思い通りに動けない毎日。でも、わたしは。
やりたいことを思いついた瞬間って、どうしてあんなにワクワクするんだろう。「あれもしたい、これもできるかも!」って、気分は軽く、前のめりになる。
でも……その「やりたい」はいつも、途中で止まってしまう。気づけば数日が過ぎて、やれてない自分にイライラする。わたしの意思?ちがう。
子どもの突然の体調不良。ようやく落ち着いたと思ったら、今度はわたしの体調が崩れて。あっという間に1週間が過ぎていった。
この1週間、わたしは何をしていた?……看病だ。溶けるように消えていった時間。今日は何日?日付は変わっても、なにも行動できていない自分を実感する。まただ……。そんな感情ばかりがぐるぐるして、自己嫌悪にハマっていく。子どもが生まれてから、ずっとこの繰り返しだ。
だから、わたしは諦めた。キレイになることも。自分に期待することも。自由に動くことも。ぜーんぶ諦めてやった。だって、期待する分、なにもできていない自分にイラつくから。
本当に?わたしなにもできていないのかな?
子どもが今日、笑った。いつの間にか子どもがわたしの身長を越しそうになってる。それでもわたしは、本当に「なにもしていない」ことになるの?
たぶん、見つけたことを一気にやりたくなっちゃうから、できないことに苛立ってしまうのかも。看病していた1週間前からは、なにも変わっていないけど、1年前より驚くほど変化している。やりたいことやれてんじゃん。
さっき、iPadを開いて笑ってしまった。まるで、わたしそのものだったから。家では気づかなかったのに、外で開いたら、めちゃくちゃ汚れてた。
このiPadは、わたしの宝物だ。誰にも触らせたくないくらい大事なもの。だけど、育児で手が足りなくなると、仕方なく貸すしかない時もある。「あー、いまだけね」って言いながらも、内心壊されないかハラハラしていた。
このベタベタiPadを見ていて、なんだか泣きたくなった。わたしの「頑張りきれなかった時間」が、そのままくっついているみたいで。本当は、キレイなままでいたかった。傷も汚れもつかずに、大切に守っていたかった。でも、手が足りなくて、気力もなくて、差し出すしかない時があった。
わたし自身も、そうだった。思い通りにならない日々。何かを諦めて、何かを後回しにして、どうにか今日までやってきた。
でも、それって“子どもたちをいちばん大切に想っている”ってことじゃないかな。
いま、外でiPadを開いて、こうしてまた書いている。それだけで、ほんの少し自分を取り戻せた気がした。
1週間前のわたしとは変わってないかもしれない。でも、1年前のわたしとは、たしかにちがう。できてないことを数えるより、やってきたこと数えてみたら、わたしの中にちゃんと残ってるものがあった。
iPadについたベタベタみたいに、ちょっとみっともなくても、消えないものがここにある。それで、充分だと思えた今日。
大丈夫、わたしの「やりたい」は逃げない。ゆっくり一歩ずつ、それでいい。その気持ちがある限り、1年後にはまた、なりたい自分に近づいているはずだから。
