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わかんないが言える幸せを突き詰めたら出た答え

『わからない』って言うなんて無責任だと思う。私はその『わからない』を最近よく使う。家庭内での物の位置、こどもの様子、家の状態、周りの様子、その他なんでも。これまで、全てにおいて『わからない』は使用不可言語だった。


最近はむしろ積極的に使用している。
『お母さーん、あれどこー?』
『次の行事のあれっていつだっけ?何時から?』
「えー?わかんないなー」


すごくない?わかんないって。絶対わかるんだよ。積極的に責任感を持って生活していれば。でも、そうしてたら疲れてきちゃって。全て私が管理しなきゃいけないのって本当に疲れる。



「わかんなーい」
いつからか意識的に使うようにしている。私1人で背負いたくない宣言の表れ。だってそうじゃない?どうしていつも私が1人で背負わなきゃいけないの?いや、家族にそうしてって言われてたことは一度もない。



私が勝手に背負っていたことに気付いた。しっかりしなくっちゃ、全部把握してなくっちゃ、いつでも全力でサポートしなくっちゃ。そしたら自分を見失ってた。人の人生背負うってそういうこと。やりすぎたら自分を無くす。


私は自分を無くした。お母さん、妻じゃない私なんて、もうどこにもいなかった。探そうなんて思ってなかったし、むしろ、これがいいとさえ思っていた。私は最高のお母さん、妻になりたかったって。


結果、潰れた。私じゃない人生をずっと歩んでた。もちろん、こどもがいて、夫がいて、これ以上ない幸せを感じて生きてきた。自分を殺してでもそれが幸せだったのは、やっぱりこどもと夫が大切だからだ。



でも、こどもが大きくなるにつれて、私のような人生は歩んでほしくない思いが芽生えてきた。私のような人生って?私は私に満足していたんじゃなかった?自問自答の日々。何かがおかしい。



私は、現状に満足しているはずなのに、どうしてこどもには私のようになってほしくないと思ってるか。何が不満なの?少しずつ自分と向き合っていって、目を瞑っていた可哀想な自分を見てあげることから始めた。


頑張り屋さんの私が好きだった。いつもみんなのために自分を犠牲にできる私が好きだった。家族のためだけに生きている自分を尊敬してた。


そんなの偽りだった。本当の自分はきっといつも心の端っこで大泣きしてた。『助けて、これ私の人生じゃない。このまま死ぬのは嫌だ。ねえ、見ないふりしないでよ』って。


ずっと、ずっと無視してた。そんな私を認めてしまったら、私は夫に捨てられる。ちゃんとしていない私なんて夫は要らないはず。頑張る自分を肯定したかったから、存在するはずもない酷い夫が作り上げられていた。


夫はそんな人ではない。いつも私のしたいようにさせてくれる。今まで何億回だって『無理はしないで。全部君のしたいようにしてよ。休むこともいいことだよ』そんなことばかり言われてきていたのに。


私が私を大切にしていなかっただけ。それなのに、ごちゃごちゃに入り組んで何に悩んでいるのか、どう上手くいっていないのかわかんなくて、なんだかずっと辛かった。


表には出さないけど心の中の私は、上手くいかないのを周りのせいにしたり、頑張っているのになんで?って思いばっかだった。それがふとした時に爆発する。感情の整理が上手くいかなくなった。


私のコップはいつもギリギリだった。あと一滴でも落ちてきたらこぼれ落ちそうなほど。表面張力に頼りっきりの私のコップ。少しコップが揺れるだけでも、もうこぼれ落ちそう。それが私の毎日の精神状態。


『ニコニコしてたのに急になんで?何があったの?』完璧妻の突然すぎる大爆発。夫は理解できず、いつもとても驚いていた。私だって驚いた。自分の心が理解不能すぎた。


どうして自分のコップがいつもギリギリな状態なのか。家事育児仕事で忙しいからだと思っていた。その考えが定着しすぎて、休めばコップの水は減っていくと思っていた。しかし、休むことも苦手だった。


ある日コップの水が勢いよく全部こぼれた。きっかけは一つのことじゃない。もしかしたら自ら蹴り倒してこぼしたのかもしれない。全部が嫌になって。


コップじゃなかった。バスタブくらいだった。私が私を犠牲にしていただけの量。ザーッと流れていく水の量を俯瞰して見る。

あー、私こんな量持ってたんだ。コップだと思ってた。自分の心はいつも小さいって。もっとコップが大きくなればギリギリの状態は回避されるんだって思ってた。


もうバスタブくらいだったのね。今までどれほど我慢してきたんだよ、私。しかも、自ら望んでの我慢。だからか。こどもにはこんなに我慢してほしくないって思っただんだ。こどもには自由にのびのび生きていってほしいって思ってるのか。


こどもにはいつも色んなこと気付かされるな。私が生きていく意味を教えてもらっている。私みたいになってほしくないってことは、私は変わらなきゃ、早急に。






変わりはじめた私は、上手くいかないことがあっても全然気にならない。私が私を生きているから。そうだよね、私が頑張ったって全部完璧に上手く行くはずはないんだから。ってスタンスでいれてる。


自分を大切にするってどうやっていいのか全然わかんなかった。満たされる気持ちなんて忘れていたのか、初めて知ったのか、それさえもおぼろげなほど。


『わかんない』それが私の見つけた一つの答え。全部の答えを私が持っていなくていい。『わかる』ってことはそれだけ責任を背負っているってこと。もちろん全部わからないは無責任すぎるけど、少しくらいわからないことがあったって誰も私を責めはしない。



『わからない』を使って気を抜いて生きていたら好きなことを見つけた?好きなことをやり始めたから心が満たされて気を抜けた?鶏が先か卵が先か。





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