#216 路傍の言葉「烏合の衆」

 俺は「趣味は人間観察です」と言えるほど紅顔でも厚顔でもない謙虚で凡庸なおじさんであるが、道行く人のふいの発言がはたと耳について書き留めてしまう悪癖がある。



「いや、だからさ、あいつらなんて、もうただの烏合の衆!鳥みたいなもんやからチョロいチョロい。ピヨピヨピヨピヨ〜って!」

 

 烏合の衆。夕方の電車の中という混んでもいなければ空いてもいない平々凡々を形象化したような風景には、少しだけ似つかわしくない仄かないかめしさを纏った言葉が俺の耳を惹きつけたのだろう。そのせいで俺は辞書を引く羽目になる。

 鳥?ピヨピヨ?

うごうの衆
 カラスの群れのように、規律も統一もなく寄り集まっている群衆、または兵隊

精選版日本国語大辞典


 そりゃそうだよな。烏って書くもんな。鳥とは書かない。そんなことは分かっているのだが、万が一ということもある。もしかしたら、烏という漢字に鳥類一般を表す意味だってあるかもしれない。わかりきったことでもきちんと確認する意識をもてるのが、数少ない俺の賢さの一つというものだ。

 「烏合の衆だからチョロい」、という彼の言葉の論理はまあ良いとして、しかし、「あいつら」を揶揄し嘲る声真似としては、カーカーと言うべきだったのだ。あるいは高度なツッコミ待ちだった可能性もあるか。彼の取り巻きはぎゃはぎゃは徒屈託のない笑声をあげてはいたけれど。

 それにしても、烏の鳴き声がカーカー、グゥワーグゥワーと、およそ知性的に感じられないがゆえのそしりであろうが、規律も統一も取れない集団の例として自身が槍玉に挙げられるというのは、同類の中でも抜群に高い知能を誇る彼らからすれば受け入れがたい屈辱ではなかろうか。言葉が生まれた当時はそれでもよかったのだろう。

 しかしながら、烏の知能の高さがすっかり人口に膾炙した現代社会においては、愚かで御し易い集団のたとえとして持ち出される「烏合の衆」は、カーカーと鳴きながら人間社会にフリー・ライドする強かな漆黒の翼の集団よりも、右も左も分からずピヨピヨと鳴きわめくしかない雛鳥のざわつきの方が、イメージビジュアルとして相応しいのではないか。

 もっとも、ここでの「知能の高さ」とはとりもなおさず「人間らしさ」という意味である。とすれば、鳥類の中でもとりわけ人間的な知性を有している烏のことを、「規律も統一もなく集まっているだけの存在」のメタファーとすることは、やはり気の利いた皮肉であるのかもしれない。ピヨピヨ。


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