大人は大して大人じゃない
私の趣味のひとつであるギターは、一人暮らしを始めてから本当に制限されるようになった。
実家では夜9時までならジャカジャカかき鳴らせていたアコースティックギターは、壁の薄い今の部屋では全く弾けない。
以前、職場の先輩から譲り受けたエレキギターは、ヘッドホンを繋げばかろうじて。だがそれでも時間帯をかなり気にしてしまう。
それで、色々調べて20分ほど歩いた所に川があることを知った。ここでギターを弾けたら、私の悩みの種がひとつ消える、そう思ってスマホで検索をかける。
調べて分かったのは、この川は市内をずぅっと横断しているということ。当たり前だが、その川の中で私が行こうとしているスポットに焦点を当てた情報は出てこない。いくらネット社会になっても自分の足で稼がなければならない情報は意外と多い。
それで、しばらく弾いてやれなかったギターをケースに入れてよいしょ、と背負って出かけることにした。外でギターを弾くという緊張感で重たくなった腰を持ち上げ、スマホのマップを頼りに川沿いへ向かう。
大通りに面した道路沿いをまっすぐ歩く。お店はほとんどなく、住居が連なっている。赤い鉄塔を目指してまっすぐ進み、たどり着いたら工場や会社のあるエリアをくぐり抜ける。
ガラス張りの建物に映るギターを背負った私は、この街から浮いていないだろうか。
広々とした駐車場のあるコンビニの前、信号を渡るとその先には川の気配。
もう少し!
山の頂上が見えた時のように、車から海の匂いを感じた時のように嬉しくなり、早足になる。
川に近づくまでには土手があり、車も通れるような整備された道が続いている。ここから川に近づくにはぐるっと遠回りをして河原に続くスロープを降りる。すれ違うのは自転車かランニングしている人ばかりで少し縮こまって歩く。
スロープを降りると、一気に草むらが広がる。獣道をかき分けると、その真上には線路があっあ、高架下は日陰になっている。
座れるスペースを見つけて安心した。河原まで降りると人っこ一人いない、川の向こうにマンションがあるものの、洗濯物が干されているのがかろうじてわかるくらい離れている。
菜の花が咲き、蝶々が飛んでいる。
川の流れる音、少し強い風、26度くらいの日の日陰。
全てが心地よくて、天国ってこんな感じなのかなと思うほど。空気を存分に吸い込んで、私はギターケースを開く。風に煽られひっくり返らないように慎重に。ギターケースを地面に置き、高架下に腰掛け、弦を弾く。
家で聞いていたよりも小さく、そして強く鳴る。
ここに来るまでの心配が嘘のように、一人暮らしを始めて数ヶ月間溜まっていた鬱憤を晴らした。大きな声で、大きな音で。
30分ほど立った時、自転車4人組が颯爽と草むらにやってきた。中学生だろうか。視線を感じながら声量を落とすと、彼らは草むらの奥に消えていった。よかった。徐々に声を大きくして歌い始めた。
しかし、そこからさらに20分。
彼らが草むらをかき分けて戻ってきた。しかも、彼らは私の方目掛けて歩いてくる。不穏な空気を勝手に感じ取る。
そして、中学生男子軍団の一人が私に声をかけた。
「あの、ギター触ってみてもいいですか」
ひょろっと背の高い、ハーフのような整った顔立ちの男の子。私は驚いてしまって、驚くほど冷静にギターを手渡していた。
あの時なんて返事をしたか覚えていない。彼は最近ギター練習してるんです、と呟いて柱の出っ張りに座りギターを構える。
その姿がとても愛おしかったのは、彼がギターをまるで琴のような角度で持っていたからだ。私は可笑しくなってしまって、こう!とギターの角度を変えた。
きっと彼はコードとか知らないだろうな。頼まれてもないのにCコードを教えた。私が見本を見せると彼はぎこちない指遣いで真似をして右手で弦を弾いた。
ジャーン、お世辞にも上手いとは言えない、不恰好なCコードが河原に響いて、3人の友達から拍手が起こった。
そして彼らは「ありがとうございました、頑張ってください」とギターを返し、自転車に跨って颯爽と去っていった。頑張ってくださいって私のこと、いったいなんだと思っているのか。
彼らは中学3年生だという。15歳。私の10個下。自分が15の時、こんなふうに見知らぬ大人に声をかけられただろうか。いや、できるわけがない。まず河原でギターを弾いてる人なんて怖いに決まってる。コードも知らないくせにって思われたらとか、人のギターを壊してしまったらとか、とにかく話しかけない理由ばかりを考えてしまう子どもだった。
でも25歳になった今思う。若い人に話しかけられることはこの上なく嬉しい。
久しぶりにあった4個下の元バイト先の後輩に、「また一緒に働きたいですぅ」と言われた時だって、渋谷でまだアシスタントになりたてであろう若い女の子に「カットモデル興味ありませんか」と言われた時だって、2日引きずるくらいは嬉しかったのだから。
大人は怖い、気軽に話しかけてはいけない、すぐ怒る、そんなふうに怯えていたけど、意外と子どもと一緒なのである。褒められたら喜ぶし、叱られたらしょんぼりする。
そして、見せないだけできっと一人の時に泣いている、と思う。
彼らが気づかせてくれたこと。
大人って意外とちょろいんだよ、とあの時の私に教えてあげたい。
