゃったときのことは忘れられないのよ。
 初めてのペットの死だったもんね。
 うん、いや、もちろんそうなんだけど、アビーが死んじゃって、お母さんすごい落ち込んで、しばらくずっと元気なくて、でもそのときにあんたが言った言葉がずっと残ってるんよ。
 え、なんだろ、全然覚えてない。
 あ、そうなの?こんなにお母さんには刺さってるのに。
 なんだろな。



 「大人のお母さんがずっと悲しんでたら、子供の僕らが悲しめない」

 ってあんたは言ったんだよ。



 母は当時初めてペットを失った悲しみに打ちひしがれていたが、同時に、自分ほどには悄気しょげていないような子供たちの反応にもショックを受けていたらしい。こんなに悲しいのは自分だけなのかと、ある種の孤独を感じていた。そんな折になされた俺の発言は、子供たちなりに抱えていた悲痛の大きさを物語るもので、母は親としての不明を恥じるとともに悲しみの孤独を癒すことができたという。

 初めて聞く話だった。当の本人は全く覚えていない。それが本心から発せられたものなのか、一種の格好つけで発せられたものなのかはわからない。

 でも、そんなことはどうでもよかった。

 かつて俺が発した声が母を救い、そのことを母がずっと大切に胸にしまってくれていた。それを今、人生で最も悲しい局面の一つであるこの今、母の声を介して知ることができた。

 人生にはこんな幸福な瞬間があるものなのか。





 今日誰かの呟いた声も、きっとどこかに届くのだろう。 

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