行動できないのは『防衛』かもしれない
「やらなきゃ」って思っているのに、なぜか動けない。
そんな経験、ありませんか?
私はそれを、ずっと
“自分の意志が弱いからだ”って
思っていたんですよね。
もっと頑張ればできる。
もっと気合いを入れればいい。
でも──
それで動けるようになったことって、
正直、あまりなかったんですよね。
行動のハードルを下げるための一冊
今回読んだのは、
『こうやって、すぐに動ける人になる。』
という本です。
この本は、「行動できる人になる方法」を説いているのですが、
いわゆる根性論ではありません。
一貫しているのは
“やる気のハードルを下げること”
という考え方。
著者は、世の中のハードルは
自分で勝手に上げすぎている、と言います。
つまり──
行動できないのは、能力の問題ではなく、
難しく考えすぎているだけ。
「全部自分のせい」と捉えるという視点
本書の中で、ひときわ印象的だったのが、
「起きることはすべて自分の責任である」
という考え方です。
赤信号に遭遇したのも、
渋滞に遭遇したのも、
ポストが赤いのも、
左側通行なのも、
雨が降ってるのも、
パートナーに浮気されたのも、
全部お前のせい。
一見すると、かなり極端です。
でもこの視点は、
「誰のせいか」を考えるのではなく、
「自分は何ができるか」に戻すためのものだと感じました。
赤信号に遭遇したり、渋滞に遭遇してイライラするなら、
もっと早めに余裕を持って行動しなかったお前が悪いし、
ポストが赤かかったり、左側通行の国に住んでいるのもお前のせいだし、
浮気するようなパートナーを選んだのも
お前のせいなんだ。
理不尽だと思っていたものも、
実は、全部の自分のせい。
自分が選んできた道のなのです。
他人や環境に原因を置いている限り、
自分の行動は変わりません。
でも、自分ごととして捉えた瞬間、
選択肢が生まれるのです。
頭の良さが、行動を止めてしまう
でも、ここで一つ疑問が残ったんです。
「なぜ分かっていても、人は動けないのだろう?」
この本では、こんなことも語られています。
頭がいい人ほど、
やらない理由を量産してしまう。
リスクが見える。
問題点に気づく。
失敗を予測できる。
だからこそ、
「今はやめておこう」という判断を、
いくらでも正当化できてしまうのです。
考える力があるからこそ、動けなくなる。
これは、少し皮肉な構造だと思いました。
行動できないのは、「防衛」かもしれない
ちょっと話は変わりますが、
先日、こんな言葉に出会いました。
失敗が怖いんじゃない。
“自分の現在地がバレること”が怖いんだ。
この言葉に、かなりの痛みを感じました。笑
そして思ったのは、
もしかすると──
人は“行動できない”のではなく、
“今の自分を守るために動かない”
のではないでしょうか。
何かを変えるとき、
失敗したくない。
今の状態を崩したくない。
安心を失いたくない。
そう感じるのは、とても自然なことです。
だから、動かない。
でもそれは、怠けではなくて、
無意識の自己保存。
防衛、なのだと思います。
小さな行動が、見える世界を変えていく
この本を手に取ったのも、
ほんの小さなきっかけでした。
Xでフォローしている誰かが、
「この本よかったよ」と書いていて、
それを見て、私は、
とりあえず買ってみたんです。
深く考えたわけでもなく、
ちゃんと調べたわけでもなく。
ただ、なんとなくでした。
でも──
その小さな行動が、流れをつくりました。
本を読んで、
Xで著者のゆる麻布さんにたどり着いて。
投稿を見て、
「あ、この人が書いたんだ」と知る。
そして、思いました。
Xで応援されるって、
こういうことなんだな、と。
最近、私もXを始めましたが、
行動を少し変えるだけで、
見えてくる景色が変わる、
ということをこうして実感しています。
あのとき、もし私が
「ちゃんと調べてからにしよう」とか
「今はいいかな」とか
そうやって“今の自分”を優先していたら、
この流れは、きっと生まれていなかったと思います。
だからこそ、こんな問いが生まれたのかもしれません。
自分が今、動けていないことは
本当に「できない」からでしょうか。
それとも──
今の自分を守るために、
動かないことを選んでいるだけでしょうか。
そして、その「守っているもの」は、
本当に、これからも守り続けたいものですか?
……もし違うと感じたなら。
ほんのひとつでいいから、
今日、なにかを「やってみる」という選択を
自分に提案しようと思いました。
